B akuman


優越感




待ち合わせは午後3時。

タクシーを降りて時計を見るとちょうど5分前。平丸は原稿明けの疲れた体も気にせず、約束のカフェへと向かう。

そこにはひと月以上も会うことが叶わなかった恋人がいる。逸る気持ちは運動不足の体も動かして、足は自然と駆けていた。信号二つ向こうに目印の看板が見え、黄色から赤へ変わる寸前に渡る。クラクションを鳴らされたのも聞こえなかった。
人通りの多いこの場所は平日とはいえ、思うように目的の場所までたどり着けない。ようやくオープンカフェのテラス席に座る蒼樹が目に入り、平丸が歓喜した瞬間、またしても信号が赤になり足止めをくらってしまった。

走って乱れた呼吸を整えようと胸を押さえる。もとより体力はないほうだったが、最近ことに落ちてきた気がする。
年もあるだろうがずっと室内にこもって漫画なんか描いているせいだ。このままでは本当に体を壊してしまうだろうから、今度この辺を吉田氏に訴えてみよう。
そう決意しながら、視線を道路一つ挟んだ蒼樹へ向ける。
彼女は少し前から来ていたのか、席に座り本を読んでいた。淡いピンク色のブラウスに白のスカートは春らしく可憐で、伏し目がちに頁を捲る姿はまるで絵のようだった。もともと綺麗な人ではあるが、こうして見ると益々得がたい人だと実感する。
いわゆる高嶺の花というのだろう、簡単に手折られることにない、オーラのようなものが蒼樹の周りを包んでいた。

(夢みたいだな)

カフェの前を通りかかる幾人もの男たちが目を引かれている。信号待ちの間、それを平丸は誇らしいような気持ちで見ていた。
この通りにいる一人一人に大声で伝えたかった。今あなたが見惚れた美人は自分の恋人だと。どうだ羨ましいだろうと。緩む頬を抑えきれずにやけた顔で信号が変わるのを待っていると、突然背後から名前を呼ばれた。

「あれ?もしかして、平丸か?」

聞き覚えのない声に怪訝な顔で振り返る。軽く見上げた長身の男、スーツを着ているところを見るにサラリーマンだろう。相手は平丸の顔を見るなり「やっぱり」と笑顔を向けてきた。
その笑い方といかにも女受けしそうな顔立ちは、どこか見覚えがある。基本的に男の顔は覚える気がないので記憶が曖昧だが、確かにこの男とは会ったことがあった。

(取引先の相手だったか?いや、それにしては馴れ馴れしい・・大学の時、いや高校時代のクラスメイト?)

記憶を探っていくと、そういえば大学のゼミでよく似た男がいたのを思い出した。

「ああ・・ゼミの?」
「そうそう、思い出してくれた?久しぶりだなぁ元気か?びっくりしたよ、おまえ変わんないな。すぐ平丸だって分かったよ」

そりゃどうも、と返しながら平丸の中で男の記憶が戻ってくる。名前は思い出せないが、好ましい相手でないことは確かだった。
といっても別段嫌がらせを受けたわけではない、交流らしい交流もなかったと記憶している。しかし平丸にとっては面白くない相手だった。一番の理由はとにかく女にモテたことだが、それ以外にも自分とのテンションが違いすぎたのもある。
行動力も実行力もある彼はいつでも輪の中心で、ありがた迷惑にも様々なイベントを考える男だった。悪い人間ではないが平丸にとっては面倒な相手で、ずかずかと人のテリトリーに入って来ようとする所が苦手だった。
就職でもすぐに大手の企業から内定を勝ち取り、なかなか内定が貰えないこちらに「頑張れよ!」と笑顔を向けた。ちょっといいなと思っていたゼミのアイドル的な女の子とつき合ってたのも、面白くなかった。
とにかく劣等感を刺激するタイプの人間で、平丸が卒業して縁がなくなることを心から喜んだ相手であった。

「あ、そういや引越ししたろ?何年か前に教授の還暦祝いに集まるかって、ハガキ出したんだけど返ってきたから。噂で聞いたら会社辞めたっていうし」
「はは、まあ・・」
「ていうか、今なにやってんの?」

聞かれてぐっと言葉が詰まる。「漫画家」なんて仕事を口にして、なんと思われるだろうか。職業に貴賎はないとはいえ、堅気な仕事とは言い難い。
男の視線が品定めでもするように平丸の格好を見た。平日の昼間に明らかに仕事中と思えない姿、とくに今日は原稿明けで急いでいたのもあり思い切り普段着であった。男の目に憐みが浮かんだのを見て、平丸は苦笑いする。
ぽんと肩を叩かれてて、同情するように声をかけられた。

「まあ、このご時世だから色々あるよな。仕事なんて選り好みしなきゃ見つかるって」
「へ?・・ああ、いや・・うん」
「なんだったら紹介しようか?ウチの会社の下請けでよければだけど・・」

予想通り無職だと思われたらしい。胸を張って言える仕事でもないし似たようなものかもしれない、そう思い黙っていると急に男の目の色が変わるのが分かった。
不審に思い、視線の先である背後を振り返る。そこには信号を渡ってこちらへと歩いてくる蒼樹の姿があった。平丸と目が合うと、にっこりと笑い近づいてくる。

「平丸さん」

鈴が鳴るような愛らしい声が自分を呼ぶ。蒼樹は小走りで信号を渡りきると平丸の側へと寄る。その瞬間、目の前の男が信じられないものを見るように平丸を見た。
それは勝者だった男の、初めての敗者の顔だった。

「姿が見えたので、私の方から来ちゃいました・・あ、ごめんなさいお友達ですか?」

今気づいたらしく、男の姿を見て恥ずかしそうに会釈をする。
男もハッとしたように会釈を返し、不躾な視線で二人を見比べると説明を求めるように平丸を見た。納得いかないという風に。
その痛いほどの視線に妙な心地よさを覚えつつ、「恋人だ」と隣に立つ蒼樹の手を握る。彼女は少し驚いたようだったが、同意するようにほんのり頬を染めて目を伏せた。

「へぇ・・そう、なんだ」
「ちょうどあの店で待ち合わせしてたんだ・・そ、そういうわけだからここで失礼する。ああ、引越し先の住所はまた今度連絡するから」
「あ?ああ、分かった」

肯いた男の目に、一瞬だがはっきりと嫉妬が見える。なるほどこういうものなのかと、平丸は初めてこちら側の気持ちを知った。
多少の痛快さは覚えるものの、なぜか芽生える罪悪感の方が堪える。これはきっと嫉妬する側が長かったからなのだろう、そんなことを思いつつ蒼樹の手を引き歩きだした。
三歩ほど進んだ時、ふいに足を止める。振り返って相手を見るとまだこちらを向いていて、目が合った。

「さっきの、仕事の話だが」
「は?」

「今、漫画家なんだ」

怪訝な顔の相手に背を向けて、再び歩き出す。横にいる蒼樹が嬉しそうな誇らしげな顔でいるのも気づかずに。



END

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BAKUMAN


(bakuman....)





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