Love-in-idleness | ナノ


Love-in-idleness

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 ◆◇◆


 あれは去年の学園祭。

 まだ自分が生徒会長になることなど、考えもしていなかった頃。
 賑やかで忙しかった祭りの後、夕闇が迫る校舎裏。ゴミ捨て場に向かうための近道で、アルは偶然見てしまった。

 ――泣いているギネヴィアが、ランスロットに抱きついているのを。

 思わず身を潜め、息を殺した。どう見てもシリアスなその光景が信じられなくて。
 二人はつき合っているのだろうか、けれどすぐにその考えを打ち消す。ギネヴィアには婚約者がいた。そのことは誰もが知っている。相手は理事長の年の離れた弟で、今は仕事で海外にいるらしい。噂によると帰ってきたら式を挙げるそうだ。
 ランスロットも、そのことは知っているはず。だから、二人はつき合っていない。そんな筈ない....では今の光景は? どういうことなのか? わからない、何もわからない...。 
 アルが混乱しているうちに、二人はいつの間にかいなくなっていた。

 あの時のことは今でも信じられない。まだ夢の中の出来事のように思っている。アルはランスロットに問いたい気持ちを抑え、忘れようと努めた。見なかったことにするのが、正解な気がして。


 図書館に逃げてすぐ、アルは本棚の波に身を隠す。
 いつも静かな館内は放課後という時間帯もあって、普段よりも少しだけ騒がしい。その騒がしさが、今は少しだけ有り難かった。

(....何、やっているのかしら)

 ふいに自己嫌悪に陥る。いきなりあの場を立ち去った自分を、二人はどう思っただろうか。不自然で、白々しく映ったのではないか。
 アルは本棚に手をつき、ため息をこぼす。胸の内は渦巻き、眉を寄せる。この醜い感情の名前を、アルは知っていた。

(私、嫉妬している)

 ランスロットを特別だと意識したのは、いつだったろう。
 初めて会ったのは、子供の頃。近所に住んでいたガウェインと一緒に、何度か遊んだことがあった。といっても男と女の性差や、ランスロットの方が年上というのもあって、そう頻繁ではなかった。
 当時からどこか大人びた少年だった彼は、アルには少し近寄りがたく、けれどその姿に憧れのような気持ちを抱いていた。
 思えば、あの頃から惹かれていたのだろうか。
 学園に入学してからは、学年も違い、さらに遠く離れて感じたが、それでも生徒会や剣道部などで活躍する姿を見ては、ひそかに胸をときめかせていた。
 彼はとても人気のある人で、よく女の子から告白されていたのを知っている。けれどどの相手とも、お付き合いをすることはなかった。学業や生徒会が忙しいからだろうとアルは思っていたが、去年の学園祭の後から、そうではないと感じている。

 叶わぬ恋を、しているのではないか。ギネヴィアに。

 あの時、二人の間には切羽詰ったような、ただならぬ気配があった。
 涙を流すギネヴィアは、まるで絵のように美しく、ランスロットもまた見たことのない表情をしていた。
 だからきっと、そうなのだ。アルが想像しているように、彼は恋をしている。多分、恐らく、間違いなく。
 
 本棚からそっと手を離す。その時ふいに向けた視線が、見覚えのある本を捉えた。それは去年の学園祭で演劇部の出し物だった作品。

「....夏の夜の夢」

 シェイクスピアの戯曲。賑やかなロマンチックコメディ。
 アルはなにげなくその本を手に取った。ぱらりとページをめくり、文字を目で追う。可哀そうなヘレナの台詞に目を留めた時、背後から名前を呼ばれて心臓が跳ねた。

「アル、ここにいたのか」

 その声に胸は高鳴る。ランスロットの声だった。

「!?....ラ、ランスロット...」
「いきなりいなくなるから驚いたぞ。だがすぐに見つかってよかった。この図書館は広いからな」
「ど、どうしてここに...? ギネヴィア様は?」
「ああ、先ほど別れた所だ。職員室に行かれるというので途中までご一緒して、私はこちらに向かったのだが...どうした?ずいぶん不思議そうな顔をしているが」
「あ...だって、その....い、いいの?」
「? なにがだ?」
「....う、ううん...なんでもない」
 
 口ごもり、視線を逸らす。安堵する心の内を見透かされそうで、怖かった。
 
「忘れ物は、持ったのか?」
「え?...う、うん」
「そうか、ではそろそろ時間だ。生徒会室に戻るとしよう」
「....そうね、あ、ちょっと待ってくれる?本を棚に戻さないと...」

 ランスロットはそこで、アルの手に本があることに気がついたようだ。

「なんだ、もしや本を貸りるつもりだったのか? だったら私は待っているが...」
「あ...ううん、ちょっと懐かしいというか...あの、去年の学園祭で....演劇部がやっていたでしょう?このお話」

 学園祭、という名前を出すのに少し緊張したが、ランスロットはとくに気に留めていない様子だった。アルの手から本を受け取り、背表紙を見て目を細める。

「夏の夜の夢、か。そうだったな...去年の演目だった」
「うん、とっても楽しかった。シェイクスピアって、なんとなく悲しいお話ばかりかと思っていたけど、ああいう楽しいお話もあるんだって驚いちゃった」
「そうだな。所謂『四大悲劇』が有名だから知らない者もいるだろうが、こういうコメディもたくさん書いている。この『夏の夜の夢』もそうだが『から騒ぎ』や『じゃじゃ馬ならし』ああ『十二夜』もそうだった」

 いつもより多弁な彼に、目を瞠る。ランスロットはアルの視線に気づくと、やや気まずそうに咳払いをして本を棚に戻した。

「すまない...その」
「ランスロットは、シェイクスピアが好きなの?」
「好きというか...まあ、そうだな。面白い特徴を持った作家だと思う」
「そうなんだ。じゃあ去年のお芝居も観たの?」
「ああ、ちょうど空き時間だったからな。観させてもらった。なかなかレベルの高い芝居だったと思う」
「そうね...」

 誰と観たの、と聞きそうになって口を噤む。引きずる嫉妬が醜いことを、自分でもよく分かっている。だから堪えた。
 ギネヴィアと一緒に観たと、もしその口が答えたとして、どうだと言うのだ。ただ傷つくだけではないか。自虐的すぎる。
 アルはまた、強いて笑みを作った。

「あの、ランスロットは...どのシーンが好きなの? 」
「シーン? 夏の夜の夢でか? 」
「そう。私はね、やっぱり恋人達がそれぞれ幸せになるシーンが一番良かったわ。ヘレナがディミトリーアスを追いかける姿は、やっぱり切なかったから。あとラストのパックの台詞も良かったわ」
「そうだな。あのラストは良かった。私は....そうだな...」

 ランスロットは少し考えて、それからぽつりと零した。

「三色スミレ....」
「え? 」
「....恋わずらいの花、かな」

 その眼差しがいつもより熱を含んで見えて、アルの胸がざわめく。言葉の意味が知りたくて、ランスロットを見つめた。

「妖精の王に命じられて、パックが魔法をかけるだろう?まぶたの上に『恋わずらいの花』の汁をふりかける....目覚めて最初に見た相手に恋をしてしまうというやつだ」
「.........」
「その恋わずらいの花....つまり、三色スミレのことだが。こう言ってはなんだが案外手近な花だろう?だから本当に効果があるのか、それとも妖精の魔法ゆえか...初めて読んだ時に、そんなことを考えたものだ」

 くすりと笑ってアルを見る。その笑みに、胸がちくと痛んだ。

「試してみたいと、思ったことはあるの?」
「....ん? 」
「その、恋わずらいの魔法を...」
「......」
「! あ、ごめんなさい...な、何を言ってるのかしら、私...」

 ハッとして口を押さえる。こんなことを聞くなんてどうかしていた。
 ランスロットは不思議そうな顔でこちらを見ていたが、拳を口元にあて、微かな苦笑を浮かべた。

「どうかな....そういう事を考えたことはないな」
「そ、そう...あの、ごめんなさい。変なことを聞いて」
「いや、それより....」

 ふ、とその眼差しが真剣さを帯びる。

「おまえは...あるのか?」
「え....? 」
「その....試してみたいと思う相手は、いるのか?」

 目が合って、心臓が大きく跳ねる。ランスロットを前に、どう答えていいか分からず、咄嗟にうつむき首を横に振った。

「よ、よくわからないわ。そういうの...」
「.....そうか」

 なんだか頬が急に熱くなる。どこか後ろめたい気持ちのせいか、それともこうして二人でいることを急に意識した為か。
 ランスロットが黙ったままでいるので、アルも沈黙する。けれどそれも決まり悪くて、ややぎこちない動きで、声をかけた。

「あの...こ、今年は何を演るのかしらね、学園祭で...演劇部」
「ん? ああ。そろそろ講堂使用の申請が来る頃だろう、毎年あそこは少し早めに提出してくれる」
「そうなの 」
「部によってはギリギリに申請してくるので、毎年時間調整に頭を悩ませるものだ....そうだ、先に言っておくが学園祭が近づくとかなり忙しくなる。といってもお前は執行部で活動するのは初めてだからな、皆がサポートするのであまり無理をするな」
「うん。あ、でも精一杯頑張るからね。びしびし指導してくれて構わないんだからっ...」

 力いっぱい言うと、ランスロットが「しー」と口元に指をあてる。図書館だったことを忘れていた。慌てて手を口で押さえる。

「あ、ご、ごめん...声が大きかったわ」

 気恥ずかしさに顔を赤くすると、目を細めるランスロットと目が合った。

「当日もゆっくり見て回る余裕はないかもしれんが、もし時間が空くようなら共に観に行かないか」
「....え?」
「演劇部の...芝居、のことだが」

 突然の申し出に目を丸くする。彼は少しだけ気まずそうに咳払いをした。

「いや...もし、よければという話だ」
「う、うん。ランスロットさえよければ...あの、でも...いいの?」
「? なにがだ」
「...その、他の誘いたい人とか...」
「誘いたい人、というのは誰のことだ? 」
「あ、ううん。なんでもない」

 本当はギネヴィアを誘いたいのではないかと、思ってしまう。せっかくの誘いまで卑屈に考えてしまう自分に、軽く落ち込んだ。
 ランスロットは僅かに怪訝な顔をしただけで、それ以上何も問うことはなかった。

「では、そろそろ戻るとするか」
「そうね。あの、ランスロット...ありがとう」
「なにがだ? 」
「だって...こうしてわざわざ迎えに来てくれて」
「ああ、いや...それは...」

 何か言いかけて口を噤む。そのまま少し黙っていたが、ふ、とランスロットはアルに視線を向けた。

「なんというか...こういうことを言っては気を悪くするかもしれんが.....やはり、どこかしら特別に感じているのかもしれんな」
「えっ」
「昔から知ってるおまえが会長に選ばれて....どうも、心配というか、自分でも少々過保護過ぎるやもしれんと思っているのだが」
「あ、そ、そういう意味...」
「ん? どうかしたか」
「う、ううん!なんでもないっ...」

 特別、などと言われて一瞬舞い上がってしまった。けれど、ランスロットが昔のことを言うのは、めずらしい。

「あの....ランスロットは、昔の...こ、子供の時の私を覚えている?」

 躊躇いつつ聞いてみると、彼は意外そうにアルを見る。

「なにを言っているのだ。当然だろう」
「そ、そうなの? 」
「どうしてそんなことを聞くのだ? 」
「それは....だって、あの、なんとなく...覚えてないのかなって」

 アルが生徒会に入るまで、彼がそれを感じさせたことはなかった。廊下ですれ違う時も軽い挨拶をするくらいで、一般生徒に対する態度と特に変わりがなく、アルはひそかに落胆していたのだ。
 
「覚えていたさ」

 ぽつりと呟いて、苦笑する。

「だが、私の方こそ....忘れられていると思っていた」
「....そ、そんなことっ」
「違ったようで安心した」
「! .....」

 向けられる笑顔に鼓動が速まる。喜びが表情に出てしまわないよう、堪えた。その言葉に深い意味はないと分かっていても、期待したくなる。
 目の前に立つ彼の姿が眩しい。名前を呼ばれると、無上の喜びを感じる。けれど悟られてはならないのだ。
 それは自分の首を絞めるに他ならないから。

(うん...高望みというものよね)

 微かに自嘲するアルに気づくことはなく、ランスロットは時計を見る。ハッと息を呑むのが分かった。

「たいへんだ、そろそろ時間になる。急ごう」
「あ、う、うんっ」
「今日の進行役はガウェインだったな....遅くなると面倒だ」
「え? ガウェインって、時間に厳しかった? 」
「ああ、お前と二人だから....あ、いやなんでもない。忘れてくれ」
「?? 」

 早足になる彼の背中を追いかける。床に響く二人の足音が重なるのを聞いて、アルは微笑んだ。
 これでいいと。その心地よさに、満足しようと。
 この時が幸せだから、それでいいのだ。

 ――彼の中の、小さな特別であるなら。




 END




※Love-in-idleness...三色スミレ(パンジー)

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