gondora


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『いまわたしの願いは、さながら泉のように、わたしのなかからほとばしる』(ニーチェ第二部夜の歌より)



◆◇◆


「それが・・港浦は席をはずしてまして」

編集部に着くなりそう言われた愛子は、片眉をぴくと吊り上げ「ではここで待たせてもらいます」と、近くにあった木椅子に腰かけた。
対応してくれた初老の事務員は困惑ぎみだったが、すぐに別の誰かに呼ばれて自分の持ち場へと戻っていく。じきに諦めると思っているのだろう。
愛子は煙草くさい編集部をじっと睨むように見て、確かに港浦がいないことを確認すると、また怒りがふつふつと沸いてきた。

(いないですって?)

風呂敷に包まれている『飛翔』第二号を膝の上で握りしめる。今日届いたばかりのその本は、愛子の初連載作品が載っているはずだった。
純文学を志しているとはいえ、やはり小説家として独立したいという夢の一歩でもあり、実のところ非常に楽しみにしていた。もちろんそれを吹聴したりはしていないが、心の中で発売を指折り数えるくらい楽しみではあったのだ。
ところが新連載は自分の作品ではなく、平丸一也という聞いたこともない新人作家の私小説『海獺・其の十一』。なんと愛子の作品は読切りという扱いだったのだ。
そんなわけで、思わず普段着ている銘仙の着物のまま、力車に飛び乗るようにして輯英社にやって来てしまった。もちろん港浦に抗議する為に。

(逃げた?・・・まさかね)

思えば一週間前に別の件で呼び出されたとき、どうも挙動がおかしかった。あの時は港浦からの話の内容が内容だったのであまり気にもしていなかったが。
それは勉強のために名のある作家の弟子にならないかという、唐突な申し出だった。これから連載する作家相手になにを言ってるのだと、きっぱり断ったが・・・既にあの時、港浦は愛子の作品が連載にならないことを知っていたのだ。

「・・・・」

奥歯を噛みしめ、眉間にしわを寄せる。
おおかた「女は感情的だから取り乱されるのが面倒だ」などと思っているのだろう。女性蔑視で封建的な男の考えそうなことだ。もし愛子が男であれば、連載にならなかったと報告してくるに違いない。
新連載の作品はまだ読んでいないが、自分の作品より面白ければ連載にならなくても納得できる。悔しいが仕方がない。実力と才能の世界だからこそ愛子もまたそこに活路を見出しているのだから。
そう憤懣やるかたなく『飛翔』をさらに強く握りしめると、木椅子のちょうど横にある編集部の扉が開く。
「戻りましたー」という男の声に、思わず顔を向けたが残念ながら港浦ではなかった。その癖の強い髪をした男は、前にも一度見たことがある。確か「雄二郎」と呼ばれていて、あの新妻エイジの担当編集者だという。男は視線を感じたのかこちらを一瞥したが、すぐに戻す。けれど何かを思い出したのか「そうだ」と呟き、また愛子に視線を向けた。

「港浦から聞いた?」
「えっ?」
「え、秋名愛子さんでしょ?違った?」

唐突に話しかけられて怪訝な顔をしてしまう。雄二郎という男が自分を知っていることにも驚いた。

「あの、何でしょうか突然」
「ああごめん、ええと、新妻エイジの担当をしている服部です」
「秋名愛子です」
「あのさ、港浦から聞いてるよね?新妻先生の弟子に・・って話」
「・・弟子」

一週間前に呼び出された件を思い出す。名のある作家というのは新妻エイジのことなのか。
愛子はとくに顔色も変えず「その件ですか」とそっけなく返す。申し訳ないが、新妻エイジにも弟子という響きにもさほど興味はなかった。

「港浦さんに先日お話をいただきましたが、お断りいたしました」
「うん。断られたって話は聞いてたんだけど、もう一度お願いできないかなって。ダメかな、どうしても」
「申し訳ありませんが」

にべなく答えるさまに、雄二郎の顔が引き攣る。それを冷めた顔で見ていた愛子であったが、ふと微かな興味がわいてきた。

「伺いますが、どうして私なんでしょう。失礼ですけれど、私はこれといって新妻先生にも先生の作品にも思い入れはありません。やはり弟子というからには、新妻先生に特別な思いのある方をお選びするべきでは」
「いや、そうなんだけど・・まあちょっと事情もあって」
「事情?」
「え、ああ、なんでもない。こっちの話。でも秋名さんにも悪い話じゃないと思うよ、新妻くんの作品に興味はなくても、彼が今一番の売れっ子作家だってことは知っているだろ?連載を何本も抱えている彼が、普段どうやって執筆しているか見るのも今後の勉強になると思うよ?」

それはたしかに興味があった。量も質も落とさずに、どうしてあれだけの作品を書き続けることができるのだろうと。

「それに新妻くんが、秋名さんの作品を気に入ってるみたいでね。面白いと褒めてたよ。年も近いし、師匠と思わなくても先輩作家くらいの気持ちで新妻くんの家に通ってみたらどうかな。さすがに未婚の男女を一つ屋根の下に住まわせることはできないから、週に数回」
「新妻先生の・・家?」

僅かに揺れた気持ちも元に戻る。見ず知らずの男の家に通うなんて考えられない、愛子は眉を寄せて雄二郎を見た。

「申し訳ありませんが、やはりお断りさせていただきます。私は学生でもありますし、昼は大学に行ってます。空いた時間に執筆をしていますので、ほかのことに使う時間はありません」
「あ・・そう?ダメ?・・やっぱり」
「はい。ですからこのお話はこれきりで」

二度もはっきり断られて諦めがついたのか、雄二郎は「わかった」と苦笑いをして場を離れた。愛子は彼の背中に声をかける。

「あの、今日港浦さんはいつ戻られるんでしょうか」
「・・港浦?いないの?あいつ」

振り返り首を傾げたが、思いだしたように「ああ」と小さく声をあげた。

「そういえば、急に亜城木くんたちと打ち合わせが入ったって言ってたな」
「亜城木・・亜城木夢叶先生ですか?」



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