gondora





やはり地方から出稼ぎにでもきているのだろうか。桜を見て故郷を思い出して・・もしかしたら幼い弟や妹なんかもいるのかもしれない。
ああそれでさっき駄菓子を子供たちに買い与えて・・。
そんなことを想像すると自分の態度が少しだけ頑なに思えてきて、ラムネをつき返すことに躊躇いを覚えた。
迷いつつ、愛子はハンドバックから財布を取り10銭札を数枚差し出す。

「・・初対面の方に奢っていただくわけにはいきませんから」
「?僕べつに気にしませんケド」
「私が気にするんです。いいから受け取りなさい、受け取らないと飲めません」

無理矢理押し付けて、気恥ずかしさをごまかすようにラムネを一口飲んだ。
ラムネの玉瓶に懐かしさを覚える。冷たさと炭酸の刺激が喉に心地よく染みて、思わずため息がもれた。美味しいと、言葉に出てしまいそうで口を押さえる。
ふいに少女の頃を思い出し、ほのかな笑みを口元に浮かべた時、目の前にいた男と目が合った。

「・・なんですか」

じいっと見つめてくるので、ついこちらも睨み返す。男は目を細めて「なんでもないです」と首を振ったあと長屋の壁に寄りかかった。
その横顔はどこか満足げで。なんとなく反発を感じたものの、愛子は黙ったままラムネを一口飲んだ。
男は「そういえば」と思い出したようにこちらを見る。

「こっちの桜はずいぶん早いんですね」
「?・・早い?桜はふつう春に咲くものでしょう?」
「そうなんですケド、僕のいた青森は5月近くになって咲くんで。この時期はまだ雪も残ってますし」

青森という土地名に、そんな遠くから東京まで出稼ぎにきているのかと少し同情が沸いた。話しかけるつもりはなかったが、なんとなく気になって口を開く。

「いつから、ですか」
「はい?」
「だから、上京したのはいつだと聞いているんです」
「いつ・・えーといつでしたかね。16の時からなんで、そろそろ4年になります」

4年という数字に愛子の眉がぴくと跳ね上がる。信じられないものを見るように、男の顔を注視した。

「ちょっと待ってください・・4年?4年もこっちにいて、それで東京の桜を見るのが今日が初めて?」
「え?おかしいです?」
「いえ、おかしいわけではありませんが・・普通に出歩いていれば見かけるでしょう、桜くらい」
「そうなんですか?なにせ下宿屋から出たのも久しぶりなんで。でも東京は面白いですね、青森じゃ見たことない物いっぱいです。駄菓子屋も見たことないお菓子いっぱいで楽しかったです」
「・・・あなた、4年もの間なにをしていたの?」
「なにって、仕事ですケド。楽しいと時間があっという間ですね、今日下宿のおばさんに春だって言われて驚きました。こないだ秋になったと思ってたんですが」

良くあることのようにを話し、ラムネをまた一口飲む。
季節すら忘れるとはいったいどんな仕事だろう、愛子は釈然としなかったが当の本人が全く気になっていないようなのでそれ以上何も言わなかった。

「実はまだ仕事中なんです」

のんきそうに笑うので、いまいち信憑性に欠ける。

「いつも出来たの渡すだけなんですケド、一度僕から渡しに行ってみたいと思いまして」
「?・・はあ」
「ついでに桜も見たし力車も乗ったし駄菓子もいっぱい食べました。イロイロ楽しかったんで、たまにはこんなのもいいかもです」

そう言ってラムネをぐいと飲み干すと、男は両腕を上げて伸びをした。猫背のせいか小柄かと思いきや、それなりに身長があることに驚く。といっても一般的な大きさだが。
あまり見るのも失礼なので、愛子はすぐ目を逸らす。すれ違うように男がこちらに視線を向けたのが分かったが、それには気づかぬフリをした。
すぐに逸らされると思った視線は、なかなか動かず。愛子の横顔をじっと見つめていて。
見られることに緊張している自分に動揺して、ひそかに唾を飲む。じわと頬が熱くなっていくのが耐え切れなくて、とうとう愛子は男を睨みつけた。

「なんですかさっきから。言いたいことがあるならハッキリ仰ったらどうです?」
「?なにがです」
「なにがって・・さっきからずっとこっちを見ているじゃないですか」
「あ、はい。そうなんですケド・・ちょっと気になることがありまして」

考えるように腕を組み、口を尖らして愛子を見つめている。

「ザワザワしたんです」
「?・・ざわざわ?」
「いや、ゾクゾク?それも違うな、うーん・・バババーン!みたいな感じです。いやドドドドーン!かも」

難しい顔で男はぶつぶつと擬音を呟き、やがてハッと閃いたのか手をパンと叩いて会心の笑みを見せた。

「キュンキュン、ズキューン!」
「は?」
「桜の下で見かけたときの僕の気持ちです」

瞳を覗き込まれて不覚にも息をのむ。どういう意味なのか聞きたくても、口を開けば動揺を悟られそうで言葉が出ない。表情を変えないようにするので精一杯だった。
言い終えてすっきりしたのか、男はようやく目を逸らす。その瞬間さざ波のように胸が揺らいで、微かな熱を感じた。愛子は咄嗟にため息をつき熱を吐き出す。少しだけ恐ろしかった。

(苦手だ、この人)

意図があるのか不明だが、翻弄される。本気なのかそうでないのか、分からない。なのになぜか惹きつけられて、困る。
こちらの気持ちを見透かしてか、男は飲み終えたラムネの空瓶を持ちゆっくりと距離を取った。それすらも小憎らしく思えて、愛子は正面から男を睨む。

「あなたは・・無茶苦茶です」

男の目が一瞬見開き、ぱちと瞬く。その口がなにか言うより早く足は動き、彼の横をすり抜けた。
もっと言いたいことはあったのに、どうしてか言葉が出てこなくて悔しかった。無茶苦茶なのは自分のほうだ、逃げるしか出来ないなんて。
真っ直ぐな視線が追いかけてきそうで、愛子は精一杯の強がりに背筋を伸ばし歩く。その背中に能天気な声がかかる。

「あ、そうだ。名前聞いていいですか?」

思わず足を止めて、顔だけ横に向けた。男が手を振っているのが分かり眉を寄せる。

「あなたみたいな非常識な人に教える名前はありません。名前を聞きたいなら、まず自分が名乗りなさい」
「おおそうですね、それは失礼しました。僕の名は新妻・・」
「け、結構です!興味ありませんから・・」

言い捨てて速足で歩き出す。少し情けなかったが早くこの場から立ち去りたい。名前を聞いただけで、なぜか動揺してしまった。
男が口にした『新妻』という名に覚えがあるような気がしたが、考えるのをやめた。もう会うこともないのだからと。

一町をほど歩き、強い風が吹く。舞い上がる土埃とともに、どこからか舞ってきた桜の花弁が目に留まる。
それを目で追うように振り返ると、男は既にいなかった。
気が抜けてため息をつくと同時に、微かな落胆も芽生えてしまう。どうかしているとまた歩き出した愛子の手には、ラムネの瓶が握られたままで。家に帰るまでそれに気づくことはなかった。


のちに、その『新妻』と違った形で再会するのだが、それはまた別の話。




END

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