gondora






◆◇◆


レンガ造り3階建ての『輯英社』は、いつ来ても活気がある。
堅苦しい明治が終わり、出版業界は地方問屋の拡充や自由思想の広がりもあり新しい雑誌の創刊が続いていた。

愛子を見るなり、担当編集の港浦は頬を引き攣らせる。小柄だが立派な体躯の彼が、6歳年下の彼女を苦手に感じているのがその顔で分かった。

「先日お話いただいた小説、書き上がりましたので持ってきました」
「あ、そうか。うん、じゃあ・・後で読んでおくから」
「後で?」
「いや、今ちょっと立て込んでて・・も、もちろんなるべく早く読んで掲載の時はすぐ連絡するよ」

額にうっすらと汗が滲んでいる。以前港浦の女性蔑視ととれる発言に愛子がこてんぱんに言い負かして以来、2人の関係は愛子優位であった。
立て込んでて、と言い訳する港浦を探るように見た後、周囲に視線を向ける。確かに活気・・というより慌しいと称した方がいいかもしれない。編集者たちの顔つきもどこか強張っているように見えた。

「・・なにかあったんですか?皆さんずいぶん慌ててらっしゃるようですが」
「え?ああ・・うーん、実はある作家先生が行方不明になっちゃって」
「行方不明?」
「原稿上がった連絡があったのに、編集が行ったら原稿も先生もいなくなってて・・そんなわけで今皆で手分けして探してるんだよ」

頭を掻いて困った様子の港浦に軽く眉を上げ、愛子はあまり興味なさげに「そうですか」と返す。どんな大先生か知らないが、おおかた締め切りに間に合わなくて逃げ出したのだろう。無責任というか、意気地がないというか。

「そういうわけで編集部内もごたごたしてて、だから持ってきた作品はあとで読ませてもらうから」
「わかりました。ではお預けしていきますが・・」

差し出した風呂敷包みを港浦が掴むが、愛子の険しい視線に気づくと再び顔を引き攣らせる。

「な、なにか?」
「・・なにか、じゃありません。一つお忘れじゃありませんか?」
「え?忘れ・・あ、ああ!あれね、うん・・こないだの件ね。大丈夫だよ、ちゃんと編集長に聞いたから」
「では、その結果を。もったいぶらずに、簡潔に、結論から教えてください」

結論は、と港浦が気まずそうに目を逸らす。それだけで答えが分かる。やはり駄目だったのかと。思わず眉を寄せてうつむく愛子に、港浦は申し訳なさげに声をかけた。

「誤解しないで欲しいんだが、編集長も君の才能は認めているんだ。でも・・まだ『昴』に載せるのは早いんじゃないかって。だ、だから、今まで通り少女雑誌や大衆誌なんかで経験をつんで機会を・・」

文芸雑誌『昴』は純文学を志す愛子にとって目標とする雑誌で、小説を持ち込むたびに『昴』でとお願いしていた。

「それは、やはり私が女だからでしょうか」
「いや、そんなことは・・最近は女性の作家さんも増えているし、そういうことで掲載しないというんじゃ・・ないよ?あくまで経験というか・・」
「本当ですか?」
「も、もちろん」

苦笑いする港浦を、疑うように見て愛子は手元の原稿を渡す。納得したわけではないが、これ以上問い詰めても仕方ないことを経験上知っていた。

「そうそう、前に書いてもらった『念生物』。あれ読者の反応がすごく良くてね、ぜひ続きを書いてくれないかと上からも言われてるんだけど。どうだろうか」
「・・あの話ですか。あれは少し大衆向けに書いた話ですので・・あまり」
「そ、そう言わずに・・いや、実は今度新しく創刊する本があるんだが、それに『念生物』の続きを載せれたらと」

『念生物』は港浦に大衆誌向けに生物学を取り入れた話を、と言われて書いた作品だ。愛子としては娯楽に偏りすぎな気がして、好評といわれても少し複雑な気持ちだった。学問的要素を取り入れるならもっと真面目な作品にしたかったのもある。

「また、娯楽小説ですか?」
「いや・・まあ・・あ!でも最近は娯楽小説にも有名な先生が書いていたりするんだよ?例えば・・その新創刊の『飛翔』なんかは今話題の新進気鋭の先生が一同に名を連ねていて、あの新妻先生の連載も載る予定なんだから」
「新妻?・・新妻エイジ先生ですか」

愛子は僅かに目を見開く。彼が文壇に登場した時それは鮮烈で、熱狂的な読者を獲得した。まだ10代の少年だったことで当時様々な物議を醸したのは記憶に新しい。今も数誌に渡って連載しており、どの雑誌でも看板作家となっている。
作風は愛子の求める純文学とは異なるが、心が沸き立つような感覚を与える大衆向けの作品が主である。しかしその圧倒的な面白さは、他の大衆作家とは一線を画していた。

「あと冒険活劇で有名な福田真太先生や、推理物の亜城木夢叶先生、女流詩人の蒼樹紅先生も執筆が決まっている。ほらなかなかの面子だろう?」

『飛翔・創刊号(見本)』と書かれた紙を見せる港浦の顔はいきいきとしている。
確かにどの名前も聞いたことがあり、愛子よりもずっと名が売れている作家ばかりだった。新創刊の大衆誌と聞いて少々侮っていたが、布陣を見るにそれほど悪い本ではないかもしれない。

(蒼樹紅・・青木先輩もいるのね)

女学校と大学の先輩であり、名家のお嬢様で才色兼備と有名人であった。直接話したことはあまりないが、同性の作家として尊敬している。文壇はまだまだ男社会であるから、蒼樹紅のように男と肩を並べて活躍している作家は見ていてこちらも勇気づけられた。

「だからどうだろう、創刊号・・は間に合わなくても次の号に『念生物』の続編、いや変化した『念生物』を書いてもらえないかな」

期待を込めた目でこちらを見る港浦に、愛子は片眉を軽く上げる。彼は頼みながらも心の中では書かせることを既に決めている。さきほどから発言と態度にそれが透けて見えて、素直に応じることができない。しかし断るのも少し惜しい。

「考えておきます」
「そ、そうか。返事はいつ頃もらえるのかな?」
「?・・お急ぎなんですか?」
「まあ、それは・・」
「では近日中に」

港浦は「わかった」と肯き、手元にある作家一覧が書かれた紙に『秋名愛子』と書く。ふと自分の筆名を見て、愛子は少し複雑な気持ちになった。
秋、という字は特定の人物への敬愛の印しであった。本名の岩瀬では色々と都合が悪く、ひそやかな乙女心を忍ばせて考えた名前が『秋名愛子』だった。
違う筆名にしようかしら、そう思わないでもないが慣れ親しんだ名である。それにここで変えてはまるで失恋の腹いせのようでもあるし、秋人の縁談に動揺している自分をまだ認めたくなくて、改名はしばらくはよそうと決めた。

急にバタバタと人の出入りがあり、編集部内が混雑してくる。どうやら行方不明の大先生がなかなか見つからないらしい。警察に、という声も聞こえてきて空気が張り詰めてくる。
これ以上長居しないほうが良さそうだと、愛子は風呂敷をハンドバッグに入れて退室の支度をした。

「それでは失礼いたします」
「ああ、じゃあ今日の原稿読み終わったら連絡するよ。その時に『念生物』の返事もいいかな?」
「わかりました。それと・・先に言っておきますが今日お渡しした原稿、一字一句、改行も含め手直しはなさらないで下さいね」
「わ、わかってるよ」

厳しい目で港浦を見て、愛子は編集部のドアを開けた。背後で編集者同士のやりとりが耳に入り、ふいに「新妻先生」という言葉が聞こえた気がして振り返る。
新妻先生とは、新妻エイジのことだろうか。では、いなくなったのは・・・。
多少の関心は沸いたもののそれ以上興味を持つことはなく。愛子はそのままドアを通り階段を下りた。





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