gondora





浪漫溢れたその時代。

文明開化からの近代化、思想の開放。アールヌーボーやアールデコ、ダダイズムやアナキズム。花開く大衆文化。
時代の風が一気に吹き抜けて老いも若きも男も女も、夢と野望に躍動する。




◆◇◆


黒い釣鐘型の帽子をかぶり、愛子は自室の襖を開ける。ちょうど通りかかったらしい母親が、こちらの姿を見て眉をひそめるのが分かった。

「愛子さん、またお出かけなの?洋装なんて・・ただでさえ髪を切ったばかりだというのに、そんな格好をして」
「お母さんも一度洋装すれば分かりますよ、とても動きやすいんですから」
「あのね、あなたは女なのよ?女が着る物に動きやすさを求めるなんて・・恥ずかしいことよ?」

葡萄色のシックなワンピースを嫌そうに見る母親に、愛子はとくに表情を変えずいつものことと聞き流す。それよりも時間が気になって、廊下の置時計をちらと見た。
良妻賢母を絶対とする母親に、これまで何度となくウーマンリブや女性差別について説いてきたが水掛け論にしかならないので、愛子はこれ以上話を発展させる気はなかった。

「約束の時間に遅れそうなので。すぐ戻りますから」
「お約束だなんて言って、また出版社ね?まったくあなたという人は・・」
「ごめんなさい、お話は帰ってから聞きますから」
「前から言ってますけど、あなたがどうしてもと言うから女子大に行くのを許しましたけど、卒業したら約束どおり婿養子を取って家を継いでもらいますからね?」
「わかってます。なのでそれまでは好きにさせていただきますね?」

いつものやりとりを繰り返すと、愛子はすました顔で通り過ぎる。母親は面白くなさそうであったが、急に「そうだわ」となにかを思い出したように声を上げた。
これ以上時間を取られたくなかったが、次に出た言葉に愛子の足は止まってしまった。

「高木さんのとこの秋人さん、ご縁談が決まったそうよ」

思わず振り返り、母の顔を注視する。

「え・・?秋人、高木秋人さん?」
「ええ。ご次男の。さっき奥様がみえられたんだけど、お相手は見吉不動産のお嬢さんですって。愛子さんもご存知でしょう?たしか女学校が同じだったわよねぇ」
「・・・はい」
「でもねぇ・・お目出度いことなんでしょうけど、お母さん少し複雑だわ。秋人さんご次男だし、出来たらうちに婿養子にって思っていたものだから。秋人さんが帝大に行くって聞いた時に、それとなくあちらにお伝えしておけばよかった」

そう言ってため息をつく母親に、愛子は動揺を悟られないよう背を向ける。
心臓が強い力で握られたみたいに痛くて、軽く目眩がした。何も言わず歩き出すと背中から母の声が聞こえたが、愛子の耳には入らなかった。

(彼が、結婚)

秋人とは幼い頃からの知り合いだった。愛子の家は安政の代から続く老舗の薬問屋、秋人の父親は薬局方の役人で、親同士が仕事上の関係もあり子供の頃に何度か会ったことがあった。
成長してからは疎遠になってはいるが、愛子にとって秋人は特別な存在だった。幼少の頃より淡い想いを抱いていて、初恋といってもいいと思う。昔から神童と呼ばれるほど賢くて、なのにそれを鼻にかけない気さくさが好きだった。

その彼が結婚するらしい。
別に自分が結婚したかったわけではないのに、ひどく動揺している自分がいた。

愛子は女性の地位について色々と勉強しており、結婚制度そのものに多少の冷ややかさを持っている。両親には言ってないが大学を卒業するまでに職業婦人としての基盤を作り、いずれは自立するつもりだ。
そして昔から作家になりたいという夢があり、それを叶えるべく出版社に通っている。なので他人の結婚に狼狽えるのはおかしいと分かっている。自分には関係のないことなのだから、とも思っている。

なのに、どうしてもやり切れない苛立ちが胸に芽生えた。
それは秋人に対してか見吉に対してか、それとも両方なのか。はっきり言えるのは、秋人に対して裏切られたような気持ちになったことである。
愛子が記憶する見吉香耶は、知性とは程遠い女だった。女学校での成績も甲乙丙丁の丙が殆どであったし、目立つことといえば体育くらい。あとは友人を作るのが妙に上手かっただけだ。特別美しくもなく、秀でたものも感じられない。

(がっかりだわ、高木くんが・・そういう人だったなんて)

心の中の一番美しかったものを汚されたような気分だった。
親同士が決めた縁組だとしても、最終的に決断したのは彼のはず。結局は秋人も、自分より愚かな女を好む一般的な男となにも変わりはなかったということなのか。
今まで崇拝に近い感情を抱いていただけに、悔しさが込み上げてくるのを抑え切れなかった。

愛子は裏口から家を出る。表口は店と繋がっており洋装姿では色々と面倒なため、最近は出かける時は裏口からが常であった。家は本町の薬品問屋街でも一二を争う大店であり、一人娘となればそれなりに近所の目も気にしなければならない。
ストラップシューズを履き原稿を包んだ風呂敷を小脇に抱えて歩き出す。通りを掃除していた誰かに挨拶されたが、さきほどの話で気持ちが乱れていて返すことが出来なかった。
出版社がある神保町まではいつも徒歩で行き、途中から力車に頼む。けれど今日はなんだか歩く気力が足りなくて、早々と力車を頼もうと広い通りに出るが、こんな日に限って客待ちの車はなかった。

(仕方ないわね、歩きましょう)

沈んだ気持ちは足を重くさせる。しかし歩いているうちに見頃を迎えた桜並木の側を通ると、気持ちは少しだけ軽くなってきた。
風が花びらを揺らし、淡色の雪を降らせる。その様は純粋に美しく、見上げた愛子の顔が自然と和らいだ。ささくれだった気分も少し落ち着いてきた時、ふいに同じように桜を見上げる人影があるのに気づく。

男だ。若い男。
年頃は自分と同じくらいだろうか。くたびれたシャツの上に濃紺の着物、鼠色の縞の袴。書生風のその男は口を開けて、ぼんやりと桜を見上げている。
なんとなく目を逸らしそびれたのは、童子のように短い前髪と不揃いの髪形が気になって。舞い散る桜を見上げる男の目は、細い眉のせいかどこか鋭さが見えて、愛子は瞬きを忘れた。

桜よりも男の視線に目を奪われる。桜を見るには鋭すぎる光に、惹き付けられる。

その時、急に強い風が吹き抜けて男が大きなクシャミをした。それにハッとした愛子は、急いで目を逸らして足を速める。こちらの視線に気づいていたのだろうかと、恥ずかしくなった。
やや小走りで駆けていく瞬間、男がこちらを向いたのが分かった。たったそれだけが無性に恥ずかしくて、愛子はうつむいて桜並木を通り過ぎる。
通りの向こうに客を降ろしたばかりの力車が見えたので、急いでるふうを装って。





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