gondora


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『わたしの魂もまた、ほとばしる泉である』 ニーチェ (第二部夜の歌より)



◆◇◆



そのケヤキの机は、いかにも文豪という人が使いそうな重厚な印象を与えた。

文机の前にしゃがむようにして万年筆を動かしている青年は、猫背とその独特の髪型のせいか、少年のようにも見える。
原稿用紙を前に、筆は息をするかのようによどみなく動く。達筆とは言い難い乱筆は、一部の編集者にしか読めないことで有名であった。

「新妻くん、この新しく出たヒロイン『黒令嬢』なかなかいいね。この子もいずれ『鴉』にするの?」

新妻、と呼ばれた青年は顔を半分だけ向けて、原稿を読んでいる男に答える。

「そのつもりですけど、まだわかりません」
「・・でも珍しいね、こういうお高くとまったキャラは嫌いなのかと思ってたよ」
「べつに嫌いじゃないですケド。今まで周りにいないので想像もつかなかっただけです」
「ん?今までって・・じゃあなに、このキャラに似たモデルいるの?」
「一割はそうです」
「一割?どういうこと?」
「・・・しつこいですね、雄二郎さん」

ややうんざりした様子でそう言うと、止まっていた万年筆を再び動かした。

新妻エイジ、彼は押しも押されぬ人気作家の一人である。
数誌に渡り連載しており、代表作は「黒鴉」という異聞奇譚。以前は別雑誌の看板作品であったが「飛翔」が創刊される際に、編集長が口説き落とし、掲載誌移動と相成った。
文壇に鮮烈なデビューを飾った彼だったが、実像を知っている人間は少ない。その為、様々な憶測をされていたりもする。

エイジは筆を動かしながら、ふいに窓から入ってきた風の冷たさに視線を上げた。
暦は7月で止まったままだが、既に9月も彼岸を過ぎたことを知っている。夏が駆け抜けて、また秋になっていた。

『・・・あなた、4年もの間なにをしていたの?』

声も忘れてしまった彼女の言葉を思い出す。あれは春、桜咲く頃のできごと。
張り詰めた硬質さは、どこか脆く、透明で。遠い昔に読んだ神話に出てくる乙女のようだった。


「そういえば、いつからだっけ?松さんいなくなるの」

雄二郎の声にまた筆を止める。松さんというのは、エイジの家に通いで来ているお手伝いさんだ。

「明後日からです。ほんとはすぐにでも行きたいらしいですけど、汽車の切符が取れなかったらしいです」
「息子さん、そんなに具合よくないの?」
「さあ、ちょっとわからないです。でも電報じゃなかったらしいんで、急なことではないようですけど」
「そっか・・でも困ったね。新妻くん明後日から大変じゃない?代わりの人も呼んでないんでしょ?」
「べつに、ひと月くらいですから。食堂もありますし、洗濯するほど着物もないですし」
「そ、そうだけど」

でもやっぱり誰かいたほうが・・という雄二郎の呟きを聞きながら、ふいにエイジは今年の春に原稿を持ったまま行方をくらました時、彼に多大な迷惑をかけたことを思い出した。
ちょっとした東京見物のつもりだったが「飛翔」の原稿を持って消えたせいで、輯英社の編集部には他社の編集者まで乗り込んできたらしい。日も暮れかけた頃、浅草にいたエイジを見つけた時の雄二郎は、汗だくながらも顔色は青かった。
その後、編集部の提案により住み慣れた下宿から今いる御茶ノ水の一軒家へと引っ越した。表向きの理由はいろいろあったが、本当のところはすぐ編集が駆け付けれる場所に置いておきたいのだろう、吉祥寺は遠かったようだから。
とはいえ、エイジもこの新居を気にいっていた。明治中頃にフランス人が住んでいたというこの家は、日本家屋でありながら所々西洋風でもあり、それは目新しくモダンに感じられた。

「ねぇ新妻くん、こないだ言ったことなんだけどさ・・」
「こないだ?・・ああ、弟子のことですか?前にも言いましたけど、弟子を持つほど僕偉くないですケド」
「で、でもほら、新妻くんくらい忙しい作家なら書生の一人や二人いてもおかしくないんだよ?身の回りの用事をしてもらったり、いろいろ捗ると思うけど」
「うーん・・そんなお手伝いさんみたいなことさせられないです」
「もちろん弟子の作品に目を通してあげたり、面白い作品だったら新妻くん推薦で僕に見せてくれてもいいし・・後進を育てるっていう意味もあるんだよ」

そう熱心に説く雄二郎の思惑を、なんとなくエイジは気づいている。心配なのだろう、いろいろと。以前の騒動では編集長に絞られたらしいので、その点は申し訳ないと思っていた。
エイジは原稿用紙に頁数を書きこみ、ふーっと息をつく。雄二郎には上京する前から世話になっているので、弟子という名の見張りが増えるくらいたいしたことではない。

「わかりました。いいですよ」

振り返り肯くと、雄二郎の顔に安堵の色が浮かんだ。
エイジは机から新しい原稿用紙を取り出し、次の作品に取りかかる。文学の神様に愛された青年は、易々とその手から物語を紡ぎ出す。編集者になり、今まで数多の作家と知り合った雄二郎だったが、エイジのような作家は初めてだった。

「あ、そうだ忘れてた。飛翔の第二号の見本版、持ってきてたんだ」

文机の横に置き、かわりに書きあげたばかりの原稿を拾う。枚数を確認して持ってきた封筒に入れた。
エイジは雑誌に目をやった後、なにかを発見したのか興味深げに目を瞠らせる。

「この『念生物』って・・前に別のとこで書いてましたよね」
「え?ああ、秋名愛子だっけ?少女小説で少し書いていたみたいだけど・・なに新妻くん、この作家知ってるの?」
「いえ書いた人は知りませんケド、前に読んだ『念生物』すごく面白かったですから・・ん?あれれ?連載じゃないんですか?これ」
「意外だな、新妻くん好きなの?こういう作品。ちょっと小難しくて、純文学くさくない?」
「なに言ってるんです、そこが面白いんです。こういう話を大衆向けに書くっていう発想がいいんです」

そう言って雑誌を手にするエイジを、雄二郎は珍しそうに見ながら「なるほどね」と返す。鞄に原稿の入った封筒をしまいながら、ふと思いだしたように口を開いた。

「ああそうだ、次の〆切のことなんだけど・・」

けれどエイジは夢中で飛翔を読んでおり、こちらの声は耳に届いてなさそうで。こういう時の彼に何を言っても無駄であることを、雄二郎はよく分かっていた。
やれやれと肩をすくめた後、鞄を肩にかけ立ち上がる。

「じゃあ、行くよ。今度はお弟子さんを連れてくるからね」

やや声を張って告げたあと、障子戸を開けて部屋から出ていった。






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