gondora


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若手ながら実力派と呼ばれる亜城木夢叶は推理物を得意とする作家で、新妻エイジほどではないが人気作家である。愛子もいくつか読んだことがあり、作中の巧妙な仕掛けに関心させられた覚えがあった。
港浦が担当しているとは初耳だ。最近のことだろうか。

「秋名さん、亜城木くんと面識はある?」
「いえ・・」
「そうなんだ。新妻くんとちょっと縁のある先生だから、お弟子さんになれば会えると思うよ」
「・・・・」

終わった話をぶり返され、まだ諦めていないのかと呆れる。そんな愛子の様子を察したのか雄二郎は「冗談だよ」と笑ってごまかした。

「いや、でも新妻くんとはホントにちょっとあるんだよ?同じ雑誌に掲載されたいって出版社と喧嘩までしたくらいだから」
「・・喧嘩」
「喧嘩っていうのは大げさか、一悶着って言えばいいかな。とにかく新妻くんと競いたくて『飛翔』に書いてるって言っても過言じゃないかもね。年も近いし、ライバルに思っているんだろうな」

熱っぽく語る男に、愛子はやや白けたような視線を向ける。ずいぶんお喋りな人だ。港浦もそうだが、編集者というのはお喋りな人が多いのだろうか。それとも彼の場合、亜城木をつかって担当の新妻エイジを暗に持ち上げているのだろうか。

(・・・帰ろうかしら)

雄二郎のおかげか、当初の憤りはずいぶん凪いでしまった。いや、実のところまだ燻ってはいるのだが、どうにも締まらない成り行きにここは出直した方がよさそうだと感じてくる。
愛子は一息ついて椅子から立ち上がると、雄二郎にむかって一礼した。

「帰ります。港浦さんには、また明日来ますとお伝えください」
「明日?ええと・・うん分かった。伝えときます」
「では、お邪魔いたしました」

すぐ横の扉を開けようと手を伸ばす。けれど持ち手は愛子が触れる前に動き、開いた。
ガチャリと重たげな音とともに、人影が見えた。学生服と襟巻が視界に映り、心臓が大きく跳ねる。その編集部に入ってきた男に愛子は見覚えがあった。

(まさか)

いるはずのない場所にいるはずのない人を見て、衝撃から身体が震える。見間違えではない、間違いなく彼だ。
高木秋人、その人だ。

(どうして?どうして高木くんが・・ここに?)

開いた扉が死角になっているせいで、秋人はこちらに気づいていない。こうして間近で彼を見るのは数年ぶりになる。
あの時はそれほど変わらなかった身長が、今はずいぶん抜かされてしまった。
秋人は背後にいるらしい誰かに「あれ?まだ戻ってないみたいだ」と声をかけ、ちょうど視界に入ったのか雄二郎に頭を下げる。

「失礼します。港浦さん、まだ戻ってないですか?」
「え?一緒だったんだろ?」
「ええ。さっき下の喫茶室で打ち合わせ終えたとこなんですけど、港浦さんに見せた資料を返してもらうの忘れちゃって」
「ああ、それならすぐ戻ってくるだろうからここで待ってるといいよ」
「すいません、ほらサイコー、中で待ってようぜ」

秋人は雄二郎の横にいる愛子を一瞥もせず、編集部へ入ってきた。皆が彼を知っている様子なのが不思議で、混乱する。
サイコーと呼ばれた青年はやや暗い面持ちで入ってきたが、雄二郎を見ると少しだけ表情を和らげた。すすめられるまま奥へと向かう二人を見ながら、愛子は雄二郎に問いかける。

「あの・・今の方は・・」

喉の奥が締め付けられ、声がかすれていた。

「噂をすれば、だね。彼らがさっき話した亜城木夢叶だよ」
「彼ら?一人ではないのですか?」
「そう、亜城木夢叶は二人組なんだ」

どくん、と耳の奥で鼓動が聞こえる。と同時に「やはり」と思う自分もいた。彼の口から港浦の名前が出たときから、どこかで予想していたのかもしれない。
愛子の視線は秋人の背中に吸い寄せられていく。彼は自分と同じ作家になっていた・・不思議な繋がりに驚きながらも、それ以上に嬉しさがこみ上がる。
縁談が決まったと聞いて沈まったはずの想いは、本人を目の前にして急速に疼きはじめた。
声をかけてみようか、同じ『飛翔』に載っている作家として。岩瀬愛子ではなく秋名愛子として挨拶するなら、なんのやましさもない。
久しぶりに会った彼は、あいかわらず清爽としていて胸が高鳴る。惜しむらくは自分の着物がありふれた銘仙で、それも普段着なこと。秋人は帝大生らしく学生帽と学生服姿で。臙脂色の襟巻は少し軟派ではあったが、彼がしていると不思議と洒落て見えた。

「・・・・高木くん」

緊張のせいか声がうまく出ない。案の定、編集部の喧騒にかき消され彼のもとへ届かなかった。もう一度、今度はちゃんと呼ぼうと軽く息を吸う。
その時視線を感じたのか、談笑中の秋人がこちらを見た。目と目が合って、心臓がまた大きく跳ねる。間違いなく彼は愛子をその視界に入れた。
一瞬、いや数秒か。金縛りにかかったように動けなくなる。けれどそんな愛子をよそに、秋人は軽い会釈をしただけで再び談笑へと戻ってしまった。

(えっ?)

なにが起きたのか理解できず、目を瞬かせる。
目と目が合って互いを認識した。それは間違いないのに、あまりに素っ気ない他人行儀な態度に戸惑った。

(今のって・・そんな、まさか)

ざわざわと嫌な予感に顔がこわばる。「他人行儀」ではない、秋人は愛子を本当に「他人」だと思っているのだ。忘れているのだ、岩瀬愛子という人間を。

「・・・・・・」

震えた指先をこぶしで握り、下唇をぎゅうと噛みしめる。胸が締め付けられて息をするのも苦しい。それは怒りと悔しさと失望が入り混じった、たとえようのない感情だった。
子供のころから大切にしていた宝物が、崩れ、褪せていく。幼い頃より好意を抱きひそかに敬愛していた相手は、こちらを覚えてもいなかった。
一方的に想いを寄せていたのは愛子だと分かっている。けれどそれをすんなりと受け入れるほど、冷静でも、大人でもなかった。

向かおうとしていた足を戻し、編集部の扉を開ける。騒がしい音を背にしながら、愛子は速足でその場から去った。
階段を駆け下りて一階へ向かう時、今ちょうど上ろうとしている港浦とばったり出くわす。その四角い顔が驚きつつも気まずそうな表情を見せると、愛子はかっと目を剥いて港浦を睨みつけた。

「・・・港浦さん」
「あ、秋名くん・・来てたんだね」

顔を引き攣らせ額に汗がにじむそのさまは、蛇に睨まれた蛙のごとく。

「あなたにはたっぷりと伺いたいことがあります。明日また参りますので、覚悟しておいて下さい」
「は・・はい。あの、あ、秋名くん・・その、連載の件は」
「言い訳は、明日伺います」

そう告げて港浦の横を通り過ぎる。瞬間、彼に似つかわしくない珈琲の香りがして愛子は眉をひそめた。おそらく、亜城木と打ち合わせした時に飲んだものだろう。それだけのことが無性に癪にさわり、愛子の足を止めた。
渦巻く感情の正体は愛子も知らない。憎しみでも嫉妬でもなく、それは悔しさと腹立たしさに雑じる言いようのない惨めさ。

(高木・・いえ、亜城木夢叶)

その時、唐突に雄二郎の言葉が頭を過ぎる。

『年も近いし、ライバルに思っているんだろうな』
『新妻くんと競いたくて『飛翔』に書いてるって言っても過言じゃないかもね』

新妻エイジ。
たった一つの名前が、頭の中を通り過ぎていく。純粋な興味といくばくかの打算が思考の混乱を招いている。分かっていたが、既に止められなかった。
振り返り、編集部へと向かおうとする港浦へ声を放つ。


「ちょっとお待ちなさい!」


それが、あまり望んでなかった再会に繋がるとは思いもせずに。





END

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