3 「っ・・気色悪いこと言うんじゃねぇ、俺はそんなヤバイ女はやめた方がいいって思ってるだけだ」 舌打ちして二人を睨みつけるが、ティエドールはうんうんと頷き顔をとろかしながら。 「いいかい?呪いなんて怖くないよ。マーくんの愛の力がそんな呪いも吹き飛ばしてくれるから」 「ああ?何だよ、別に怖かねぇよ。つか何だよ愛の力って」 そもそも別に恋人同士でもないだろ。ティエドールのお花畑な脳内では、既に結婚秒読みまで行ってるらしい。 元々が暴走しがちな思考をしているが、長く無かった長男の浮いた話に、心は雲の上まで舞い上がっている。 コムイは何かを思い付いたようで、掌をポンと叩くと。 「もしそうなると、シェリル殿やティキ殿と親戚になるんだねぇ。神田くんには二人もお兄ちゃんが出来るのか」 「・・・・なに?」 「何だか不思議な気分だね、あの二人と縁続きになるなんて。でもそれはそれで楽しいかもね」 「なんつった、今」 「え?ああ、楽しいよね親戚が増えていくのって。ほら、身近な親戚って僕らしか・・」 「そこじゃねぇっ!」 咄嗟に勢いよく立ち上がる神田の額には、くっきりと青筋が見えた。 コムイの言葉が何度も頭の中で反芻して、衝撃に頭の中がぐわんぐわんと鳴っている。 (絶っっ対に・・嫌だっ!) 脳裏に浮かぶのは昨夜の、縮れ毛。癖毛なんかじゃねぇ、あんなのは縮れ毛だ。チリチリとした下品な髪に猥褻な泣きボクロ。思い出すだけで虫ずが走る。 『女みてぇなツラしてんな、お前ホントに股のもんついてんの?』 せせら笑う姿を思いだし、神田の拳はプルプルと震えた。 以前から好きではなかった、いや嫌いだった。大嫌いだったが、さらにさらに嫌い、いやもう嫌いとかいうレベルじゃない。 (やっぱり昨日、一思いに殺っておけばよかった) あんなのと縁続きになるくらいなら、死んだほうがましだ。 よりにもよって、あんな野郎の妹が寄ってくるなんて。自分もマリも色々とついてない。 「俺は・・」 反対だっ!と、強く抗議の声を上げようとしたその時。 「失礼します、こちらにマリ様はいらしてますか?」 几帳後ろの廂から高い女の声がして、神田の声は遮られてしまった。 「あの、今、マリ様にお届けものがありまして・・こちらにいらっしゃらないですか?」 女房の蝋花が文箱を持って、集まっている三人を不思議そうに見ている。 蝋花は普段はリナリー付きだが、手が空いた時は家の仕事もやってくれるという、気が利く女房だ。 「・・届けもの?」 「はい、キャメロット様からのお使いの方がおみえでして」 「なに・・!?」 三人がいっせいに自分を見たので、蝋花はたじろぎ顔が引き攣る。 神田がずいっと前に出て文箱をじろりと睨む。まるで危険物でも見るような目つきだ。 「それか」 「へ?あ、はい・・あの?」 神田の背後には、打って変わりキラキラと期待を込めた瞳の、ティエドールとコムイが蝋花を見ていて、こちらもかなり怖い。 「あの、皆様・・どうかしましたか?」 「貸せ」 「え?ど、どうしたんですか?」 神田は蝋花の手から文箱を強引に取ると小脇に抱えて、 「・・・俺が持っていく」 何か強い決意を込めたように眉を寄せると、呆気にとられる蝋花をよそに、神田は部屋から出て行った。 「・・ねぇ蝋花、あれは間違いなくキャメロット家からのもの?」 コムイがそっと確認すると、蝋花はハッとしたように我に返り頷く。 「は、はい」 「キャメロットって・・大納言の方?それとも中将?もしやミランダ姫?」 「すみません、あの・・キャメロット様としか伺ってませんで・・聞いてきますっ」 「あ、いやいや。いいんだ気にしないで」 首を振りニッコリと笑いながら、コムイは立ち上がる。ふと何かを思い付いたように目を細めると、妻戸を開けて出て行くのだった。 ◆◇◆ 筆をまた硯に置き、また筆をとる。何度か繰り返し、マリは悩むように頭を掻いた。 (・・・・・弱った) なんと書けばいいのか分からない。さっきから文机の前で、マリは困っていた。『忘れ物があるから返して欲しい』と書くのも妙である。 それならわざわざ手紙にしなくても、さっきティキに直接言えば良かったのだ。 ティキに言わず、後でこうして手紙を書くなど、これではまるで恋文ではないか。 (恋文?・・い、いや、違う。そうではない) ハッとして首を振る。違う、そういうのではない。そんな意味合いの手紙ではない。 しかし、じゃあなんだと言われれば困る。恋文ではないのだが、単なる忘れ物の問い合わせ?それも変だ。 「・・・・・」 また筆を置き、マリはため息をつく。いったい自分は何をやっているのだろうか。 コムイに事情を話した所、なぜかえらく手紙を書くよう勧められ、マリは押し切られるようにこうして硯の前にいる。 (ううむ) 正直言えば、かの姫を口説く気はマリにはない。例の噂を気にしているからではなく、元々色恋をあまり望む方ではないから。 女性不信というのではない、ただ恋愛に深く嵌まり込むのがマリは嫌なのだ。 盲目の自分が、何かに囚われ心まで見えなくなるのを、本能的に怖れているのかもしれない。 (・・やはり、もう一度ティキ殿に聞いてみるか) それが1番いいのだ、最初からそうすれば良かったのに、何かを間違えてこんな事になっている。マリは文机の上にある薄様を揃えまとめると、紙を入れていた箱に手を伸ばした。 ふと、聞き慣れた足音が耳に入り手を止める。神田だ。 どうしたのだろう、何か面白くない事でもあったのか、足音がいつもより重たい。また父のティエドールと何かあったのだろうか? 渡殿を渡り、廂をゆっくり歩き、神田はマリがいる部屋までたどり着くと、一瞬躊躇うように足を止める。その様子がどうも神田らしくなくて、マリは首を傾げた。 「神田か?」 「・・・ああ」 少し気まずそうな声音、ますますらしくない。怒り、というのでもないようだ。 何かを心に溜めて吐き出すのを躊躇うような・・・。 神田は何かを思い切るように、足音を立て部屋へ入ると、遮る几帳を手で押しのけマリの側へと立つ。 「・・・最初に言っておく、俺は反対だからな」 「?」 「おまえ、免疫ねぇから騙されんだよ。目ぇ覚ませ」 口をへの字に結び、仁王立ちでマリを見下ろす。 「・・神田、何を言っているんだ?」 「こんなのに捕まるくらいなら、誰でもいいからとっとと結婚しちまえ。女は他にもいるだろうが」 ポカンとした顔のマリに、押し付けるように文箱を渡した。 マリは何の事かさっぱり分からず、その文箱を受け取る。螺鈿の立派な装飾を施されたそれはマリの物ではない。 「・・なんだ?」 「知るか、おまえにだとよ」 「は?なんだって?」 「心当たりねぇとは言わせねぇぞ、さっきも言ったが俺は絶対反対だからな」 鼻息荒く言い放ち、神田は舌打ちしてマリを睨みつける。さっきから何の事かさっぱり分からず困惑するマリに、神田は苛立った様子で。 「縮れた髪は、もう・・うんざりだからなっ!」 言うなり几帳を足で蹴り飛ばし、ずんずんと大股で部屋から出て行った。 は?縮れた?ますます意味が分からない。マリは止まらないとは分かっているが、一応神田を呼び止める。 「神田、どこへ行くんだ」 弟はやはり足を止める事なく歩いて、廂を抜け渡殿を通る辺りで舌打ちしたのが聞こえた。縮れた髪・・・すぐに思い浮かぶのは、父であるティエドール。 (また、何かあったのか?) 父の弟への愛は強く深いのだが、それが弟の最大の精神的苦痛である。そしてそれは、マリにとっても頭痛のタネでもあった。 (やれやれ・・今度は何があったんだ?) ため息をつきつつ、文箱の紐を解く。結局誰からなのか分からないが箱を開け手を入れた。すぐに柔らかな感触がして、怪訝そうに眉を寄せるが、マリはそれが何かを悟り目を見開く。 「・・まさか」 指で確かめると、色は分からないが間違いなく李の花が描かれているのが分かる。これは、コムイの袱紗。マリがキャメロット邸に忘れてきた、あの袱紗であった。 どうしてここに・・?ティキ殿が見つけて届けてくれたのか?マリは驚きながら袱紗を手に取り、確認するように何度か撫でる。やっぱり間違いない。 「?」 微かに香りがするのに気づき、マリは手を止める。躊躇いながら袱紗に鼻を近づけると、ふわりと優しい匂い。 (これは・・藤袴?) 藤袴の花を乾燥させ香袋に入れたのに、よく似ていた。 それに気づくと、マリの心臓は早まり動揺して、思わず袱紗を強めに握り締める。恐らく・・いや、間違いなく、これはミランダ姫からの届け物だ。 この香りは、姫の袖に入れていた香袋のもの・・きっと袱紗も袖に忍ばせていたのだろう。 (・・・・・) それだけの事なのに、どうしようもなく心音は忙しく乱れる。 まさかこんな風に彼女から袱紗を返してくれるとは、思いもよらなかった。 文箱には結ばれた手紙が一つ。 マリはそれを取り、開くと指で文字をなぞる。目では読めないが、墨や筆使いで書いている事は分かるのだ。 (・・これは) 思わず笑みがこぼれた。なんの変哲もない文章だが、その筆使いや墨の濃淡でミランダ姫の人となりを感じる。 きっと緊張していたのだろう、紙の端に力を入れて指を置いたらしいシワがある。 文字は決して上手いとは言えないが、下手でもない。悩みながら書いたのか、文字と文字の間隔はやや広い。 『お預かりしたものをお返しします。申し訳ありません。失礼いたしました』 どちらかと言えば、あまり女性らしい柔らかな文章ではない。けれどその文字は自信なさそうに小さく、墨も薄くて。多分この人は、とても不器用な真面目な女性なのだろう。 (可愛らしい、人なのだな) マリは何度も、指で手紙をなぞる。不思議と気持ちが暖かくなっていくのを感じた。この感情の正体をマリは知らない。けれど何かが芽生えたのは自分でも分かる。 なぜなら、さっき悩んで置いた筆を、マリはもう一度手に取っていた。 あれ程重く感じた筆が今はとても軽く感じる。薄様を一枚取り、返事を書こうと文机に向かうと、コムイの袱紗を端に置いた。 彼女の懐か袖に入っていたその布を、マリはもう一度撫でる。 これは自分の物ではない、コムイに返さなければならない物だ。分かっているが、そう思うと何故か名残惜しくて。 (何を・・わたしは) マリはそんな自分に苦笑いをしつつ、滑らかに筆を動かすのだった。 End [*前] | [次#] |