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ぎぃ、ぎぃぃ、と牛車が揺れながら路を進んでいく。

その中で腕を組みながら、マリは珍しくぼんやりと、考えるように座っていた。さっきからずっと、ある事が胸に引っ掛かっていてすっきりとしない。

『為にならんよ』

いつも飄々として、冗談とも本気ともつかない、そんな話し方をするティキが。
あの一瞬、マリに釘を刺したように感じられた。気のせいかもしれないが、それがどうも腑に落ちない。

(妙だな・・)

マリは耳がいいから、相手の声の調子や何気ない息遣いで、言葉の真意をある程度は読み取る事ができる。

『好奇心なんてもんは、出さない方がいいぜ、何にせよ為にならんよ』

帰り際、さりげなく言われたあの言葉が、マリは気になっていた。
いつものように軽い調子ではあったが、言葉の端に何かを含んで、棘のようなものを感じた。

(・・・妹姫のこと、だろうか?)

不幸姫と巷で噂の、かの姫君の話はマリも耳にしたことはある。
何でも呪われているとか、言い寄る男に災いが降り懸かるらしい・・・という噂。
まあ、噂というのは往々にして大袈裟なものが多い。だいたいは信じるに価しないものが殆どだと、マリは思う。

現に今日会った彼女は、そんな恐ろしげな人には思えなかった。
衣擦れの音からして細身、やや背が高めなのだろう、座る時の動きでそれが分かる。か細い声は不安そうで、どこと無く頼りなげな印象を受けた。

(しかし、なぜ・・?)

今回キャメロット邸を訪れたのは、ティキの扇を届けに行ったのと、昨夜神田がした無礼へのお詫びである。妹姫とだって、何か特別な話をしていた訳ではない、たった一言二言、言葉を交わしただけだ。
それも途中ティキが現れて、まさかのあの振る舞いである。
マリはあまりに突然の事過ぎて、呆気にとられたまま何をどうする事もできなかった。
結局、訳が分からないまま狐につままれたような心持ちでいると、ティキが再び現れて、

『ああ、何でもないから』

いつもの調子で軽く言われ戸惑ったが、深く聞く事でもないしマリとしても何か言うべきではないと考え、そのままその場を流した。

「・・・・・・」

口元に拳をあて、マリは何度かティキの行動に考えを巡らすが、どうにも考えがまとまらない。いったいティキはなぜあんな真似をしたのだろうか。

(好奇心は・・・・為にならん、か)

普通の男なら例の噂が頭を過ぎり、ティキがそれを忠告しているのかと思うのだろう。
現に自分も、一瞬そういう意味にとらえた。けれどマリの耳はティキの声音に、微かな違和感を感じていた。

それは、意図的にそう仕向けているような・・。

(まさか、な)



◆◇◆


「なんだい、帰っていたのかい?」

邸に戻り、出仕の支度をしていると、ひょっこり現れた従兄弟の姿にマリは僅かに目を見開いた。

「コムイ、どうしたんだ?こんな朝に」
「いや、出仕の前に可愛い妹の顔を見に来たんだよ」
「相変わらずの溺愛ぶりだな、リナリーもこれではこちらに来た気もしないだろうに」

苦笑ぎみに言うと、コムイは不満そうに口を尖らせて。

「だいたい、僕はまだ東宮妃の件は反対だからね。本当はリナリーには僕の邸でずっと一緒に暮らしたかったのに」
「そうは言っても仕方ないだろう?東宮妃はリナリー本人が希望している事だし」

まだ入内は正式には決まっていないものの、リナリーはその為にティエドールの養女になった。
そして少し前にこの邸に引っ越しきたのである。

「まあね、いつの世も女性はお后様になりたがるものだし。僕としては入内の許しなんか無きゃいいと思ってるけど」
「まあそう言うなよ、リナリーは楽しみにしているんだから」

宥めるように言いながら、着替えを終えたマリは烏帽子を冠へと付け直した。

一つ年上のコムイは従兄弟にあたるが、血の繋がりはない。
というより、マリは父であるティエドールや弟の神田とも血は繋がってはいないのだ。

ティエドールは一度も結婚をした事はない。変わり者で有名な彼は、子供だけは欲しかったらしく、マリと神田は幼い頃に養子となったのだ。
ちなみに神田の苗字が違うのは、本人がティエドールの姓を名乗るのを嫌がったからで、愛称のようなものである。
今だに頑なに旧姓を名乗る弟へも、父のティエドールは深い愛情を注いでいる。

生さぬ仲ではあるが、ティエドールの息子達に対する愛情は実の子供と変わらない。いやそれ以上の愛情を見せてくれる。まあ、元々が変わり者だから、その愛情も少々変わっているが・・。

「そういえば、また断ったんだって?縁談」

共に御所へ出仕する為、渡殿を渡っているとコムイが思い出したように聞いてきた。

「どこから聞いたんだ?ずいぶん耳が早いな」
「君のお父上にね、随分と嘆いてらしたよ。今度は兵部卿の宮の姫君を袖にしたんだって?」
「袖も何も・・そういう打診があったら受けてもいいか、という話だ。まだ打診もされていない」

否定するように首を振ると、コムイは冗談でも言うように軽く笑いながら。

「どちらにしても、ティエドール家の長男で左近の中将がいつまでも独り身と言うのはねぇ」
「・・・・・」

何を言うか、とマリは内心苦笑した。それを言うならコムイこそ、である。
才能もあり、将来有望視されている青年公達の一人で。リナリーが入内して皇子でも産めば、未来の帝の伯父というのも有り得る。
まあ、ティエドール同様こちらもやや変わり者ではあるが、しかしそれを差し引いても十分魅力的な婿候補だ。

(どうも、妹以外は目に入らないようだからな)

昔から、リナリーへの溺愛ぶりは凄まじかった、それが長じてまでも続くとは思わなかったが。

「ああ、そういえば」

コムイがふと、思い出したように声を上げた。

「なんだ?」
「キャメロット邸にも、たしか一人いたね。姫が」
「・・ああ」

一瞬、マリはなぜかドキリとしてしまった。

「ミランダ姫と言ったっけ?彼女も可哀相に、あんな噂が無ければ今頃は後宮に入ってらしたかもしれないのに」
「後宮?」
「ああ、たしかそんな話があったらしいよ。今から10年も前の話だけど、女御は無理でも更衣くらいで入内するとか・・」

マリは初耳で、驚いたように目を見開く。コムイは思い出すように、視線を上に向けなが考えるように口を尖らして。

「シェリル殿が色々根回しして、帝もその気になっていたらしいけど、あの噂が広まって無しになったらしい」
「知らなかった・・そうだったのか」
「誰が言い出したか知らないけど、ヒドイ噂だよねぇ」

コムイはこの時代の人間にしては、珍しく呪いや物の怪の類いを信じないタイプの人間だ。信じないというより、振り回されないというのが真実かもしれないが。

(あの姫が・・後宮に)

マリは今日会った彼女の様子を思い出す。おとなしくて頼りない、あの姫に後宮のような場所はどうも不似合いに思えて。
それなりの才覚と気の強さが必要な、あの後宮へ上がらなかったのは、彼女にとっては良かったのではないだろうか。

(・・・・)

御簾ごしに、かの姫が安堵して微笑んだ時の事を思い出す。
扇を見て、ふ、と空気が和らいだ。子供のようにどこか無防備な、悪い意味ではないが高貴な姫君らしくない様子で。
目が見えない自分には、容姿の美醜は分からないが、ミランダという姫は心延えのいい女性だというのは分かる。

「マリ、どうかしたのかい?」
「あ、いや・・なんでもないよ」
「そうだ、たしか昨日、君の部屋に忘れ物をしたと思うんだけど」

牛車に乗る直前、コムイは思い出したように言ってきた。

「忘れ物?」
「ほら、横笛の調子が良くないから昨日持ってきたろ?その時に笛を包んでいた袱紗を忘れたんだよ」
「多分、あると思うが・・・どんなやつだ?」
「藍色の絹布でね、柄はあまり入ってないんだが・・白い李の花が描かれていたな。父の遺品の一つでね」
「そうか・・ちょっと待っていてくれるか?」

マリは牛車に乗ろうと屈んだ体を起こし、すぐ横にいた供のチャオジーを呼ぶと、

「悪いが、私の部屋に行って、藍色に白い李の花の絵がついた袱紗を持ってきて欲しい」
「藍色に、白い李ですか?」
「ああ。すぐに見つからないようなら、探しておいてくれないか」

チャオジーは少し考えて、やがて申し訳なさそうに声を落とすと。

「違ったらすいません、あの・・その袱紗でしたら今日キャメロット邸へ行く時に、お持ちじゃなかったですか?」
「なに?」
「扇を包むのに、袱紗を探してらして・・それでたしか、女房の蝋花さんが持ってきたのが藍色で白い花の模様でした」

言われて、あ、と思わず声が漏れる。そうだあれは自分のではない。
朝は、神田の事で慌ただしくて取り敢えず急いでいたものだがら、コムイの袱紗だと失念していた。

何せ、あのシェリルの弟であるティキを「斬った」と言って帰ってきたのだ。
目玉が飛び出る程驚いたが、取り敢えず「袖」だと聞いてホッとしたものの、帝からの下賜の印のついた扇もあり。マリが取りも直さず慌ててお詫びに、と出向いたのだ。

(ああそうだ・・確かコムイの袱紗は文机の引き出しにしまって・・それを今朝、蝋花に言って・・)

朝一で聞いた事もあり、珍しく気が動転していたのかもしれない。マリはうっかりコムイの忘れ物を使用してしまったようだ。

「・・すまないコムイ、袱紗はここにはない」

申し訳ない、と頭を下げると、コムイはそんなマリを珍しそうに見ながら。

「そうなの?・・じゃあどこにあるんだい?」
「それは・・・キャメロット邸に忘れてきてしまったんだ」
「なんだ、じゃあティキ殿に聞けばいいのかな」
「・・・・・・」

マリは考えるように眉間を寄せる。それも少し違う気がした。
ティキが袱紗の存在を知っているなら、あの時、釘を刺した時に返してくれたのではないか?
もし・・もしティキが持っていないとするなら、まさか妹姫が?・・・いや、ティキが忘れているだけかもしれない。

マリは落ち着かない、そわそわした気分になっていく。
ミランダ姫があの袱紗を持っているかもしれない、ただそれだけだと言うのに。

「マリ?」
「あ、いや・・そうだな・・後でわたしが聞いておくよ」
「?」

珍しく動揺した様子の従兄弟を見ながら、コムイは不思議そうに首を捻るのだった。


◆◇◆


御所の片隅にある階段に、物憂げな様子で座っているティキを、女官達は御簾ごしに眺めていた。

「まあ、ティキ様よ」
「相変わらずステキねぇ・・見てよ、あのご様子何を想ってらっしゃるのかしら」
「きっと昨夜のルル姫様との事じゃないの?ああもう羨ましいわぁ・・」
「ほんと、私なんか一夜のお慰みでもいいわ・・あのティキ様のお相手ができるなら」
「あの頬杖をついた姿・・なんだか陰があるのよねぇ。ドキドキしちゃう」

女達の熱い視線には気づかず、ティキはその美しい顔を僅かに歪めて、ため息をついた。

(・・・吐きそうだ)

二日酔いはまだ続いていた。ぐわんぐわんと頭が揺れた感覚が続いて、かなり不快である。
いつも二日酔いの時は「物忌み」と言ってずる休みするのだが、昨夜結婚している筈の自分が「日が悪い」と嘘をつく事もできない。

(ちくしょう・・シェリルめ)

実は「病欠」の届けを出そうとしていたのだが、シェリルに見つかり出仕へと叩き出されたのだった。

(うー・・気持ちわり)

参内したものの、仕事をする気にはなれず階段に座って時間を潰している。とにかく憂鬱だった。まだシェリルは自分とルルの結婚は諦めていない、是が非でも結婚をさせるとまだまだ熱い。

『いいかいティキ、たった一晩拒絶されただけじゃないか、まだあと二晩あるんだから』

千年公の邸から戻ったシェリルは、まだ床にいたティキの布団を引っぺがし熱弁をふるう。

『閂までされてどうやって入んだよ、塀でも登れってのかよ』
『いやいや、きっと恥ずかしがり屋さんなんだよ、ほら深窓の姫君だから』
『だいたい昨夜がダメで今夜が大丈夫だって何で分かんだよ、後朝の文だって出してねぇし』

後朝の文、というのは一夜を共にした二人が交わす手紙。次の夜の約束もこれでする。

『大丈夫、だろうと思って僕が代筆しといたから』
『はあ?』
『はい、これが返事ね』
『何だよ代筆って・・気持ち悪ぃな。しかも返事まであんのかよ』

面倒そうに文箱を受け取り、無造作に置いてある真っ白の紙を見る。嫌な予感がした。

『・・・・・白紙じゃねぇか』
『ああ、きっとティキの色に染めてくれとかいう意味だよ、今時めずらしい純粋な娘さんだね』
『結婚自体を白紙に戻すって意味だろ・・どう考えても』
『きっと照れ屋な性分なんだよ、素直になれなくてつい遠回りしちゃう、可愛いじゃないか』

無理にでもいい方向に考えさせて、なんとかその気にさせたいらしい。

『ティキ、君みたいに美しい公達はこの都にはいないよ、本気をだせばルル姫だってイチコロだって!』

だから頑張って、と手をぎゅうと握りしめてくるシェリルの顔は真剣である。
それはそうだろう、ロードの入内はこの結婚に掛かっていると言っても過言ではないのだ。




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