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ミランダはシーッと口に指をあて、ティキが寝ている部屋から離れようとロードの背中に手を宛てた。ロードはやや不満そうではあったが、口を尖らせたままミランダに従う。

利発そうな広めの額と長くけぶる睫毛、まだ幼女の名残を残すまあるい頬は柔らかそうで。あと数年経てばロードは素晴らしく美しく成長するだろう。

シェリルはロードを東宮(皇太子)であるアレンのもとへ、東宮妃として入内させようと考えているらしい。その為には千年公の後ろ盾が欲しいから、今回のティキとルルの結婚はシェリルには関係強固の大事だった筈だ。

何しろ、同じく東宮妃の座を狙うティエドール家のリナリー姫がいるのだから・・・。

(ティエドール家・・って)

そういえば、昨夜ティキが袖を切られたのもティエドール家の人間だったらしい。
ティキが何を言ったのかは分からないが、いきなり刀を抜くというのも少々乱暴すぎないだろうか。
袖だったから良いものを、もしティキの身に何かあれば大変な事だったとミランダは思う。
いつも虐められ迷惑ばかりかけられている兄ではあるが、やはり妹としては心配であった。

そもそもミランダの家、というか千年公の家とティエドール家は昔からあまり仲が良くない。

千年公は古くから歴史ある家柄で、公家として代々の帝にお仕えしていたが、ティエドール家は比較的新しく、突き詰めれば武家の出である。
変わり者という当主は今は内大臣を務めており、かなりの権勢を誇って今や飛ぶ鳥落とす勢いだ。

普段ティキから、武家というのは野蛮だと聞かされていたが、いきなり人に刀を向ける事実に、あながちティキの言う事も間違いではないのかもと思うのだった。


「ああ、こちらにいらしたんですね」

渡殿を珍しく急ぎ足で渡りながら、フェイがミランダを呼ぶ。

「大変です」
「?」
「ティキ様の扇が見つかりました」
「まあ、本当?」

ミランダの顔がぱあっと明るくなるが、フェイの表情は固いままである。

「・・ええ、今お持ち頂いて。それで・・ミランダ様、そのお客様のお相手をお願いできますか?」
「・・・・・えっ?」

ミランダの顔がピキンと強張った。

基本、女であるミランダが客人と接する事はない。いつもはシェリルかティキが相手するし、突然来るのは殆ど使いの者なので、女房が代わりに用件を受けるのだ。

「ど、どうして・・私が?シェリル兄様は・・?」

動揺し、じりと後ずさる。

「それが、朝早くにお出かけになられまして・・」
「多分、千年公んとこだと思うよ。ティッキーの事じゃない?」

ロードが何かを含むように笑い、フェイを見た。

「ティキ様は・・どうもお客様のお相手は難しそうですし」
「で、でも・・そんな」
「ねえねえ、お客って誰なのー?」
「それは・・・左近の中将ノイズ=マリ様です」

左近中将?ロードが考えるように唇に指をあて、んー?と首を捻ると。

「ああ、ティエドール家の一番上かぁ」

思い付いたように手を叩いた。
ティエドール、という名前にミランダがビクッと震える。
フェイが困ったようにチラッとロードを見て、それから意を決したようにミランダの手を取った。

「あちらはティエドール家のご長男、しかも左近衛の中将です。さすがに女房がお相手するのは失礼でございましょう?」
「そ、そうだけど・・でも」
「ご安心下さい、がっちり御簾でお守りしすぐ傍には私が添っております」
「で、でも、何を話せば・・」
「ご挨拶だけ。後は私が全て完璧に補佐いたしますので、お任せ下さい」
「・・・・」

そこまで言われて逃げられるはずもなく。ミランダは泣きそうな顔で、うなだれるように頷いた。

「ねぇねぇ、ボクも付き合ってあげようか?どんなのか見てみたいしぃ」
「いけません」

フェイは即答で却下する。

「えー?なんでぇ?」
「東宮妃になられるかもしれないお方が、軽々しくお姿をお見せになってはなりません」
「えええ・・ちぇーだ」

面白くなさそうに口を尖らせるが、隣のミランダの追い詰められた様子に気づき、すぐに楽しそうに目を細める。ミランダはフェイに逃げられないよう、手を掴まれ真っ青な顔で今にも倒れそうに見えた。

「さ、行きますよ」
「えええ・・い、今すぐなのっ?」
「当たり前です、さ、ほらっ」

よく掃除された廊が袴を踏むたびツルツルと滑り、ミランダは何度も転びそうになる。


腰が引けた状態でフェイに連れていかれるミランダを面白そうに見て、

「あ」

ロードは何かを思い付いたらしく、くるりと踵を返す。そうして今にも泣きそうなミランダの声を聞きながら、歩きだした。



◆◇◆


人に会うのは苦手だ。

たいていの人はあの噂を知っているから、ミランダが現れると顔を引き攣らせる。
一度など、そのまま逃げるように後退りし、ついでに転がるように庭へと落ちた。ちなみにそれもミランダのせいになった。
噂というのは一人歩きするものだから、とシェリルとフェイは慰めてくれたが、やはり落ち込む。

自分に会う時に、身構える誰かを見るのは辛かった。


御簾ごしに見えたその人が、あまりに大きいからミランダは手に持つ扇を落としそうになる。立派な体格。それだけで少し恐くて、ミランダは怯えるように袖と扇で顔を隠した。
フェイが御簾を挟んですぐ前にいる。ミランダの声をとりつぎしてくれる為だ。

「この度は、当家の者が大変ご無礼をいたしまして。誠に申し訳なく存じます」

低い、静かな声は落ち着いていて、立派な印象を受ける。
厳つく強面なせいかパッと見、恐そうに見えたがミランダは声を聞いて少しホッとした。

「・・・は、はい、あの、こちらこそ・・その」

返事をしなければと、小さな声でぽそぽそと呟き助けを求めるように、御簾ごしにフェイを見る。
フェイは心得ているようで、僅かに頷き。

「お仕事をなされただけですし、何よりわざわざ中将様が届けて下さり恐縮しております・・と申しております」

ミランダがそう言ったように伝える、フェイに頼もしさを感じホッと胸を撫で下ろす。
彼は袱紗に包んだ扇を取り出すと、それをフェイに差し出した。

「では、こちらに・・ご確認願えますかな」
「はい・・では」

受けとったフェイは御簾を軽く持ち上げ、ミランダへ渡す。
そっと袱紗を開くと、間違いないティキの扇である。男にしてはやや派手な柄、小さな傷も見覚えがあった。

(・・良かった)

安堵から、ほうと頬が緩む。
きっとティキも喜んでくれるだろう、と言っても当人は失くした事も知らないだろうが。

「あ、あのっ・・ありがとうございます、すいません」

嬉しくて、ついとりつぎのフェイがいるのも忘れ、彼に話し掛けてしまった。そんなミランダに驚いたのか、フェイは目を丸くして御簾に目をやる。
ハッとして口を押さえ、何となく頬が染まるのを感じ、恐る恐る彼の反応を窺うと。
さっきより少しだけ柔らかな表情に見えて、胸を撫で下ろす。不快には思われなかったようだ。
初対面なのに、とりづき無しに声をかけて無作法だと思われたかと、心配だった。

彼は御簾ごしにミランダを見ながら、

「いきなりの訪問は失礼かと迷いましたが・・安堵いたしました」

静かに言い、そっと微笑む。
それはとても当たり前の普通の言葉であったが、ミランダにはとても新鮮だった。
この人は私の噂を知らないのだろうか・・こんな風に他人から穏やかに話をされた事はここ最近ない。

たったそれだけなのに、ミランダは胸の中がほんのりと温かくなるのを感じた。

(お名前・・なんと言ったかしら)

ティエドール家の長男、それしかミランダの頭に記憶されていない。さっきフェイが名前を教えてくれた筈だが、何と言うのか忘れてしまった。
見た目はちょっと恐そうに見えたけれど、よく見ればこの彼の雰囲気や所作はとても上品だ。ティキがティエドールの家は成り上がりだから品がない、と言っていたが彼を見る限りそうは思えない。

(たしか・・ノイズ・・ノイズなんだったかしら・・)

思いだそうと視線を落とした時、遠くから苛立ったような忙しい足音が聞こえて、ミランダは顔を上げた。
渡殿を通り廊を歩き、その足音がずんずんと近づいて来ると、その主が誰か分かりミランダは顔が引き攣る。

妻戸をやや豪快に開け、現れたのはティキ。

「どうも」

ちらっと客人を見たが、それ以上構うことなくティキは奥の御簾へと向かう。

ミランダは突然現れた兄の行動にびっくりしてしまい、呆気にとられていた。フェイも同様で、ティキの考えがさっぱり掴めず。問答無用で御簾を開けてしまった様子に、何も出来ないでいた。

「お、お兄様・・?」
「・・・・・」

その口は面白くなさそうにへの字に曲がって、眉がピクと動いたのが分かった。


「あの・・どうし」
「黙れ」
「え?・・・!?」

そのままグイッと袿の襟足を引っ張られると、ミランダはティキの小脇に抱えられ御簾の外へと連れ出されてしまった。
突然の行動に何が起きたのか分からず、客人に姿を見られまいと慌てて袖で顔を隠す。
フェイが立ち上がり追いかけようとするが、客を一人にするわけもいかず、迷いから出遅れてしまった。

そのままミランダを抱え一言も口をきかず、ティキは妻戸へと向かう。
途中、すれ違うようにその彼がミランダの視界に入ると、さすがに驚いた様子なのを見て、居た堪れない気持ちになった。

いったいどうしたと言うのか。なぜ突然ティキはあんな事をしたのか。
妻戸を抜け廊を歩き渡殿も過ぎ、まるで荷物のように抱えられながらミランダは恥ずかしくて涙が出た。

立派な、穏やかな人に思えた。
あんなに大きな体をしているのに、ちっとも威圧的な感じはしなくて。

たった一言二言だけど、身構える事なく誰かと話が出来たのが、本当に嬉しかったのに。
涙を袖で拭い、鼻水をすする。どうやら近くの部屋へ入ったらしく、視界が暗くなる。
重たかったのか急に落とされ、ミランダは畳にゴロンと転がった。

そのまま、うずくまるように泣いているミランダの傍にティキはしゃがみ込み、

「めそめそ泣くなよ」
「・・だ、だって・・ひ、ヒドイですっ・・なんで、なんでっ」
「いいから泣くなよ、ほら床に染みがつく」
「うっ・・でも、でもっ・・ううっ」

ティキは懐紙を取り出し、ミランダの鼻に宛てる。ちーん、と子供のようにかませて、きれいな部分で涙を拭ってやった。
大きな瞳を涙でいっぱいにしてティキを見るから、少しだけバツが悪そうに目を逸らす。

「・・大丈夫だよ、アイツは目が見えねぇだから、お前の姿も何が起きたかも・・多分よく分かっちゃいねぇさ」
「え・・?」
「さっきのデカイ野郎だよ、ノイズ=マリ。お前が話してたヤツ」
「ノイズ=マリ・・」

目が見えない、という事に驚きながら、一方で彼の名前を知ってちょっと嬉しい自分もいた。

「あの、本当に見えてないんですか?そんなふうには思えなかったですけど・・」
「前に本人が言っていたから、間違いないだろ」

素っ気なく言い捨てて、ティキはうろんな目つきでミランダを見る。

「・・なに、気になってんの?」
「え?」
「お前さあ、見のほどを知れよ?誰がお前みたいな辛気臭い女、好んで相手にするかよ」
「そ、そんなっ・・私はそういうつもりじゃ・・」
「まあ、たまにいるかもしれないが、そういう奴は遊びだな。遊び。物珍しさで寄ってくんだけだからな」

言いながら、ミランダの眉間に人差し指を宛てる。

「わ、分かってます・・私は別に、そういうつもりじゃ」

あんまりな言い方に、ミランダは少しだけ拗ねるように視線をティキから外す。ティキは口の端を軽く上げ、ミランダの頭をポンポンと叩くと、

「ならいいけど」

目を細め、キュッと耳たぶを軽く抓った。

「・・・・・」

なんだかよく分からない内に、さっきの件は流されてしまったようだ。
どうしてあんな事をしたのか聞きたいけど、聞けばきっと不機嫌になるだろう。

過去の経験で、それが分かるだけに、ミランダは聞けないでいた。


「おい、それ俺のだろ」
「・・え?」

ミランダは手にがっちりと握りしめられている、扇にたった今気づく。
さっきの騒ぎの中でも、落としたりせず持っていたらしい。自分でもちょっと驚き、意外なふうに瞬きをした。

「あの、これ・・わざわざ届けにいらしてくれたんです・・ノイ・・いえ中将様が」

名前を言おうとしたら、ティキに軽く睨まれたので慌てて言い直す。ティキは、ふうん、と扇を取りパッと開いて、ジイッと検めると。

「うん、確かに俺のだ・・多分、昨日袖を切られた時に落ちたんだな・・ったく」

納得したのか懐へとしまい込んだ。

「ほかは?」
「・・ほか?」
「なんかこれ以外に持って来たりしてなかったか?」
「いえ、特には・・あの、何かあるんですか?」

キョトン、とした顔でティキを見る。

「・・・・ないなら、別にいい」

言うなり、ティキは立ち上がり、軽く身支度を整えすたすたと歩いて行く。

「お兄様、もう具合は・・大丈夫なんですか?」

恐る恐る聞くと、ティキは不機嫌そうな顔で振り返り、

「うかうか寝てられねぇだろ、またお前にホイホイ顔出されちゃ・・またどんな悪評が立つか」

舌打ちし、ティキは捨て台詞のように言うと、ミランダを見ることもなく客がいる部屋へ戻って行くのが見えた。

「・・・・・・」

ぽつんと残されたミランダは、ああそういう事かとさっきのティキの行動に一瞬納得しかけたが、にしてもやっぱりあれは無いだろうと、やや不満もあった。
ただでさえ『不幸姫』などと有り難くない噂があるのに、これ以上妙なオマケをつけられたくない。

ミランダは鼻水をすすり、なんだか疲れてしまった体をゆっくりと起こし立ち上がる。
ふと、滑るように何かが落ちた気がして振り返ると、藍色の渋めな色合いの袱紗が落ちていた。

「あら・・」

拾って、見る。
間違いない、さっきティキの扇を包んでいた袱紗。ノイズ=マリと言った彼の物だ。

(そうだわ、さっき返すのを忘れていたんだわ)

「・・・・・・」

思わず辺りを見回す、誰もいないのを確認すると、ミランダはそっとそれを懐へと忍ばせる。どうしてこんな事をしてしまうのか、自分でもよく分からない。本当なら彼に返さなければならないのに。
胸元に隠すように入れた柔らかな絹布。そっと手を宛てて、ミランダはなぜか胸の奥が温かくなるの感じていた。

目を伏せて瞼に浮かぶさっきの彼、ノイズ=マリを思い出す。
もうきっと会うことはないだろうが、たった一時でも話ができたのは、幸せだった。


もちろん、返すつもりでいるけれど。


ミランダはもう少しだけ、この嬉しさを感じていたくて、そのまま胸に手を宛てていた。








END



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