6 ◆◇◆ 満ちて欠けて月は姿を変える。 十五夜の満月は立待月、寝待月と変わり、二十三夜の下弦の月に形を変えた。 渡殿をするすると衣擦れの音をさせ、歩く。日も落ちて秋風はさらに冷たく冬の訪れを予感させたが、歩いている本人は心地よいらしく猫のように目を細めた。 そろそろ凍りそうな庭の小川をしゃがんで見ていると、人の気配がしたのでふり返る。 「まあ、ロードさま。こんな夜に何をされているんですか?」 声の主はミランダ付きの女房、フェイだった。 「散歩だよぉ。あと、ミランダんとこ遊びにいこうかと思ってさ」 「・・今何時だと思ってます?それに何度も言っておりますが、お一人でお出ましになるのはお止めください。もうお子様ではないんですから」 「はぁい、気をつけまーす」 聞き流すように軽く答えて、にやと口の端を上げる。その少女らしからぬ仕種は、ロードが纏う山吹の細長の衣装のせいか艶っぽさを醸し出していた。 フェイは眉を軽く上げまだ小言を続けようとしたが、彼女の視線が自分の手元へ注がれているのに気づく。螺鈿の美しい文箱は、興味をそそるらしい。 「これ、ミランダに?」 「・・・はい・・そうですが」 「へぇ、ふぅん、そうなんだぁ。なるほどね〜」 うふふ、と意味深に笑いながらミランダのいる対屋へ歩いていくロードに、フェイは口を尖らしややキツめに咎める。 「ですからいけませんと・・近々入内されるご予定の方が、このように軽々しく出歩いてはいけません」 「うーん、でもね、それ延期になったみたいだよ」 「とくに入内前は・・・・・え、え?延期?」 思わず目を見開いてロードを見る。肩を竦めて少女は口を尖らすと、面白くなさそうに「そう延期」と呟いた。 「延期って・・あの、どういうことなんでしょうか」 「ボクもね、さっき聞いたばっかりなんだけど。どうやら天の声があったらしくって、添い臥しは年上女に限るってことでリナリーに決まったみたい」 「・・・・・天の・・・帝の一声ですか」 添い臥しは、高貴な男子が元服した夜に添い寝をする役目のこと。たしかにリナリー姫は東宮であるアレンより一つ年上だ。 なんとも生々しいが、添い臥し役は「御手付き」としてそのまま結婚を意味している。 気まずそうな表情でロードを見る。なんと声をかけていいか分からないという風に。 「それは・・その、なんといいますか・・」 「うん、まぁ残念なんだけどさ、ボクよりお父様の方が落ち込んじゃってんだぁ。かわいそうに」 「シェリルさまが・・そうでしょうね」 フェイは神妙な顔で肯いたが、内心ではシェリルに同情はしていなかった。入内のためにミランダを陥れたことを、まだ許せていないのだ。 簀子を歩いていたロードは手を頭の後ろで組み、そんなフェイをちらと見て目を細める。まるで見透かしたようなその態度に、微かに眉をひそめた。 妻戸を開けて廂を通り、格子や御簾の仕切りを通るとミランダのいる母屋へたどり着いた。 「まぁ、どうしたのロードちゃん。こんな遅くに」 「ちょっと遊びにきたんだけど、お邪魔だったぁ?」 ミランダの手元にあった文台と薄様紙を見ながら言う。分かりやすく頬を染める叔母を尻目に、ロードはフェイの手から螺鈿の文箱を取った。 「ロードさま、それは・・」 「これって、例のティエドール家の長男からのでしょ。ミランダもやるなぁ、あのゴタゴタでちゃんと次につなげれるなんて」 「そ、そんな、これは、あの・・」 「いいからいいからぁ、良かったねぇ、ようやく春がきたんでしょ?おめでとう〜」 そう言って文箱を渡すと、ミランダはさらに顔が赤く染まる。自分よりはるかに年上の叔母なのに、子供のような反応をする彼女をロードは好きだった。 「で?あれからそれなりに日にちも経ったけど、今後のこととか考えてんのぉ?いい年なんだしさ、まぁ手紙もいいんだけど」 「今後なんて・・そういうのは、あの、まだこれからよ。だって、私もマリさんもお互いのこと殆ど知らないし・・」 「?マリさん?・・あれぇ、もう名前で呼んでんだぁ?」 あっ、とミランダが口を押さえる。フェイも知らなかったらしく目を丸くしていた。その様子を頬杖をついて見ながら、ロードはたった今思い出したかのように言う。 「そういえば、ティッキーって最近どうしてるか、知ってる?」 「え・・」 予想通りミランダの顔が強張るのが分かり、ほくそ笑む。 あの満月の夜から一週間過ぎ、どうやらティキとミランダの関係は少し変化したらしい。といっても殆どの人間はそれに気づいていないだろう、気づいているのは自分とミランダ付きのフェイ、そして当人同士。 なにかあったのか、なにもなかったのか。 ティキは、あれから一度もここを訪れていないようだ。 ロードから見て、ティキはミランダに妹以上の感情を持っているのは確かで。ただそれが恋愛感情という、単純なものではないことも知っていた。それに限りなく近いものではあるだろうが、もっと複雑な感情なのだと思う。 「あの、ロードちゃん・・お兄様って、今お忙しいのかしら。シェリル兄様からなにか聞いてない・・?」 ずっと気にしていたのだろう、そわそわしながら聞いてきた。 心配、というより不安そうな表情のミランダに、彼女もティキを思っているのが分かる。ただそれはティキと違い単純な愛情で、純粋な家族愛の延長のようなものなのだろうが・・。 ロードは子供っぽい仕種でにこおと笑う。 「ティッキーはねぇ、今日は千年公んとこだよぉ」 「・・じゃあ、ルル様のところへ?」 「うん、そうじゃない?一応結婚したんだし」 少々腑に落ちないのか、ミランダは「そうなの・・」と呟いて視線を落した。めずらしい仕種を見せたことにロードは口の端を軽く上げる。 「どしたの〜?なんか気になる?」 「え?あ、ううん・・そういうんじゃなくて・・あの、お元気なら良かったわ」 慌てて笑みを浮かべるが、どことなく元気がない。 ミランダにはあえて言わなかったが、ティキはルルと結婚した事実を認めていない。本人は三日夜の餅を「食べていない」と主張しているが、ルル側は「食べた」と言っているのだ。 マリの事からシェリルの宥めすかしも通用せず、もう二度行かないとティキは散々ゴネ回っていた。しかし、いつまでたっても通ってこない婿に千年公は痺れをきらし、今夜使者を立てて半ば強引に連れて行かれてしまった。 「寂しい?ミランダ」 「そんなこと・・・お兄様がお幸せなら、いいと思うわ・・」 ふぅん、と気のない相槌をうちながら、あきらかに寂しそうなミランダを見る。 ほぼ間違いなく、ティキはミランダを避けている。けれどそれは諦めとか突き放しといったものではなくて、ただ単純にどうしていいか分からないだけのような気がする。意識してしまったのかもしれない、自分の気持を。 認めたくないのだろう。認めてしまえば今度は一線を越える覚悟で悩むことになる。 そうやって尻込みしているうちに事は既に遅く、ミランダの恋は着実に進んでいくというのに。 「あははっ」 思わずこぼれた笑い声に、フェイとミランダは不思議そうにロードを見た。 「ううん、なんでもなぁい。こっちの話・・・ねぇそれよりさ、その手紙なんて書いてあるの?見たいなぁ、見せてよう」 「だ、だめよ・・そ、それにロードちゃんが読んでも、面白いことなんて書いてないし・・」 「え〜?いいじゃない、見せてよぉ」 赤い顔で「ダメよ」と文箱を隠すミランダは、立派に恋する女性だった。ティキが一番目にしたくないだろうその姿を見ながら、ロードはクスクスと笑う。 ミランダはきっと何も分かっていない、そしてこれからも気づかない。残念だけどそういう人なのだ。 けれどティキはどうするのだろう、このまま諦めることが出来るのか。無かったことにして、今更普通の兄として接することは出来るのか。 (・・・面白い) 父であるシェリルには悪いが、ロードは入内が遅れたことを内心喜んでいた。ようやく見れるかもしれないのだ、ずっと見たかった結末が。 おそらく辛い結果になるだろうと、ここにはいない叔父の姿を思い浮かべる。 けれど一縷の望みがないわけではない。さっきミランダが見せた表情は、まだ逆転の可能性を示していた。ただそうなると、結果が長引きロード自身の目で結末を見ることはできないだろう。 (だから、あんまり焦らさないでね?) 目の前の、乙女のような叔母にそっと心で呟いて。ロードは目を細める。その姿には、もう『不幸姫』と呼ばれた面影は見えなかった。 END 長々としたこの話を最後まで読んでいただけてありがとうございました。 当初はもっと分かりやすい終わりを考えていたんですが、書きながらティキお兄様に情が移ってしまい(笑)中途半端な終わり方になってしまいました。すみません。 あと、時代考証や平安時代に詳しい方は「いや、それは変!」と思うところも多々あったと思いますが、それは主役の名前が「ミランダ」な段階で諦めていただけると・・。だって、色々細かく書いたらどんどん分かりづらくなっちゃうんだもの・・。 タイトルを以前使っていた「すべからく〜」ではなく「時しもわかぬ花」に変更しました。 古今和歌集の「かぎりなき 君がためにと 折る花は 時しもわかぬ ものにぞありける」から。 では、最後までありがとうございました! [*前] | [次#] |