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◆◇◆


牛車はゆっくりと進んでいく。

借りた網代車はなるべく目立たぬようにと質素なものだったが、少々年代物だったらしく揺れが強い。マリは苦しそうに横になる弟の背中を摩った。

「大丈夫か、神田」
「・・・・るせぇ・・」

今にも死にそうな声で呻き、弱々しくマリを睨んだ。
マリの着物を濡らした酒は完全に気化されていなかったようで、先ほど神田を担いだ時に吸い込んでしまったらしい。普通の人間ではほとんど気づかないほどなのに、酒に弱い彼は敏感に反応して再びつぶれてしまったのだ。

「まだ匂うか?もう・・だいたい消えたと思うんだが」

自分でもクンクンと胸元に鼻を近づけてみるが、よく分からなかった。ずっと嗅いでいたから鼻が麻痺しているのかもしれない。
そういえば、ずっと近くに居たミランダは気づいていたのだろうか。酒臭い男だと思われるのは嫌だった。それよりも伝えた言葉が酒の上でのことと、勘違いされてなければいいが。

(・・・・・・・)

結局、きちんとお別れも言えなかった。
確たる今後の約束もせず、逃げるように帰ったことを後悔していた。手紙を出すとは言ったが、ティキや神田の登場で肝心な話が出来なかった。最後に彼女が自分になにを言おうとしていたのか、それだけでも聞きたかった。

そして・・おそらく聞こえてしまっただろう、神田の言葉。
神田がどうしてあんな行動に出たのかマリには分からないが、きっと酔っ払ってひどい勘違いをしていたのだろう。もとから口がわる・・いや口下手な方だが、だからといってあんな行動に出るはずない。
けれどそれを知らないミランダは誤解をしただろう。マリの弟があそこまで反対しているなら・・と今後の二人の可能性を自ら摘んでしまうのではないだろうか。マリはそれが心配だった。出来るだけ早いうちに、彼女へ自分の想いをしっかりと伝えなければ・・・。

(しかし・・多難な予感がするな)

脳裏に、彼女の兄であるティキが浮ぶ。ああも露骨に反対されては、取り付く島もない。
マリ自身ティキにいろいろ思うところはあるものの、そこはやはりミランダの『兄』であるから、これ以上関係を悪化させたくなかった。
さきほどは、こちらもつい感情的になってしまって余計なことを言ってしまった。ティキがミランダにどんな感情を覚えていようと、彼らは兄と妹なのだ。

「兄、か」

ぽつ、と呟く。
やはりあの噂の出所は・・・・ティキなのだろう。はっきりと証拠があるわけでない、しかしマリのなかではほぼ確信へと傾いていた。
目の見えない自分だからこそ、相手の微かな反応で気持ちを読み取ることができる。ティキはあきらかにミランダに妹以上の感情を抱いている。それがどういう種類のものかは分からないが、強いこだわりを感じた。

今後はマリの行動を警戒してくるだろう、手紙を出しても彼女のもとへ届くのだろうか・・・口元に拳を宛てて静かに息を吐いた。
色々と考えることが多く、またどれも筋が通らないものなのでマリは疲れたように目を伏せる。なにげなく懐に手を入れたとき、覚えのない柔らかな感触がして伏せた瞼を僅かに開いた。

(これは・・)

小さな円い球。はて、なんだろうと考えた瞬間、ミランダが渡してきた物であることに気付く。手の中にすっぽりと納まる小さな球に、マリは首を傾げた。
つるつるとした布は絹だろうか。指先の感覚では織の種類は分からないが、紋様はない。中の綿が足りなかったのか軽く押すと、元の形には戻らず指で整えてやると元の円い球に戻る。
さすがに色は見えないので、聞いてみるしかなかった。

「・・・・神田、すまないがこれは何色だろうか」

言いながら臥せっている弟の目の前にそれを差し出す。神田は眉間にシワを寄せて片目でそれをちらと見ると、ひどく大儀そうに「白」と呟いた。

(白い、球?)

白いもの、白いといわれるもの。マリの思考をめぐらした。手作りだろうと思われる品、自分と彼女を結びつけるものに白いものはなかったか。円くて、白い・・。
思考の奥に小さな閃きが起きて、俯いた顔を上げる。もしや、と思うがマリはそれを確認するすべはない。速まっていく心音を落ち着かせて、もう一度神田に聞いた。

「今夜は、満月か?」

けれど具合のよくない弟からの返事はない。眠っているわけではなさそうなので、また声をかける。

「体調のよくないとこ悪いが、教えてくれないか。今日は・・・満月なのだろうか」

神田は舌打ちしてまたしても大儀そうにマリを見ると、視線を僅かに上へと向けて開いてある物見へ向ける。小さな物見からは暗い夜の空しか見えなかったが、車がちょうど曲がり角にきたとき雲の切れ間から白く円い月が見えた。
声を出すのも億劫で、眉を寄せたまま肯く。

「・・・そうか」

マリの返事に睨みで返し、神田はまた床に顔を埋めた。

(満月・・)

白い球をそっと撫でながら、マリの胸はじわじわと熱くなる。多分・・きっと、おそらくは・・この贈り物は『満月』だ。
なにげなく手紙に書いた『もうすぐ見える満月は・・』という言葉に、彼女はこんな返事を用意してくれだろう。思い込みかもしれないが、目の見えない自分に満月を作ってくれたのではないだろうか。
そう思うと、渡したときのミランダの様子が思いだされ、マリの頬は緩む。ホッとしつつも直後の迷うような姿が、今になってとても愛おしく感じられた。

つやつやと滑らかなそれに触れていると、先ほど滅入っていた気持ちが霧散していくようだった。
確かに今後のことを思えば一筋縄でいかないが、それで彼女を諦めることは出来ない。自分は彼女に恋をしている、そして・・彼女も少なからず自分に思いを抱いている・・・と思う。自惚れでなければ。

今夜のことは第一歩だ。まだ先は長い、けれどマリは自分の想いを信じていた。ゆっくりと時間をかけていけば、きっと思いは叶うはず。

掌の満月は柔らかく頼りなげで、どことなくミランダを彷彿とさせる。
ふと今頃になって、彼女を抱きしめてしまったことを思い出しマリの顔は赤らんだ。咄嗟とはいえ、彼女がどう思っただろうかと気になってしまう。簡単に女性に手を出す男だと思われてはいないだろうか・・。


(どうやら・・・解かねばならない誤解がいくつもあるな)


そんなことを思い、マリは苦笑した。

大事そうに満月を懐へと戻そうとした時、あの袱紗と同じく藤袴の香りがするのに気づいて思わず目を伏せる。芽生えた想いが胸を締め付け、ため息を漏らした。
その音に神田が反応し、怪訝な顔でマリを見たので「なんでもない」と首を振り、誤魔化すように物見の戸を締める。

「神田、もう少しで着くからな」
「・・・邸前で起こせよ、ジジィに見つかったら・・面倒だから」
「ああ、わかってる」

そう背中を摩ってやると、弟は目を閉じた。
ギィギィと車輪が軋む音を聞きながら、それきり二人は会話をせず、牛の歩みに任せてゆっくりと家路をたどっていったのだった。







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