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仮想平安時代、これは一人のちょっと可哀相なお姫様の物語。



今は昔、華やかなりし雅な王朝時代。
都で一、二を争う権門、千年家につらなる一族にミランダという姫がいた。

ミランダは御年26才、姫というには少々年がいっており、この当時では十分行き遅れ、オールドミスである。
有能と謳われる長兄シェリルは大納言を務め、次兄はその美貌で御所の女官達を虜にする中将のティキ。本来であれば末の妹の彼女は、縁談が引きも切らずあっても良いはずなのに・・・

実に全く、とんと縁が無い。

いや、昔は毎日のように親代わりのシェリルへと、ミランダへ求婚の打診をはかる独身の公達がいたものだが、いつしかそれも無くなり、逆にこちらからそれを打診しても何かと理由をつけられ断られるようになってしまったのだ。

理由は、ただ一つ。ミランダへの困った噂である。

『ミランダに求婚する者には、災厄が降り懸かる』

そう。なぜか、ミランダへ恋文や求婚をした男達は、もれなく何かしらの不幸にあっていたのだった。
ある者は、馬から落ちて骨折、またある者は気鬱の病で閑職に。
ただでさえ、迷信が信じられるこの時代で『不幸を呼ぶ』と言われるミランダに、誰が求婚しようとするだろうか。


そういう訳で、ミランダには『不幸姫』という有り難くない呼び名が広まっていたのだった。



◆◇◆


遠くから聞こえる人の足音に、ミランダはビクッと怯えるように反応すると、手にもっていた筆を硯に落とす。
墨が撥ねるのも気にせず、側にある几帳(カーテンみたいな仕切)に慌てて身を隠した。

ミランダ付きの女房達が足音の方を気にして、御簾ごしに様子を見ると、パアッとその御簾が上がり、いきなり一人の男が入ってきたので、場は騒然となる。
酔っているのか、男は覚束ない足取りでミランダがいるであろう、几帳を見つけると、
乱暴な手つきで几帳を押し除けた。

「・・なにビクビク逃げてんだよ、不幸女」

酒で赤くなった目をした彼の姿に、ミランダは目を丸くする。その人は、今ここにいる筈の人ではないから。

「・・テ、ティキお兄様・・?」

ティキは直衣の前を軽く開き、不機嫌なのか眉を引き攣らせてミランダを見下ろす。

「なんだよ、兄が妹んとこ来て何が悪いんだよ、何か文句でもあんのか?」
「いっ・・いえ、そういう訳では・・」

ハーッと酒臭い息を吹きかけられて、ギュッと目をつむる。
嫌がられるのが癪に障るのか、ティキはミランダの両頬を手で挟むと「ハーッ」と思い切り息を吐いた。
涙目になりながら、イヤイヤと顔を横に振るミランダに、ティキがもう一度息を吹きかけようとした時。

「・・失礼ですが、こちらにいらしても宜しいんですか?」

凜とした声がして、ミランダ付きの女房フェイが訝しむようにティキを見ていた。
ティキはミランダの頬からパッと両手を放し、急に面白くなさそうに口をへの字に曲げる。
ミランダは両頬を摩りながら、恐る恐る兄を窺い、

「そ、そうですよ・・あの、今日はルル様の所へお出でになるんじゃ・・・?」
「ああ?」
「えと、ルル様と今日・・ご結婚の・・」
「はああ?」
「・・・・」

どんどん不機嫌になるティキに、ミランダは俯いて体を縮こます。側にいるフェイが微かに眉を寄せると、考えるように首を傾げて、

「もしや・・・・締め出されたとか?」
「!」

そのものズバリな言い方に、ティキの顔は強張りフェイを睨みつけた。


ティキは今夜、花婿になる筈であった。

相手は当代きっての美姫と噂される、千年公の一人娘。ルル=ベル姫である。
もともと親戚筋であり、兄シェリルの強烈な働き掛けもあって決まったこの縁談は、ティキにとっても悪いものでもなかった。

この当時、高貴な女性は男に姿を見せる事はないので顔は見たことないが、噂ではかなりの美人らしいし、都中の男達の羨望を一気に浴びるのも悪くない。
それより何より、あの千年公の一人娘と結婚であれば、もう将来安泰。寝てても出世は間違いなしだ。
元々あんまり結婚願望はない方だが、いい歳してずっと独身というのも体裁が悪い。そろそろ適当な相手を見つけて、と思っていた時にこの縁談がまとまったのである。

そして今夜が結婚初夜。初めての対面・・となる筈だったが。

なぜかルルの部屋へ続く扉に、閂がかけられていたのだった。

結婚、と言っても特別な式などない。
通い婚が主流なので、男が夜に三晩通い、三日目の夜に餅を食べたら「結婚」である。とりあえず、三日は通わないと結婚した事にはならないのだ。

ティキは今日、千年公主催の宴に招かれていたが、これもお膳立てで。頃合いを見計らい、使いの者がティキをルルの部屋へと案内する。
どうにも生々しいが、この時代の結婚は大体こんな感じなのだ。
使いが来ると、「ちょっと酔いまして・・失礼」などと軽い演技をしながら場を抜けるのも、まあ決まり事。周りのヤジや声援に、下品にならない程度に応えつつ、花婿ティキは宴を抜ける。

上機嫌で軽く詩なんか口ずさみながら、ほろ酔い気分で使いが指した寝殿へたどり着き、甘い期待に胸膨らませ扉を開けようとした所で、閂が掛かっているのに気がついたのだった。

そして、扉には一枚の紙切れ。それは何度か見たルルの美しい筆跡で、

『お帰り下さい』

の、一言。

もちろん、これから夜ばいしようとする場所に人っ子一人いる訳ない。誰かを呼ぼうにも、花嫁に拒絶されたなんて、情けなくて言える筈もない。

結局、何度か扉を押したり引いたり扉を叩いたりしたが、頑丈な閂はビクともせず、宴にも戻れず行き場のないティキは仕方ないので、こっそり屋敷から出た。
ちょいちょい通っている女もいるが、流石に結婚初夜に追い出された身で訪れる訳にもいかない。そういう訳で、ティキは住み慣れた我が家へと戻ってきたのである。

−−−−と、(ここまで詳細ではないが)ティキからの話を聞いてミランダは驚き、フェイは軽く眉をひそめた。

「ティキ様・・何か失礼な事でもなさったんですか?」
「なんで俺が、つうか今日が初対面だし。二、三度手紙のやり取りしたくらいだよ」

フェイの疑うような視線に、嫌そうに眉を寄せて酔いが回っているのか、赤い顔で大きなあくびを一つすると、コキと首を鳴らした。
ミランダはふと、ティキの着物の袖が二つに分かれているのに気づき、

「まあ、どうしたんですか?お袖が・・」

引っ掛かりちぎれた風ではない。どう見ても刃物でスパンとやられたような切り口に、心配そうにティキを見る。
軽く腕を上げ、確認するように袖を見たティキは、思い出したのか面白くなさそうに顔を歪めた。

「・・生意気な野郎に難癖つけられたんだよ」
「え?」
「ティエドールんとこに神田ってのがいてな、検非違使の佐で。そいつにやられたの」

検非違使(けびいし)とは、今でいう警察。都の治安を守る官人である。

「妙なイチャモン付けてきたもんだから、ちょっとからかったらコレだよ」

一張羅なのに、やんなるねと苦々しい顔をした。

「・・という事は、歩いて帰ってらしたんですか?」
「おいおい、牛車使ったら俺が帰ったのバレバレじゃねぇか、んな事できるかよ。みっともねぇ」

面倒そうにフェイに答えながら、破れている直衣を脱ぎ袴の帯を緩めると、
ティキはミランダを引き寄せ、そのまま膝枕でゴロンと横になる。

「ああ、疲れた」
「あの・・いいんですか?あちらに行かなくても・・」
「いいんだよ、向こうがそういう態度ならこっちもお断りだっつうの」
「でも・・何かの間違いかも・・もしかしたらルル様も待っているかもしれませんよ?」

ミランダは心配そうに膝の上にいる兄に、話し掛ける。ティキは煩そうに眉を寄せ、

「もういいんだよ、やっぱり結婚なんてのは端から俺に向いちゃいないんだから」
「で、でも・・シェリル兄様が・・」
「ああもうゴチャゴチャと煩せぇな、寝れねぇだろ」

頭を膝に乗せたまま、ミランダの頬をギュッと抓ったので、痛みから涙が滲んだ。ティキはふて腐れるように目を閉じると、眉間に皺を寄せそのまま寝に入ってしまった。

「・・・・・」

抓られた頬を摩りながら、膝の上の兄を見る。
随分赤い顔をしているから、恐らくどこかで飲んで来たのだろうか。
それなりの官位にあるティキが市井に顔を出すのを、シェリルが良い顔をしないのをミランダは知っている。
ティキもそれを弁えているはずだから、よほど面白くなかったのだろう。

そう思うと、ミランダは少しだけティキが可哀相に思えるのだった。

「あら?」

ティキの直衣を片付けながら、フェイが何かを探すように辺りを見回す。

「ありませんわ」
「え?」
「ティキ様がいつもお持ちの扇がありません」
「扇って・・」
「はい、あの扇です」
「・・・・・」

二人は顔を見合わせ、黙り込みゴクリと生唾を飲み込んだ。

ティキがいつも持ち歩いているその扇は、今上帝が即位された時に亡き父親が下賜された物で、ティキが元服した時にシェリルから祝いとして授けられた物である。
本来なら使わずに大事にしまっておけばいいのに、柄を気に入ったティキは、シェリルの忠告も聞かず止せばいいのに始終持ち歩いていたのだ。

「・・・あの、お兄様・・ティキお兄様・・」

膝の上にいるティキを、恐る恐る揺さぶってみるが深い眠りに入ってしまったらしく、ピクリとも動かない。フェイはもう一度直衣を調べ、寝ているティキの体を身体検査のようにパンパンと触る。

「・・・・無いですわね」
「・・・・」

さすがにマズイのでは?とミランダは青ざめた。
あの扇には帝からの下賜の印もある。そして見る人が見ればすぐにティキのだとわかる。

「ど、どうしましょう・・シェリルお兄様にお伝えした方がいいかしら・・これって大変な事よね?」
「ええ・・ですが、シェリル様はまだ千年公の邸からお戻りではありません」
「じ、じゃあ・・」
「仕方ありません。このままティキ様がお起きになるのを待つしか・・」

フェイは頭痛を覚えているのか人差し指で額を押さえ、眉を寄せた。

周囲の心配をよそに酔っ払いの大イビキをかきはじめるティキは、夢の中ではいい思いをしているのか、だらし無く頬が緩んでいる。
その緊張感の無さに、ミランダは大きくため息をついたのだった。


◆◇◆


そのままミランダの部屋で眠ってしまったティキは、朝になっても二日酔いで動けず、
不機嫌なのも手伝い、話し掛けても怒られる為ミランダは扇の事を聞けないでいた。


寝台で休んでいるティキの枕元に水を届け、ミランダはふうとため息をつく。
扇の事も心配だが、結婚初夜に帰ってきて本当に大丈夫だったのだろうか、ティキの勘違いで、もしかしたらルルは待っていたのでは?そうなら・・お互い可哀相だ。

(・・・・・・)

自分はとうに諦めているが、兄のティキには普通に結婚して幸せになってもらいたかった。
ミランダも昔は、絵巻物や物語を読んでうっとりしたり、届けられた恋文に頬を染めたりした事もある。いつか自分と結ばれる男性を思い、色んな想像をしたりもした。

けれど、どこからか湧いた『不幸姫』の噂が都中に広まってからは、そういった色恋は諦めてこの歳を迎えている。
「不幸ではなく偶然。残りはこじつけでしょう」とフェイは言う。偶然起きた不幸を人のせいにするなど、男の風上にもおけません、と。
そう言われればそうかなとも思うが、けれどミランダはそんな噂も突き詰めれば結局自分が悪いような気になる。
元々、人より引込思案で暗い方だった。小さな頃からよくそれでティキに虐められていた。きっとそういった気質が、自然とそういう事態を呼び込んだのではないだろうか。

今の生活に不満がある訳ではない、静かに暮らせるこの環境はミランダにはあっていると思う。
けれど、心の隙間を通り抜けるように、何かの折りに物足りなさを感じるのも事実であった。

ふと、渡殿から人の気配がしたのに気づき振り返る。足音はミランダのいる部屋のすぐ側で止まると、その主は入口から顔を覗かせた。

「ねーえ、ティッキーはこっちぃ?」
「あら・・ロードちゃん」

意外な人物にミランダは僅かに目を見開く。
綺麗な桜の重ねの衣裳を着た少女は、シェリルの一人娘でミランダの姪にあたる。

「どうしたの?こんな朝早くに」

「ほら、ティッキーに昨日の首尾を色々根掘り葉掘り聞こうと思ってさ」

悪戯っ子のようにニイと口を上げて。

「・・あー・・でも、それは」
「うん。締め出しくったんでしょ?だからポッキリ鼻を折られた姿、見物にきたんだぁ」

内緒話をするように、ロードはミランダの耳に口を近付けた。

「で、でもお兄様は・・今は具合が悪くて寝ているのよ・・その、後でね?」
「えー?」
「頭が痛くて、お話できないようなの」
「単なる二日酔いでしょー?もう、ミランダってば優しすぎ。ボクならここぞとばかりに普段の仕返しするけどなぁ」

口を尖らすロードにミランダは困ったように笑う。そんな事をすれば治った後に十倍返し、いや百倍返しされるだけだ。


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