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放り投げた閂がゴトンと音を立て二人の傍へ落ちる。その音にハッとして、マリとミランダは体を離した。
ギシ、と床を鳴らし、ティキが近付いてくる。

「どういうことだ、こりゃ」

びくびくと体を震わせ明らかに怯えているミランダを、じろり睨むと目の前に仁王立ちになった。

「あ、あ・・の、その・・え、えと」
「ち、違うんだ。ティキ殿、これは・・その、わたし達はけして不埒なことをしようとしていたわけでなく・・」
「・・そ、そうなんです。お兄様、あの、蜘蛛が・・蜘蛛がその、膝に・・さっき、それで・・あの、あの」
「わたしもつい手が出て・・あ、いや、ついといっても、そういった意味ではなく、純粋に・・純粋というか、つい、いや、そうでなくて・・」

二人とも誤解を解こうと説明しようとするが、慌てて動揺しているので全く要領を得ない。その姿にティキは益々イラついたようで、顔の筋肉がピクピクと痙攣しているのが見えた。
ミランダの腕をむんずと掴み、持ち上げる。その手が縛られていないのに気づくと、ぎり、と締めるように力を強めた。

「っ!い、いたっ」
「あ?なに」
「・・・・・・いっ、いいえ」

凄まじい怒りを兄の瞳に見て、ミランダは唇を噛み痛みを堪える。ティキはその瞳を今度はマリに向けた。

「誤解だろうと何だろうと、どうでもいいんだよ。言ったろ?好奇心は為にならんて。コイツは厄介な女でな、関わると面倒事が必ず降りかかる。現に今もこうして、誰かさんが不運にも道を踏み外すところだ。今後を考えるんなら、とっとと帰るのが賢明だと思うぜ」

面倒事、という言葉がミランダの胸につき刺さる。確かに、さっき本人は否定してくれたがマリは自分のせいでこんな状況になっている。
昨日の朝、袱紗をすぐに返していればこんなことにはならなかった。手紙だって書く必要はなかったのに、図々しい真似をして彼を陥れる結果になった。ティキが言う『厄介な女』というのにピッタリだと思う。

「マリ、あんたはそれなりにいい環境にいるんだ。その気になればこんな瑕のついた女じゃなくて、もっとマシな女と所帯を持てんだろ。ここで貧乏くじをわざわざ引くこたねぇよ」
「・・・その言い方はないだろう」
「あのね、こっちは親切心で言ってんだよ?実の兄が言ってんだ、コイツはやめとけって」

口の端を歪めて冷めた顔で笑うティキを、マリは明らかにムッとした様子で膝においていた拳を握り締めた。

「さっきから聞いていると、いくら兄とはいえ言葉が過ぎるのではないか。聞くに堪えん」
「別におまえさんのことを言ってんじゃないだろ。まあまあ、オレはハナから喧嘩する気はないよ。とりあえずさ、何もないってんならここは帰ってもらえんかね?お互い余計な勘繰りはされたくないだろ?こんな妹でも、男をたらし込んだなんて噂が立っちゃ兄としちゃ憐れだからさ」
「・・・・・」

マリは眉根を寄せてゆっくりと立ち上がる。けれどそこから動こうとはせず、厳しい顔でティキの方を向くと、

「・・・・何もなくは、ない」

低い声で呟いた。
締められていた手の力が一瞬緩んだ気がして、ミランダは兄を見る。さっきまで浮かべていた冷笑は消えて、探るような視線でマリを見ている。

「どういう意味だ」
「・・・・どういうもなにも、そういう意味だ。わたし達は・・・・・こ、恋人なのだから」

マリはミランダを気にして少々言いよどんだものの、キッパリ言い放つとティキを圧するように一歩近付いた。
恋人といわれたことに、ミランダは驚き目を見開く。よく理解できなくてポカンと口も開けていたが、同時にドキドキと鼓動が速まるのと頬が熱くなるのを感じた。

「恋人、だあ?」
「・・・・え、えと・・」

刺さるような兄の視線が恐ろしくて、反射的に眼を逸らす。けれどまだときめく鼓動は治まらない。

(ど、どうしよう、聞き間違えでないなら・・・嬉しい。でもでも、信じられない、本当に?本気?恋人って・・あの恋人っていう意味でいいのよね?他に意味なんてあったかしら、いいのよね?間違ってないのよね?)

脳細胞がくるくると回転して、何か言おうにも言葉にならない。そっとマリを窺うと、けして冗談で言ったのではないと瞳から真剣さが伝わり、ミランダはさらに顔が熱くなり恥ずかしそうにうつむいた。
マリは、勝手なことを言ったかと彼女の胸中が心配であったが、自分の気持ちが受け入れられたのを感じると、自身の頬も熱くなっていく。

「ちょっと、待て」

そんな二人の様子に、ティキは真顔でマリを見つめる。

「やったのか?」
「は?」
「は、じゃねぇよ。やったのかって聞いてんだ。やったのか?」
「や・・?やった、とは・・?」
「疎いふりしてんじゃねぇ、いい年してんだ意味くらい分かるだろ。乗っかったのか、おい、コイツに乗っかったかどうか聞いてんだよ」

乗っかる、という生々しい表現にマリが赤面する。動揺を誤魔化すよう咳払いし、首を振った。

「なんなんだ、藪から棒に。そういった行為は、その、順をおってだな・・何事も筋道を通して行うべきだろう?」
「てことは、やってないんだな?そこは間違いないな?」

マリの様子を訝しく見つつ、次にミランダを睨むと両肩をがしと掴んで、顔を近づける。

「ホントに、やってないんだろうな?」
「??・・や、やって?あの、お兄様?」

何の事かよく分からず目をぱちぱちと瞬かせる妹に、ティキはようやく緊張を緩め、舌打ちしながらミランダの額を指で弾いた。

「いたっ」
「この野郎。なにが恋人だ、担ぎやがって」
「・・??」

赤くなった額を摩る妹の手を引っ張り、ティキは戸口へと歩き出す。しかしミランダは足を縛られたままなので、その場で前のめりに膝を打って転んだ。

「きゃっ!」
「なにやってんだ、おまえ」

足の紐が裾から出ているのを見たティキは、縛った張本人であるにも係わらず眉尻を跳ね上げる。けれど、マリがそれを助け起こそうと近付いてきたのに気づいて、咄嗟にミランダを抱き上げた。
出端を折られたマリを睨み、真顔のまま無言でその場を立ち去ろうと背中を向ける。

それを頭では仕方ないと思いながらも、マリは納得できなかった。
どうしてもそれが彼女の為を思っての行動に見えなかった。ティキが兄らしい気持ちでそうしているのではない、それが分かるだけに理不尽さを感じた。

「・・・本当に、兄なのか?」

思わず漏れたマリの呟きに、ティキの足は止まる。

「なんだ、そりゃ」
「言葉どおりの意味・・いや・・違う、本当に妹として思っているのか?が正しいな」
「なにが言いたいのかわからんが、オレもコイツも同じ親の血を分けた兄妹だよ。おまえさんには残念だろうけど」

からかうように言われたマリは、表情一つ変えずに首を振り、静かに目を伏せた。一拍の躊躇いの後、ミランダを抱きかかえたティキへと顔を向ける。

「そうは、思えないな」
「・・・あ?」

含みを持たせた言い方が癇に障りティキは戸口まで行ったのを引き返すと、マリを刺すような眼差しで睨む。けれどすぐに鼻で笑い、冷ややかな笑みを顔に浮かべた。

「あれ?もしかして嫉妬?・・君子人で有名な左近の中将さまってのは、噂と違ってずいぶん小さい男みたいだな、兄貴相手に嫉妬とかみっともねぇぞ」
「・・・なにを」
「はは、だから喧嘩する気はないって言ったろ?オレはさ、最初からあんたに求めてんのは一つだけなんだよ。簡単なことだ、とっととここから帰れ、二度と来るな。これだけ、な?簡単だろ?」

それに答えることなく、見えないマリの瞳はティキを映していた。
抱きかかえられているミランダが、二人の様子を気にしてひどく困っているのが分かる。これ以上の言い合いはさらに彼女を困らせるだろうと思うと、マリは口を開くのを躊躇った。
ただ、このままティキの言うままにするのも気持ちが治まらない。逃げて帰るような、どうにも面白くない展開である。

「では、一つ言わせてもらってから・・帰らせていただくとしよう」

一つ、というのはミランダにだ。
恋人と勝手に言ったことへのお詫びと、今帰ってもけして曖昧な関係で終わらせるつもりはないと、ティキの前で宣言するため。



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