3 「だ、大丈夫か?どこか具合でも悪いのでは?」 「いっ、いいえっ・・あ、あのっ・・ご、ごめんなさい。わ、私・・し、知らなくって・・本当に、ごめ、ごめんなさいぃっ・・」 心底驚いた、といったふうに胸を押さえ息も絶え絶えにミランダは頭を下げる。 耳で聞いたことが頭に反映されるまで少々時間がかかったが、理解した後はもう居た堪れなさと申し訳なさで、このまま消えてなくなりたいほど恐れ多かった。 自分のような曰く付きな女に、誰が好んで忍んで来ようか。きっとマリは騙されたかしてここに来るようされたのだ。自分との手紙のやりとりを誰かに知られたのだろう。 またしても一人不幸の道に落してしまったことに、ミランダは深く落ち込み、悲しくなった。やはり自分は『不幸姫』なのだと、改めて実感して。 「本当に・・なんてお詫びをすれば・・」 「いや、あなたが謝ることではない。これはおそらくそちら側だけの話ではない筈だ、間違いなくわたしの家からも働きかけて・・・・姫?」 鼻を啜り上げる音に、ミランダが泣いていると気付く。女性を泣かしてしまったのは生まれて初めてな為、マリは自分でも驚くほどうろたえた。 「あの・・・す、すまない。あなたの気持ちを考えずに、色々と勝手な話をしてしまって・・」 「いいえ、あの、中将さま・・わ、私のせいで、こんなことになってしまって。あんな手紙なんか出すから、こんなふうにご迷惑を・・うっ・・ぐすっ」 「手紙は関係ない、それにあれはわたしの忘れ物を届けてくれただけではないか。あなたが自分を責めることはないと思うぞ?」 「でも、きっと私のせいなんです。だって、私は昔から誰かに嫌な思いをさせてしまう人間だから、そういう星のもとに生まれているんですぅ・・」 ミランダの言葉に、例の噂を含んでいることにマリは気づく。先ほどから『お詫び』と言っていたのはそういう意味だったのかと、逆にこちらも申し訳なくなった。 「誤解しないでほしい、わたしは嫌な思いなどしていない」 「そんな・・」 「あなたの過去になにかあったとしても、それを嫌に思うことはないし、あなたのせいだと考えることもない」 ぐす、と鼻を一度啜ってミランダはマリを見る。驚いたように大きく目を見開き、ぱち、と瞬きをするとその瞳から涙がぽつんと落ちた。嫌でない、と言われたことが嬉しいと感じるより信じられなくて。はしたないことも忘れて、マリをじっと見つめていた。 連子窓からの月明かりが逆光で、彼の表情はよく見えなかったが、その声はとても誠実なものだった。 「それに・・・あの手紙は、嬉しかった」 「中将さま・・」 すう、と涙がひいていく。かわりに抑え切れない頬の熱さを感じる。 迷惑でなかっただけでも嬉しいのに、こうして本人の口から「嬉しい」と言われると、ミランダは夢ではないかと頬をぎゅうと抓った。痛みを感じて、それも嬉しかった。 「・・わ、私も、嬉しかったです。お返事をいただけて」 「そうか、なら・・よかった。実は少し心配だったんだ、なれなれしかったのではないかと」 「いえ、そんな。本当に・・本当に嬉しかったので・・」 小さな声で控えめにそう言ったミランダに、マリの胸はあたたかくなっていく。かすかに震えたその声は、頼りなげでいじらしく思えた。 形にならなかった未熟な想いが、本人を前にしてゆっくりと確かなものへ変わっていき、もうマリは彼女に恋をしていることを事実だと、実感した。 「ミランダ姫、もしよければだが・・」 「は、はい」 「いきなりこういった成り行きでというのは・・やはり、良くないと思うんだ。だから、その、あなたさえよければだが・・・また、昨日のように・・・手紙を書いてもいいだろうか」 「えっ」 「あ、いや、あの、無理にというのではなくて・・もし、よければの話で。その、季節の挨拶みたいなものでも・・いいのだが」 しどろもどろになりつつ、マリの顔は真っ赤に染まる。こういった話はどう言えばいいか困り、情けなくも額が汗ばんでしまう。 ミランダの反応が気に掛かり、速まる心臓を落ち着かせながらそっと窺うと、彼女は赤い顔を袖で隠しながら「あ・・う・・あ」と何やら呟き、やがて大きく肯いた。 ホッとしつつ、じわじわと広がる喜びに二人とも無言のまま口元を緩ませる。手紙のやりとりを約束しただけなのだが、それだけで十分幸せで、お互い次の言葉が見つからなかった。 ミランダは、ふと昨日作ったマリへのささやかな贈り物が袖に隠してあったのを思い出す。 円くてつややかな満月、中に綿を入れて月というよりは不恰好な鞠のようであるが、想いを込めた自分なりの力作であった。しかし、作っていた時は殆ど自己満足であったが、いざ渡せる時がきてしまうと気が引ける。 どうしようか迷っていたが、袖から白くて小さな月を取り出し、せっかく作ったのだからと気合いを入れてマリへと体を向けた。 「あ・・ああああ、あのっ!」 「?」 「こっ、これ・・つ、つまらないものですがっ・・」 差し出された円い球をマリが受け取ると、ミランダは一瞬だけホッとしたもののすぐに心配が顔を覗かせる。押付けがましいような、のぼせ上がった行為のような気がして。 一度渡したものを返してもらうのは失礼かと、ミランダがうじうじとしていると、それに気づいたマリが不思議そうに聞いた。 「どうかしたのか?頂いたこちらには、何かあるのか?」 恥ずかしいのでやっぱり返して貰いたい気もするし、けれど作った物を持っていてもらいたい気持ちもある。 返答に困りもじもじと袖をすり合わせていると、何か膝の上がむず痒い感触がするのに気づいた。ミランダは何気なく視線を落すと、暗闇に蠢く物体がゆっくりと袴の上を歩いている。 それが蜘蛛だと分かると、全身に鳥肌が立った。 「!?・・ひぃぃぃぃぃっ!!」 咄嗟に立ち上がり蜘蛛を払おうとしたが、足首がまだ縛られていたのを忘れていた。 あ、と思った瞬間には既に遅く。そのままつんのめり、床へ飛び込むような体勢で倒れていく。衝撃に耐えるためにミランダは瞼をかたく閉じた。 (・・・・・・・・・・・・?) 痛くない。 ドン、という僅かな衝撃は感じたが、それは痛みではなく柔らかな厚みで。安心感とかそういった感覚。 「!!」 抱きしめられているのだと分かったのは、目を開けてすぐマリの顔が見えたから。 本当に目と鼻の先といってもいい程の距離。こんなに間近に男性の顔を見るのはティキ以外初めて、抱きしめられるのはティキにもない。ミランダは鳴り出した心音の大きさが、マリに聞えるのではないかと心配した。 「・・・・・・」 「・・・・・」 マリも咄嗟に助け抱いてしまったが、いざ腕に彼女の感触があると少々不埒な感覚が芽生えてしまう。目が見えないので、なおさら腕に感じる重みに気持ちがざわめく。思ったより華奢なのが衣越しに分かった。 よく聴こえる耳が、ミランダの微かに乱れた呼吸を捉える。たったそれだけのことが、胸の鼓動を速めて、自分の呼吸も乱れさせた。 放すことも離れることもせず、お互い見つめあうように顔を近づけていた。もちろんそれ以上をするつもりはない、けれど身じろぎ一つも躊躇われた。 「おい」 鳴り響く胸の音に紛れて、その聞きなれた声が聞こえた時、ミランダは熱くなっていた体が急速に冷えていくのを感じた。と、同時に嫌な汗が全身をつたう。 まさか、いや、そんな、ありえない。脳裏に浮ぶ否定の言葉は次に聞こえた言葉によって、脆くも打ち砕かれた。 「ずいぶん、お楽しみのようじゃねぇか」 軽い口調とは裏腹に、背筋も凍る冷たい声。 そこにいるのは、今夜主役である男。塗籠の閂を手に持ち戸口に寄りかかり、こちらを愉しげに見ている、兄のティキだった。 つづく [*前] | [次#] |