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『この愚図、だからおまえは駄目なんだよ』


頭の中に響いたのは少年の声。
ああこれは子供の頃の兄の声だ、そう気付いた時、ミランダは自分が夢の中にいるのだとぼんやり思う。
小さな頃はいつもこうしてティキに詰られたのを思い出す。苛められ、罵られ、馬鹿にされて。叩かれ抓られ足蹴にされて、よく泣いていた。今も泣き虫だと叱られるが、子供の頃はさらに輪をかけた泣き虫だったと思う。


幼くして両親を亡くした自分には2人の兄がいたが、シェリルは年も離れていたし忙しくて妹の傍に来ることは殆ど無く、年の近いティキと共に過ごすことが多かった。
ティキは美しい顔立ちから目立つ子供で、周囲の女房達もみなティキを優先してミランダをあまり気にかけることは無かった。けれどそれはミランダも同じで、女の子のように綺麗な兄がちやほやされる姿は、誇らしさと憧れで胸がときめいた。
なにしろ自分は発育も悪く、髪はひどい癖毛だし顔色は悪い。3人兄妹のなかで1番地味な顔と存在感で、新参の女房がフェイを主家の姫と勘違いしたことは1度や2度ではない。仕えがいのない主だと自分でも思う、兄達のような華やかさが欠けていた。

また、引っ込み思案なミランダは、手紙のやりとりをする友人もいなかった。琴や歌も得意どころか残念な腕前な為、シェリルの妻のトリシアが催す歌会や管弦の遊びも恥ずかしくて出席できない。なるべく目立たないようにと過ごしている主人に仕えるのは、つまらないだろうと思う。
実際にそれで辞めていく女房もいたが、シェリルは体面を考えてそれなりに人数を揃えていたいらしく、またどこかしら人を集めてくるので、ミランダはその都度申し訳なく思っていた。(当時兄は自分を後宮に上げようと思っていたらしく、仕える女房もかなり厳選されていた。)

成長したティキはシェリルの期待通りに社交界の華になり順調に出世した上に、名のある貴族からは季節ごとの花見や月見や管弦といった宴には華を添える客人として、丁重に扱われている。そんな立派になったティキだが、ミランダの前では昔のままで変わらず意地悪で乱暴な兄だった。
二人とも成長したのだが、関係は同じだった。苛める兄と泣き虫な自分、いい大人の今になってもミランダはティキに泣かされてしまう。けれど小さな頃のように理不尽な理由から罵られても、兄を嫌いではなかった。
子供のころから傍にいたフェイは、当のミランダよりもティキに対して腹を立てていたのだが、ミランダがそれについて困った顔をしていると、やがて彼女も何も言わなくなった。

ティキを肉親だから庇いたくなるのかと思っていたこともあるが、それは違う。

好むも好まざるも、いつでも束縛し、馬鹿だ、阿呆だ、と罵りながらもティキは自分から一度も離れなかった。
そして自分自身、兄が離れる不安を感じたことはなかった。


ミランダにとって、そんな相手はティキだけだった。






◆◇◆


(・・・?)


暗闇が視界に広がる。まだ夢の中なのかと考えたが、じわじわと手首と足首からの痛みに、自分が縛られていたのを思い出した。
途端に意識が判然として、記憶が一気に甦る。そうだ、ここは塗籠だ。自分の部屋の塗籠に閉じ込められたのだ・・・・・ティキに。

朝に兄を怒らせてしまったことに一日塞いでいたミランダだったが、夕方またしても突然現れたティキによって両手両足を縛られた。どういうことか恐る恐る聞いたのだが、朝からの怒りがまだ収まっていないらしくミランダの両頬をギュウウッと抓ると、

『いいか、自分を厨子や唐櫃だと思え。オレが戻るまでは動くな声を出すな、また何か妙な真似をしやがったら只じゃ済まねえからな』

そう言って、びっくりして何が何やらさっぱりな自分を置いて、塗籠から出て行ってしまった。

兄はよほど自分が彼の人に手紙を書いたことが、気に食わないらしい。ティキが悪戯や意地悪以外でここまでするのは初めてだ。
もう手紙は書きません、と言えばよかったのだろうが、どうしてか兄を前にしてその言葉は出てこなかった。今までならどんな時も、ティキの機嫌を損ねることはしないようにしていたのに・・。

部屋にはミランダのほか誰もいなかった、フェイはシェリルの用があるとかで出て行っていたし他の女房はこれもシェリルに呼ばれていた。つまりティキ以外誰もミランダが閉じ込められていることを知らない。
ティキが戻るのは早くて翌朝だ。それまでずっとこのまま暗がりに閉じ込められていなければならないのか、ミランダは泣きそうになったが、次の瞬間フェイのことを思い出すと気持ちが少し落ち着いた。
それほど遅くならないと言ってたから、やがて戻ってくるだろう。昔からこういった時に見つけてくれるのは乳姉妹の彼女だった。迷惑ばかりかけて、いつも申し訳なく思うのだが、いざとなるとやはり頼ってしまう。フェイが戻るまで、ここで大人しくしていよう。



‐−−そんな事を考えているうちに、知らずに眠ってしまったらしい。




屏風と畳の隙間にいたせいか、体の節々が痛い。縛られた手と足も長い時間が経っているからか痺れてきた。あれからどの位経ったのだろう、夜であることは分かるのだが月も見えない場所の為、時を読むこともできない。
フェイはまだ帰っていないのだろうか、心配になりミランダは耳をすますと人の気配が戸口からしたのでホッとして屏風から顔を覗かせた。

「ティッキーもこんな所に隠したって仕方ないのにねぇ。ホント詰めが甘いんだから」

突然聞こえた少女の声と、誰かが入ってきたらしい物音。そしてガタンという閂が下りる音が聞こえ、戸は再び閉じられたらしい。焦るよりも何が起きたのか分からないミランダは、不安な気持ちで目を凝らす。
暗闇の中、ぼやんと浮かび上がった大きな影。咄嗟に侵入者が男性だと分かって、ミランダの心臓が思い切り跳ねた。

(ティキお兄様?)

そんなわけないと思いながら、今はそうであって欲しいと願わずにいられない。正体不明の男とこんな狭い場所に二人きりだなんて恐ろしすぎる。鳴り響く心臓と、全身から血の気が引く感覚にミランダが石のように硬直していると、突然その声は聞こえた。

「・・・・・・ミランダ、姫か?」

名前を呼ばれたことに、まず驚いた。
自分を知っている人間らしいが、その声は身内の人間ではない。それだけでミランダは震えて、逃げ出そうと立ち上がる。けれど手足を縛られているのを忘れていた為、もつれて前のめりに倒れた。
手をつくことも出来なかったため、顔面から板間に突っ込み強打したが自力では起き上がれない。痛みを上回る恐怖心から、必死に逃げようと尺取虫のように動くが衣装が邪魔してちっとも進まなかった。

「だ、大丈夫かっ?」

男が驚いた様子で近づいてくる。声を出そうにも喉の奥が硬直してぴくりとも動かない、ミランダはぎゅうと瞼を閉じて身を硬くした。

「すまない、その、あやしい者では、いや十分あやしいが・・あなたを傷つける気はまったくないから、その点は安心してくれると・・助かるんだが」

距離を保ちつつ申し訳なさそうに言うその声に、ミランダは覚えがあるような気がして。そっと強打した顔面を上げて男の顔を窺う。

(・・・?)

連子窓から月明かりが差し込み、男の姿を照らす。大きな体と厳つい面相がぼんやりと見えてくると、今度は違う意味で心臓が跳ねた。
それはここに居るはずの無い人物、ひそやかに胸をときめかせた相手。ノイズ=マリ中将だった。





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