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ルルはゆらりと立ち上がり御帳台から出ると、ティキを見下ろす。傍にいたはずの女房はすでにいない、扇を投げた段階でかなり後方へ下がっていたらしい。

「おまえだけが嫌なのではない、誰であろうと同じだ。自分が特別だと思っているようだが、おまえなどお父様に比べれば虫だ、いや虫以下だ。石、それも砂利石だ」
「い、いや、だからオレが言いたいのは、千年公のことではなくて・・ほら、あんたが慕う男をオレがどうこう言う気はないってことをだな・・」
「言われなくとも、おまえ如きが私の心を左右できるはずがなかろう。思い上がるな」
「さ・・さようですか」

もう、見っとも無くてもいいからこのまま逃げ出してしまおうか。ティキはじりじりと床に尻をつきながら後退したものの、先ほど自分が倒した几帳の山が邪魔で進まなかった。
諦めのような心境になりながら、こちらを見下ろすルルに投げやりに聞く。

「あのさ、じゃあなんでオレとの縁談受けたわけ?押し付けられてないんなら断ればいいじゃねぇか」
「なにをぬけぬけと・・・おまえ達のほうからお父様をそそのかしておいて」
「オレじゃねぇよ、シェリルだろ。言っとくけどオレは関係ねぇよ、どっちかっていうとオレは押し付けられた方だからな」
「どちらも同じだ、この場に現れた段階でおまえも同罪だ。おまえさえいなければ、お父様が私を結婚させようなどと思うはずはなかったというのに・・!」

美しい顔に青筋を立てながら、ルルが袖に手を入れ懐剣を取り出す。驚きと恐怖にティキの体が強張った時、さすがに慌てて女房が止めに入る。

「い、いけません姫様。堪えてくださいませ・・!」
「放せ。この男がいなくなればお父様も目を覚まして下さる、ずっと・・お傍にいさせて下さるはずなのだっ!」
「わざわざ姫様のお手を汚される必要はありません、方法はいくらでも、いくらでもございますから・・ここは一先ず、一先ず堪えられてくださいませっ」

三人がかりで押さえられて、ルルはもがきながら眉を吊り上げ懐剣を振り上げる。老女房達はそれにも怯まず、さらにがっちりと押さえ込む。

「そなたらがそう言って、結局この日を迎えたではないか!生ぬるいのだ、だから一思いに断ったほうがいいと言ったではないかっ!」

断つ・・って何を?聞きたいが聞けるわけもない。
ここまでの会話で、ルルの千年公への並々ならぬ想いがわかった。父親離れしてないとかそんな類の想いではない、まるで恋でもしているようではないか。

(え、もしかして・・・・そういうこと?)

ルルの「好きな男」とは、まさか父親の千年公?
思わず目を見張りティキは顔が引き攣る。とんでもない関係に巻き込まれるところであった。いやもう巻き込まれているが。
とにかく逃げなければ、このままここに居ては危険だ。ルルは女房達に押えられている、もうなりふりかまっていられない今のうちにここから出ていくのだ。穏便にいかなくてもいい、こうなったら噂の一つや二つも望むところである。

そう覚悟を決めた時、渡殿からなにやら人の言い合う声がした。やがてそれはすぐ近くまで来たのでティキならずルルも気付き、女房の一人が急いで戸口まで向かうと声の主らしい若い女房に注意する。

「なんじゃ、騒々しい。控えなさい」
「も、申し訳ありません。実は中将さまに緊急のお手紙が・・今日はご婚儀ですとお断りしたんですが、すぐにお渡ししろと何度も強く言うものですから」

「手紙?」

思わぬ助け舟にティキは身を起こし、素早い動きで戸口まで行くと若い女房から手紙を受け取る。それは手紙と言うには少々お粗末で懐紙を小さく結んだだけのものであった。

「あ・・あの中将さまのご実家からです」
「オレんち?」

はい、と肯く若い女房の顔はほんのりと赤い。殺伐とした状況にその反応はとてつもなく癒される。「ありがとう」と笑顔を見せるとさらに彼女の顔が赤くなったのにティキは気を良くし手紙を開いた。
見慣れた文字、ミランダ付きのフェイの手蹟に眉を寄せる。意外な相手からの手紙に訝しく思いつつも目は文字を辿った。


「・・・・・・・」


手が震えているのに気付いたのは傍にいた老女房である。ティキは今にも破きそうなほど強い力で手紙を握り、やがてぐしゃぐしゃとそれ丸めると床に投げつけた。
はーっ、と大きく息を吐き天を仰ぐ。乾いた笑い声をこぼして抑え切れない怒りを吐き出すように、傍にあった二階棚を蹴り上げる。ガターン!と棚が倒れ、箱にしまってあった鏡や櫛が床に散らばった。

「あんの野郎・・・!」
「ち、中将さま?どうかなさいましたか」
「くそっ、やりやがった・・・あの野郎、またしても・・!」
「は・・?」

老女房が怪訝な顔でティキを見るも、彼はブツブツと独り言を呟き怒りからか頬を痙攣させている。よほどひどい内容の手紙だったのか気になったところで、ティキは鬼の形相で妻戸を勢いよく蹴り開けた。
そのまま出て行こうとするので驚き、女房は咄嗟にティキの袖を掴む。けれど乱暴に腕を引き上げられたので鈍い音とともに袖の繋目は裂け、ちぎれた。

「お、お待ちを・・中将さま?」

ティキはそのまま廂と簀子を飛び降り、靴も履かずに裸足のまま庭を降りたので女房も追いかけるのを躊躇い、ちぎれた袖を手に主人を窺う。
ルルはちょうど傍に転がってきた先ほどの手紙を取り開いている。くしゃくしゃのそれを興味深げに読むと、彼女の口の端が微かに上がったような気がした。

「姫様。中将さまも三日夜の餅を召し上がられておりませんし、このご縁は無かった・・・ということでよろしいでしょうか?」

どこか安堵したような顔で別の女房が聞く。ルルはティキの手紙を燈台へと焼べ、音も無く燃えていく懐紙を見ながら首を横に振った。

「?どうかされましたか、なにかお気にかかることでも?」
「・・・・いや、このままではお父様の面目も立つまい。そこの餅を庭にでも捨てておけ。今日のところはそれでいい」
「まあ、それでは姫様」
「勘違いするな、私がこのままで済ませるはずはない。あの男はお父様を誹謗した、それだけで万死に値する」

そう言って懐から出したのは、ティキの扇。ルルから逃げようと後ずさりしていた時に懐から落ちたのだった。
男にしては珍しい華やかな柄の檜扇、帝からの下賜の印。それらをじぃと観察してルルは再び扇を懐にしまうと、女房が簀子から餅を撒こうと銀盤を持って出ていくのが見えた。

「待て」

手をかざしそれを止めると、盤に載った餅を吟味するように見て一つ手に取る。

「どうかなさいましたか?」
「これは私が処分する、あとは庭の鼠にでもやるといい」

女房は一瞬不思議そうな顔をしたが、ハイと肯いて廂へと出た。
大きめな白い餅を手に、ルルは御帳台へと再び入るとと帳台の中の唾壺に餅を入れる。手についた白い粉を手水で洗い流すと、懐からティキの扇を出し広げて見た。


「・・・・運のいい」


それは自分にとってか、はたまたティキにとってか。
呟いたルル自身もわからないまま、パチンと扇をとじると自分の婚儀の宴から聞こえる筝の音色に耳を澄ました。





◆◇◆◇◆



東廂から南面に回り、広廂の前を通って正殿と結ぶ透渡殿を渡る。反り橋の上を歩いていたが、マリは奇妙な違和感を覚え足を止めた。

「どうかなさいましたか」
「・・・・いや、随分と静かだな」
「はい。本日はティキ様もシェリル様もいらっしゃりませんから、お休みを頂いてる者が多いようです。」

案内の女房がそう言って再び歩き出したのでマリも付いて行く、けれど先ほどからの違和感は拭えない。言っていることは分かるのだが・・・それにしても少なすぎるように思えて。
とはいえそれを不審に思うのもおかしな話である、自分は主人のいない邸に上がりこうして迷惑をかけているわけだから。どちらかといえば人が少なくて感謝すべきだろう。

簀子へ下り女房は妻戸を静かに開けたが、その仕種の慎重さをあまり気に止めずマリは廂へと入る。その時、まるで最初から決められていたように自然な動きで女房は妻戸を閉めた。マリ一人を残して。
何も言わずに消えた女房に慌てマリは戸を開けようと押したが、外から掛け金をかけられている。驚きよりも困惑が先に立つ。これでは閉じ込められたも同然ではないか。

「おい、どうかしたのか」

夜なので声をひそめて扉の向こうへ声をかけるが、なんの反応もない。もう一度戸を押してみるがガタガタと掛け金が揺れる音がするだけだった。
どういうことなのか意図が分からない、念のためもう一度声をかけるも予想通り返事はなかった。掛け金自体はそれほど頑丈なものではないので何度か揺すれば外れるかもしれない、しかし余所の邸でそれをやるのは抵抗がある。
神田の件もあるし、一応謝罪に来ているわけだからあまり騒ぎを起こしたくない。もっともこれが神田ならなんの躊躇いもなく戸を蹴破り掛け金を壊すだろうが。

(・・・とりあえず、ここから出なければ)

なぜ女房がこんな真似をしたのかは分からないが、この場にずっと留まっているわけにいかない。じきに神田も回復するだろう、そうなった時にまたトクサと一悶着あっては益々こちらの立場がなくなる。
おそらくこのまま廂を渡っていけば広廂へと出るだろう、そうすれば簀子から階段があるはずだ。靴も履かずに庭を下りるには抵抗があるが、この際仕方ない。
普通こういった邸の造りなら出入りの妻戸がもう一つあるだろうが、余所の邸をウロウロ探し回る姿を想像するとさすがに見っとも無くて。出来るだけ穏便に済ませたかった。

廂を静かに歩いていると、この対屋が誰かの居住空間であると分かってくる。あまりにも人の気配がしないので物置的な場所なのかと思っていたが、部屋全体から漂う薫物の香りがここの主の存在を物語っていた。
沈、麝香や甘松が調合された香りは六種の薫物の一つ「菊花」。秋らしい香りに、もしかするとここはシェリルの私的な部屋なのかもしれない。かの人はもともと趣味人だから邸の空薫物にも気を使いそうだ。

(そうなると、尚更早々に退出しなければ)

焦りつつ歩みを進めていると、広廂から母屋につながる空間へと出たのでマリはホッと息をついた。御簾を上げて通れば庭に面した廊があるはずだ。音を出さないようにそっと持ち巻き上げる。
ふと、庭から秋の虫が鳴くのが聞こえ一瞬そちらに気を取られたマリは、背後の気配に反応するのが遅れた。

「あ〜あ、もう行っちゃうの?」
「!?」

突然聞こえた少女の声に、マリは思わず巻き上げた簾を落とした。猫のような動きで少女は衝立から顔を覗かせ、くすくすと笑う。

「誰だ?」
「ねぇ、全然気付かないの?ここがどこか」
「どこ?・・いや、それよりこの邸の童なのか?すまないが正殿まで続く妻戸を案内してもらえないだろうか」
「ボクが?うーん、まあいいけどぉ」

少女が軽やかな動きで傍に近づいて来ると、その衣擦れの音が上質な唐織物の趣きで香る薫物も上品な物なのに気付く。どうも普通の女の童ではない、もしかするとロード姫に仕える娘なのだろうか・・?
マリがそんな予測を立てていると、少女は覗き込むようにマリを見て鈴を転がすように笑った。

「残念だけど、ボクが誰かは教えてあげられないんだぁ」
「あ、いや・・」
「ああ、そうだココから出たいんでしょう?いいよ、案内してあげる」

おいでよ、と手招きし歩き出す。本当に案内する気があるのかどうなのか、マリは何だか狐につままれたような奇妙な感覚になった。
ともあれここは付いて行くべきだろう、庭に下りる覚悟までしていたが出来るなら廊を歩いて行きたい。足を真っ黒にして戻るのは立場が立場であるから好ましくない。

衣擦れの音とともに、少女は母屋の中心を歩いていく。途中、なぜか几帳や屏風が倒れているのに気付いたが、彼女は暗闇なのにまるで見えているかのように避けていた。

「・・・まったくぅ、二人ともホントに詰めが甘いんだから。まあ、ボクはどっちかって言うとコッチのが楽しいからいいんだけどさ」
「?」

独り言にしては大きな声で呟く少女を怪訝に思い、マリは首を傾げる。

「大事なモノを取られたら、きっとスゴーク怒るし悲しいだろうなぁって思わない?」
「?・・・まあ、そうだろうな・・」
「うん、だから取っちゃってくれる?そしたらきっと背中押されるんじゃないかな、ああでも基本がへなちょこだからなぁ無理かもしれないけどさ」
「???」

取るだの取られるだの、意味が分からない。先ほどからいったい何のことを言っているのだろうか。
そんなマリに少女はまたもクスリと笑うと、掛け金をカチンと外す音が聞こえてキィと戸が開いた。もう妻戸まで案内されていたらしい、全く気付かなかった。
お礼を言おうとしたが次の瞬間背中に強い衝撃を感じ、気を抜いた時だったのもありマリは前のめりになって戸口を通る。さすがに転ぶことはなかったが少々ふらつき、少女の方を振り返った時には戸はしっかりと閉じられていた。


「やるならやっちゃっていいよ、ティッキーもこんな所に隠したって仕方ないのにねぇ。ホント詰めが甘いんだから」


ガタンという物音と衝撃に、マリは今通った戸口が妻戸ではないのに気付いた。あの音は閂を掛ける音に似ている、まさかと顔が青ざめる。閂が掛けられるということは・・・・ここは。

(塗籠、なのか?)

塗籠とは調度や衣装をしまったりする所で物置としても使われる部屋である。こんな場所に閉じ込められては戻るどころか人が来るまで待たなければならないのだ。
もしここがシェリルの私的な部屋であったとすれば、マリは主人の部屋に忍び込んだという汚名を着る可能性もある。それはもはや神田の失態どころの話ではない。
女房といい、さっきの少女といい何なのだ。一体全体自分をどうしようというのだ。

怒りよりも混乱し、とりあえず戸を押してみるが掛け金と違いビクともしない。戸の向こうから少女の存在も消えて、マリはこの状況を途方に暮れたように額を押えた。

「・・・・・・?」

ふと、何かに気付いてその手を放す。
気のせいかと首を振ったが、やはり間違いないと思いなおしてマリはその方向へ顔を向けた。

(誰か、いる?)

耳がいい自分は人の気配に敏感である。それは呼吸や微かな衣擦れ、または言葉にうまく出来ないが、その個人が発する空気感のようなものを感じることが出来るのだ。
聞き覚えのあるそれは、マリの胸を唐突に高鳴らせる。まだはっきりとそれが誰か特定できていないにも係わらず。

「・・・・・・ミランダ、姫か?」

その人は、重ねられた畳と折りたたまれた屏風に隠されるように座っており、手と足を縛られ身動きが出来ない姿であった。









END



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