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◆◇◆


なにかがおかしい、それがなにかは説明することができないが、マリは落ち着かなかった。

キャメロット邸に着いて、暫く。
座してシェリルを待っていたマリと神田だったが、邸内の奇妙な静けさに妙な胸騒ぎを覚える。
もしや、と思いながら口にするのを躊躇ったが、横にいる神田の苛立ちがびしびしと伝わり、弟がなにか言う前にと結局口を開いた。

「違ったら申し訳ない・・・・シェリル殿は、いらっしゃらないのではないか?」
「そうですね、まあはっきりとあなた方を連れてくるとは言ってませんから。もしかしたらもうお出かけかもしれませんね」

とくに気にする風でもなくトクサが言う。それがなにか、とでも言いたげに。

「おい、ふざけんな。てめぇが呼んどいて居ねぇってのはどういう了見だ」
「こら神田」
「最初からシェリルさまがお呼びだなんて、一言も申してませんが・・?」
「ああ?詫び入れに来いって言ったんじゃねぇのかよ、だからこっちはわざわざこんなとこまで来てやったんだろうが」

舌打ちしてトクサを睨む。その眼光は鋭く、並みの人間であれば慄くのだろうがトクサは顔色一つ変えない。
貴族的な優雅なしぐさで扇を口元にあてると眉を軽く寄せて、

「そもそもあなたを呼んだつもりはないんですけどね、言ってはなんですが、六位のあなたが大納言のシェリルさまに簡単にお会いできると思ってるんですか?」
「なんだとこら」
「落ち着け、神田。すまないがトクサ殿、わたしも気になるのだが・・ではシェリル殿はわたしたちが来ることは知らないのか?」
「知りませんよ?これはわたしの善意でやったことですから」
「善意だ?」

ぴき、と青筋がこめかみに浮き上がり、我慢ならないと神田は立ち上がった。

「帰るぞマリ、こんな場所に長居は無用だ。あほらしい」
「おい、まて神田」

トクサに背を向けて歩き出す神田だったが、くすと笑みをもらす声が背後からして足を止める。

「帰るならあなたお一人でどうぞ、そもそも中将殿しかお誘いはしていなかったんですけど。勝手についてらしたのはどちらでしょうね?」

振り返った神田はもう一度トクサを睨む。刺すような視線を向けると凄味を利かせた声で、

「そもそもオレのやったことで、なんでマリがここまで詫びにこなきゃなんねぇんだよ。そっちの方がおかしいだろ、オレに直接言やあいいじゃねぇか」
「まあ・・色々噂を聞きますから。内大臣さまのご子息だというのに未だ検非違使。シェリルさまにお一人で会いたいならもう少し出世なされてからですね」
「この野郎、さっきから聞いていりゃペラペラと腹の立つ・・・いちいち勘に触る野郎だ」
「神田、いいから座っていろ」

一触即発、といった空気にマリが慌てて神田の衣の裾を掴む。トクサの言ってることは合っているだけになおさら腹が立つのだろう。
神田の気持ちは分からないではないが、ここはトクサが言っていることの方が正しい。

もともと二人がここに来たのは、二晩続けて神田が遣らかしてしまった件をシェリルに詫びるためである。ティキへの抜刀と誤認逮捕による抑留。
どちらにも神田の言い分があるのだが、第三者からすればティキの方が被害者だ。
本日ティエドール邸に現れたトクサは「あくまで噂話」と前置きしながら、シェリルが立腹していることを告げに来たのである。
『ことがことであるから大袈裟にはしたくない、しかし弟の晴れの日に瑕をつけられ内大臣ならびに中将からなんの言葉もないのは納得がいかない』そうこぼしていたと。

抑留もなにも勝手にアイツが居座っていただけだ、と神田は怒り心頭であったがマリは初めて聞いたその事件に軽く目眩がした。
抜刀だけでも大変なことなのに、仕事上とはいえ二晩続けて、しかも誤認。さすがに今回ばかりは内大臣の父が出ないと治まらないだろうと。神田が一番嫌がる展開ではあるが致し方ない、そう思っていたのだが、

「今日はシェリルさまはお出かけのご予定ですが、その前は・・・お時間があるようですよ?」

トクサの含みを持たせた言い方は、だから詫びに行け、と誰が聞いても思っただろう。その言葉どおりマリはトクサと共にキャメロット邸を訪れることになった。
神田は、マリが一人で大丈夫だからと言ってもついていくと聞かず、正直詫びに行くならばマリ一人の方がよかったのだが、本人の意思を尊重して連れて来たのである。

シェリルが不在であるならば、ここまで来た意味がない。出直す方が賢明だろう。
マリはそう考えて告げようと口を開いたが、トクサが近くの女房を呼ぶ声が先んじて結局声を出すこともできなかった。

「とりあえずこのままお帰りになられるのは、わたしも申し訳が立ちません。軽く一献かたむけさせてください」
「いや、そういうわけには・・わたしたちは謝罪にまいっている訳だから」

頭を振り辞退の意を見せたが、ちょうど女房が酒を運んできて伝わらなかったらしい。マリの前に膳が置かれ、酒と少量の肴がのせられていた。

「トクサ殿・・申し訳ないがこういうことは・・やはりわたしたちは帰らせてもらう」
「中将殿、こちらの酒は本日ご婚儀に振舞われる祝いの酒なんですよ?それを拒絶なさるんですか?」
「しかし・・あまりに不謹慎ではないか?主人の留守にこうして酒を飲むなど・・」
「分かりますが、それはあなたの心持ちの問題でしょう?ティキさまのご婚儀をお祝いしたいという心持ちがあるなら、一杯くらいお付き合いなさるのでは?」

まるでそうしないのが失礼とばかりに、眉をひそめるトクサの言葉は、妙な説得力を持ちマリを追い詰める。
本来はこのまま帰るべきなのだ、それは分かっている。しかし祝いの酒を飲まずに帰るというのも、やはり失礼に思えて。結局マリは躊躇いつつも杯を受け取った。

「・・・では、一杯だけ」

トクサの白く女のような手から酒が注がれる。透明な液体が杯を満たしたその時、彼の唇が僅かに上がる。まるでうまく事が運んだことに対する満足感のようで。

神田は咄嗟にマリの腕を掴んでいた。

「ちょっと待った!」
「?なんだ?」
「それは・・・・オレが飲む」
「神田?オレがって・・そもそもお前は下戸だろう?」

いきなりの弟の申し出にマリが戸惑う、神田はめっぽう酒に弱いのだ。

「いいかマリ、お前絶対ここにあるもん口つけんな!この野郎、なんか企んでやがる」
「失礼な。企んでいるとはどういうことですか?なんですか、この酒に毒でも入っているとでも?」

さすがにムッとしたのかトクサは眉を吊り上げると、自分の杯の酒をぐいと呷り、ゴクンと喉を鳴らした。

「・・・・これでよろしいですか?言っておきますが、これは正真正銘の祝いの酒です。それをどういうつもりですか、あまりに失礼すぎる」
「申し訳ないトクサ殿、弟はいろいろと気にかかる性質でして・・その、悪気があったわけでは」
「うるせぇマリ!いいからその酒寄こしやがれ、オレが検めてやる!」

腕を掴み、マリの手に持ったままの酒をズズズッと啜りながら飲み干した。

「おい神田!大丈夫か、お前・・」
「べつにこれくらいなんともねぇよ、いちいちうるせぇな!」

空になった杯を見てマリが心配するが、本人はこれといって変化がないことが不満のようであった。

「どうです?なにか入ってましたか、単なる美味しいお酒でしょう?」
「チッ・・・こんくらいじゃ分かんねぇよ、そいつごと貸しやがれ」
「こら、いいかげんにしろ!」

今度は酒を器ごと呷ろうとするので、マリが慌ててその腕を掴む。ただでさえ弱いのにこれ以上飲んだら大変なことになってしまう。
神田の体のことも心配だが、これ以上謝罪する事が増えるのは勘弁してもらいたい。

「うるせぇ!邪魔すんな!」
「!?」

捕らえられた腕を勢いよく振り切る。その瞬間、神田の手にあった酒の注ぎ口がマリへと照準を合わせ、そのまま豪快に零れた。
ビシャ、そんな音が聞こえそうなほど浴びせかけられ、顔は無事ではあったが首から下、とくに胸元は直衣を通り中の単まで染み渡っている。
しかし冷たい感触に気づく間もなく、マリは弟の異変を察知する。手に掴んでいた神田の腕が力なくガクンと落ちていくのに気づき咄嗟に体を抱きとめた。

案の定というか予想通り、酔っ払っている。神田は眉間にシワを寄せ、ぐらぐらと揺れる頭を手で押さえていた。

「!・・おい」
「どうしたんですか?」
「申し訳ない・・・・弟は、酒に弱いもので」
「弟さん、一杯しか飲んでいませんよね?」
「はあ・・」

真性の下戸である神田は、以前から一口でも飲むと意識が判然としなくなる。あったとしても大変な頭痛から身動きがとれなくなるのだ。
元服の時もそれで意識を失い、結局式を中断できずに失神したまま烏帽子をつけるという、ほろ苦い思い出の持ち主でもあった。

「トクサ殿、すまないが弟を少し休ませてもらって構わないだろうか。この調子だと動くのも辛いと思うので」
「ええ・・それは構いませんが、中将殿も濡れた衣を乾かされたほうがよろしいのでは?この季節ですから夜は冷えます、なにより肌にへばりつきますよ」
「いや、わたしは・・」
「着替え、といっても中将殿はお体が大きいですから・・とりあえず小袖の中に布を入れておけば、濡れた感覚もしないのでは?お部屋をご用意しましょう」

たしかにさっきから首から下にかけて、酒の匂いと共に冷たく不快な感覚がしている。肌にしみてきて時間が経てばべたつくであろう。
しかし余所の邸であまり遠慮なく振舞うのも抵抗がある、神田の事もありやはりこれ以上世話になるのは慎むべきだ。

「いや、しばらくすれば弟も起き上がれるくらいになるはず。それまで休ませて頂くだけで申し訳ないのに、ご厚意だけ有難く受け取ろう」
「そう仰いますな、ただいま女房がお部屋をご案内いたしますから。どちらにしても直衣は脱がれた方がよろしいでしょうね。弟さん、匂いだけでも酔っ払いそうですし」
「・・・・・」

たしかに、自分でも鼻につく酒の臭気は、神田の回復の妨げになりそうである。そんなマリの気持ちを見透かしたようにトクサはくすりと笑みを漏らした。
躊躇いつつ腰を上げると、側に控えていた女房が案内のため立ち上がる。
ふと、何かに衣を引っ張られるような感覚がして振り返ると、朦朧とした意識の神田が弱々しい力で、袴を掴んでいた。

「・・・・ま・・や・・」
「神田、少し席を外す。大丈夫か?とにかく休んでいろ」
「ち・・・」

なにか話そうとしていたが、袴を掴んだ指の力が抜けてするりと手は床に落ちた。完全に意識が遠退いたらしい。
マリはそれを訝しく思うこともなく、トクサへ軽く会釈をして案内の女房と共に部屋を出て行った。


「ごゆっくり」


背後からそんな呟きが聞こえた気がして、マリは顔を僅かに後方へ向ける。
しかし前を歩く女房の足取りが思いのほか速く、それについて思いを巡らすことなく廊を歩いて行くのだった。














END


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