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牛車の物見から丸い月が見えて、そういえば今日は満月だったとフェイは思いだす。
そうたびたび外出することがないので、いつもと違う場所で見る月に不思議な気分になった。

シェリルからの内々の使いのため、いつもより粗末な網代車に乗っているが動くたびにギィギィと音が鳴り不愉快で。早く用を済ませて帰りたいものだわ、とフェイはため息をついた。
婚儀のため夜は人が少なくなるから、ミランダの側にいてあげないと。今朝のティキとのことのせいか、今日はずっと元気がなかったのだ。
まだ色々気にしているらしい、よほど放っておけと言いたかったが一応あれでも主家の次男坊だ。それにティキが怒ったのもフェイが差し出た真似のせいでもある。
たかが女房が口を挟むことではなかった、いつもなら一歩退いてさりげなく援軍にまわるのだが、今日はらしくないことをしてしまった。

反省しつつ、車輪の軋む音を聞いていると、どうやら目的地のティエドール邸へとついたらしい。供人の掛け声がして、簾を開けて搨(しじ)を踏み台にしながらフェイは車を降りた。
すぐに現れた男にシェリルからの使いと告げようと、顔を上げたフェイは思わず顔を強張らせた。

「あ、あなた・・・・何してるの?」
「あれ?きみ、どうしたの?」

てっきり使いの男だと思っていたら、目的の相手コムイその人であった。
相変わらずヨレヨレの狩衣を着ていて、前見たときと同じ衣である。烏帽子もしていないからパッと見て下男と間違われてもしかたない。
これが本当に中納言という位にある人なのだろうか、普段より衣服に気をつかうシェリルやティキを見ているせいか、フェイはいまだに信じられなかった。
コムイは身分の違いなど気にするふうも見せず、にっこり笑いながら。

「今日はキレイな満月だね、アレ見てると団子が食べたくなると思わない?」
「え?・・あ、そ、そうですね」
「実はこれから僕が作った団子を、みんなに試食してもらおうと思ってるんだけど、きみもどう?色々漢方を混ぜたからね、精がつくよ」

差し出された団子は今まで見たことのない奇妙な色をしていて、どう見ても食欲のそそるものではない。

「あの、中納言さま、今日は主人より内々の使いとして参りましたので・・お時間を少々宜しいでしょうか」
「え?僕?」

フェイが来たのは、コムイに言われたマリとミランダの縁談をお断りするためだ。
本当は手紙でそれをしようと考えていたのだが、シェリルから強くこちらの意図を調べてくるよう命令されたので、正直気は進まなかったがティエドール邸を訪問したのである。

「別にいいけど・・ねぇ、マリに用事があったんじゃないの?」
「?いいえ、中将さまには今日はなにも・・」
「ならいいんだけど、じゃあ、マリとすれ違いってわけじゃないんだ」
「?・・すれ違い?」

言われている意味が分からず訝しくコムイを見る。

「ちょうどきみが来る少し前、マリがトクサ殿に連れられてシェリル殿のところへ行ったみたいだから」
「なんですって?」
「え?聞いていないのかい?」
「知らないわ・・・・」

どういうことだ、そんな話は聞いていない。シェリルがマリに会うのならフェイがここにいる意味はない。
そもそも今日はティキの婚儀があるからシェリルも千年公の邸に出かけるはずだ。邸から出る時もシェリルはあわただしく衣装を選んでいた。

「どうしたんだい?なにか気にかかることでも?」
「・・・今日はティキさまのご婚儀があるんです、シェリルさまも披露の宴に出席されるから・・中将さまがいらしても誰もいないはずです」

言い終わってフェイの顔が青ざめる。自分で言ってようやく気づいた、嵌められたのだと。
わざと今日のような人のいない夜にマリを邸に招きいれ、「忍び込んだ」ことにして既成事実を持たせてしまうという。
その為に自分は邸から追い払われた、いつもミランダの側にいるフェイは邪魔だから。

「ああ、なるほど・・いや、さすがシェリル殿だ。仕事が速いね」
「えっ?」
「良かった、これでリナリーの入内を遅らすことができるよ」

にっこりと笑い、フェイの手を取ると「ありがとう」と握り締める。
その嬉しそうな様子に手を振り解くのも忘れ、もしやコムイも共犯だったのかという疑いがわいた。

「あなた・・まさかこのこと知ってらしたの?」
「いや、まさか」
「だって今、仕事が速いなんて言ってたじゃない」
「ああ、それは、シェリル殿ならこのくらいはするだろうな、と思っていたから」
「もしかして・・私に話を持ちかけた時から、そういうつもりで?」

取られた手を思い切り振り解き、フェイは憤然と睨みつける。

「いやそこまでは・・あの、怒ってる?」
「怒ってるわ、とっても」
「まいったな・・・ええと、ほら、きみが今日来たのってマリとの縁談を『お断り』するためじゃない?それを言いに来たんだろ?」

その通りである。
コムイは頭を掻き、フェイを怒らせないように気を使いながら話しはじめた。

「だから、一応かたちとして縁談を『断った』男が家主の留守を狙って娘に夜這いをかけた、という既成事実が欲しいんだよ」
「・・・つまり、一方的に中将さまに非があるように見せたいということ?」
「そう。まあマリは責任をとって結婚するだろうし、こちらも一応跡取りがしでかした不始末ってことでリナリーの入内を延期するだろうね、やっぱり」
「あなた、さっきからとても嬉しそうだけど、腹が立たないの?ご自分の身近な人がそんなことされているのに」

きらきらした目で説明するコムイに、怒りつつも呆れた口調でフェイは言う。言われたほうは一瞬気まずそうに笑ったが、

「というか、マリは奥手だからね。こんな手でも使わないと多分一生結婚できないと思うんだ、でもほら僕らは身内だからさ、こういう強行なことってやっぱり出来ないでしょ?」
「強行・・・」
「そこへいくとさすがだよねシェリル殿は。やり方にソツがないよね。マリ迎えに来たのも自分の使いとは言わなかったみたいだし、多分トクサ殿がうまく誘い出したんだろうと思うよ」

感心したようなコムイの言葉を聞きながら、フェイは体の芯から震えるような怒りを感じていた。
強行?強行されるのはミランダのほうだ。子供の頃から人一倍臆病で大人になっても誰より怖がりの彼女が、そんな恐ろしいことに巻き込まれているなんて。
脳裏に大男に組み敷かれるミランダの姿が浮かび、フェイはぶんぶんと頭を振った。せっかく芽生えたほのかな想いを土足で踏み躙る行為に我慢ならなかった。

「冗談じゃ・・ありません!」
「えっ」
「だから男って嫌なのよ、結局最後は力ずくで女を言う通りにしようとするんだから。最低だわ、シェリルさまも、それを認める発言をするあなたも!」

眉尻を吊り上げてコムイを睨んだあと、鼻息荒く着物の裾を翻す。牛に草をやっていた牛飼い童に「車を出して」と告げると本来降りる場所の前簾を開けて乗り込んだ。
月を見ていた時に開いていた物見からコムイの顔が見えたが、怒りにまかせてピシャリと閉めるとドスンと座り込む。ギィと車輪の軋む音が苛立ちをさらに増した。

(なんとかできないものかしら)

女房ごときがでしゃばるなと言われればそれまでだ、これはシェリルの決めたことだ。それは重々承知しているが、納得できない。
幼少の頃よりともに育ったミランダを、主人とは思いながらもどこかで姉妹のように思っていたフェイは、だまし討ちみたいなやり方が気に食わなかった。
なにより、マリに向けてのほのかな恋心を知っているだけに、当の相手から襲われる恐怖はどれほどだろうか。

(奥手ですって?男なんてその気になればいくらでも乱暴者になる生き物じゃないの)

懐から筆を出し先を舐め、懐紙に筆を走らせる。
それを手早く折りたたむと几帳面に結び、動き出した牛車の先にいる供に声をかけようと物見を開けた。

「この手紙を、大急ぎで三条の千年公のお邸にいるティキさまへ。火急の用件だと必ず付け加えて、すぐに読んで頂くように」

間違ったことをしているのは分かっている。よりにもよって本日の主役にだ。
シェリルに知られればクビになるかもしれない。しかし今、この状況でこれほど頼りになる人はいないだろう、ティキの妹への執着を長年そばで見ていたフェイがそれをよく分かっていた。




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