1 今宵の主役、ティキが困ったことになっているらしい。 シェリルは披露の宴の衣装を選んでいたのを中断し、取りも直さずその気にさせる為、弟の部屋へと向かった。 なにせ今夜は三日夜の餅を食べる日であり、これでようやく結婚成立である。その後に披露の宴があり、ティキは千年公の婿として迎えられるのだ。 日も落ち始め、そろそろ支度をしてルル姫のもとへ行かねばならないというのに、今日はずっと寝所にこもりきりらしい。 昨夜の首尾がよくなかったのは、ティキの使いの者が内々に報告してきて知っているが、其れは其れ此れは此れである。 弟もいい年なんだから家同士の繋がりやらを理解してもらわないと困る。なにしろロードの入内が懸かっているのだから。 「ティキ、いるかい?」 軽く声をかけて部屋に入る。寝台あたりからゴソゴソと一人ではない気配がして、すぐに若い女が乱れた衣のまま赤い顔でシェリルの横を通りすぎた。 見覚えのある彼女は、先日ロードの入内の為にと見目好い女房を数人雇った中にいた娘だ。 シェリルはやれやれと肩をすくめ、几帳を軽く避けて寝台へと踏み入れる。ムッとした酒気に眉をひそめる、乱れた寝所は今さっきまでの情事を生々しく物語っていた。 「・・さっきの娘はこないだ宮家から引き抜いたばかりだったのに。かわいいのは分かるけどロードの女房に手をつけちゃ困るな、またどっかで捜してこないと」 「うるせぇな、なんだよ俺は虫の居所が悪いんだよ、とっとと失せろ」 「そうもいかないよ、まさか忘れるはずないよね?主役なんだよ?ティキは」 ボサボサ頭で着ている小袖は腰まで下がり、上半身は裸である。ヒゲも剃っていないから口の周りが汚い。 「ほらさっさと支度しないと、ルル姫が待ってるよ。なんたって今日は三日夜の餅を食べるんだから」 「行かねぇよ」 「またそんなこと言って。大丈夫だってちょっと恥ずかしがりな姫みたいだけど、あちらはあちらで今夜の為に盛大な宴を用意しているんだし歓迎してくれるって」 「行かねぇって言ってんだろ、言っとくが今日はどこにも行く気はねぇからな」 酒臭い息を吐いてティキはギロリとシェリルを睨む。なるほど確かに今日の弟はいつもの彼ではなさそうだ。何があったのかずいぶん荒れている。 「いったいどうしたんだい?なにか悩みでもあるのかい?お兄さまにいってごらん?」 「なにがお兄さまだよ気色悪い、てめぇはそうやって家族家族言いながら、結局は自分の思い通りにことを進めたいだけじゃねえか」 「ああなんだか随分と嫌なことがあったみたいだね、そんな妄想まで浮ぶなんて。いいかいティキ?この僕ほど家族を愛している男はいないよ、いつもいつも君たちを思っているんだよ」 猫なで声を出しながら、自己陶酔ぎみに言うシェリルにウンザリとした視線を向けながら、ティキは近くにあった酒を持ちグイッと呷る。 しかし飲み干していたらしく数滴が舌に落ちるだけで、気分はさらに腐った。 「とにかく、何があったかは後で聞くから今は支度が先だ。なにルル姫とはいろいろあったようだけど、今日しっかり彼女の姿を見たら気持ちも変わるさ。そうとうな美姫らしいから」 「・・・顔?」 「暗い中じゃお互いよく分からないだろうけど、餅を互いに食べる時にハッキリ見れるだろ?期待していいと思うよ」 「・・・・・・・」 ティキは口元に拳を宛て黙り込む。やがて何か思うところがあったのか顔を上げたが、すぐに首を振り「信じられるかよ」と再び寝台に寝転んだ。 「ティキ、これはロードの為だけに言ってるんじゃないんだ。君の将来の為でもあるんだよ?あの千年公の婿だなんて、なりたくてもなれない人はたくさんいるんだから」 「別にもうどうだっていいんだよ、とにかく俺にはもうその気がないんだから。つかそもそも自分の出世の為だろうが」 「またそんな心外なことを・・・僕はいつでも家族のことを考えているよ。ロードは勿論のことティキにも幸せになってもらいたいし、ミランダだって後々は・・・あ、いや、うん」 「・・・?」 わざとらしく語尾を濁す兄にティキは不審に思い、眉尻を跳ね上げ訝しげにシェリルを睨む。一瞬「しまった」という表情を見せたのがさらに怪しく、寝台から体を起こした。 「おい。今のはどういう意味だ」 「どういうって?ああ、みんなの幸せを僕が願ってるってこと?」 「違うだろ、最後に言ってたろ。ミランダもなんたらかんたらって」 「え?あー。うん、そうだねミランダにもいつかは幸せになってもらいたいよねぇ」 目線を合わせずに笑みを浮べるシェリルに胡散臭さを感じ、ティキはさらに問質すような視線を向ける。 目の奥の微かな動揺まで見逃すまいというそれに、「降参」と言わんばかりにシェリルは手を挙げ苦笑いをした。 「わかったよ、言うよ。実はミランダに縁談の話があってね」 「・・・・・・・・・・縁談?」 「いやまだ内々にね。こちらもまだ返事らしきものもしていないし、どうするか迷っているんだよ。ほら・・例の噂の件もあるしね」 ことさら大仰に考える様子を見せるシェリルをティキは胡散臭く思いつつも、どことなく嬉しそうな兄に相手の家格の良さが見て取れた。 「マジかよ、どこの命知らずだよ。残り物に福でもあるとか信じてんのか、どう見てもアイツは貧乏くじだろ」 「いや、それがさ・・・まさかまさかの左近の中将だよ。ティエドール家の跡取りの!」 「!!・・・・・・・てことは、おい、まさか?」 ティキが一番今耳にしたくない名前、マリである。 「そう、ノイズ・マリ。正直この組合せ考えないではなかったけど無理だろうなと思っていたから、さすがに僕も驚いたよ」 「おい・・・・・まさか受ける気なんじゃねぇだろうな」 「だから言っただろう?まだ迷ってるって。この縁談は色々とあるんだよ、こと親族になると色々とね。受けたら受けたで流れとしてリナリー姫に遠慮して入内を遅らすことになるかもしれないし」 たしかに家格としてはティエドール家のほうが上であるから、もし繋がりができたらそういう事も考えられるだろう。 ティキはなるほど、と納得しつつもシェリルの顔がどこかホクホクしているのが気になった。どうも受ける気満々に見えてしかたがない。 「勘弁してくれよ、なんであんなハゲと縁続きにならなきゃならねえんだよ。だいたいお前だってあいつらを小ばかにしてたじゃねえか」 「小ばかって、人聞き悪いこと言わないでもらいたいな。確かに家柄的にはティエドール家は新しいけど、あれだけの権勢だ。内大臣はやり手なお方だよ」 「もとが武家だから野蛮だとかボサボサ頭で不潔だとか、色々変人とか、普段言ってたのはどの口だよ」 「・・・・だからねティキ、何事も付き合いってのはあるんだよ。千年公との今回の縁談もそうだし、世の中ってのは縦横の繋がりや色んなしがらみがあるんだよ」 もっともな顔で言う兄にティキはムカムカして、思わず目を剥いて睨みつける。 「冗談じゃねぇ、俺はあんなデカイ弟なんか欲しくねぇぞ。そもそもあんなの嫁にしたっていいことねぇのに、今更言ってくるってのが怪しいだろ、何か企んでるに決まってる」 憤慨した弟にシェリルは、まあまあと宥めるように扇をパタパタと扇ぎ、 「それならさっさと支度してルル姫の婿になっておいで」 「は?なんだそりゃ、俺の話は関係ねぇだろ」 「千年公との繋がりが無くなれば、そりゃティエドール家との付き合いを考えるだろ?普通に考えても」 「!?・・」 ティキの眉尻がさらに跳ね上がる、つまりルルと結婚しないとマリとの縁談を受ける、そういう意味だ。 まったくもって可愛げのない兄である。なにがみんなの幸せだと、どの口がそれを言うのだと、昔ミランダを後宮に上げようと画策していた時もそうであったが、結局は自分のためではないか。 「ちょっと待て、まさか昨日の朝にマリが来たってのはお前の差し金じゃないだろうな」 「ん?まさか。でもあれがキッカケで縁談が来たのかもしれないね、いやはや男女ってのは何が起きるか分からないね」 その様子に怪しさは見られない。いやそもそもシェリルは存在自体が怪しいので、何が正しいかは弟のティキでも分からないのだが。 「・・・・・・・・シェリル、お前ってほんとに性格悪いよな」 「なんのことか分からないけど、僕が君を愛しているのは本当だよ?」 にっこりと笑みを浮かべるその顔は他人から見れば、上品な洗練された紳士の微笑なのだろうが、見慣れたティキには詐欺師とたいして変わらない。 ミランダはこの兄を尊敬しているようだが、おそらく自分がいなければ今頃はシェリルにいわれるまま結婚し、浮気されてるのも気づかず呑気に亭主の帰りを待つ、そんな人生だったはずだ。 もしくは後宮の女同士の争いに巻き込まれたり、好色な帝クロスに弄ばれ飽きられ、子供でもできたらそれもシェリルに利用されただろう。 ティキはこの兄が嫌いではないが信用はしていなかった。 「・・・・・わかったよ、行きゃいいんだろ。行って餅食ってくるよ」 「そうかい?ああよかった、これでみんなまるく納まる。ティキがルル姫と結婚してくれるなら、ティエドールと縁を持たなくてもいいわけだし」 「今自分が言ったこと忘れるなよ、マリとの縁談なんかはとっとと突き返せ。間違ってもミランダの耳になんか入れんなよ、妙な勘違いするだけだ」 「わかってる。あの子にはこのままウチで平穏な日々を送ってもらうつもりだよ、ロードが入内したら淋しくなるしね」 入内の日を想像したのかホロリときた風に懐紙で鼻をかむ。 それを冷めた目で見ながら、ティキはようやく寝台から立ち上がる。かなり気がすすまないのは誰が見てもわかるほどダルそうに。 「今日は晴れの日だからね、直衣もとびきりいいのを着ていくんだよ?こないだしつらえた唐織物があったろう、重ねは秋らしく裏山吹で浮線綾の紫の指貫を・・」 「ああうるせぇな!わかったから、それらしく振舞うから安心しろって。つうかお前もはやく部屋に戻れよ、着替えまでいるんじゃねぇだろうな。やめてくれよ」 「まさか、僕も披露の宴までに人と会う約束があるんだ。それまでに衣装を決めておかないとならないから、失礼するよ」 そう言って立ち上がるシェリルの笑顔に、どうしてか嫌な予感がしてティキは「ちょっと待て」と肩をつかんだ。 「・・・・・人と会う?こんな時間にか?」 「ああ、トクサだよ。ほら五位蔵人の」 「トクサ?・・・・ああ、あいつか」 キャメロット家の遠縁で、昔からシェリルが目をかけている男だ。 あのお高くとまった貴族然としたのが気に食わなくてティキからの接触は殆どないが、たびたびシェリルに会いに屋敷を訪れているのは知っている。 「邸の留守を頼もうと思ってね、僕もティキも一晩いないわけだし。男がいたほうがいいだろう?防犯的にも」 「・・・留守、ね」 「どうかした?ティキ」 「いんや、別に」 つかんだ手を放しシッシッと追払うしぐさをすると、シェリルに背を向けてずり落ちた小袖を直した。それを見て安心したらしいシェリルは「じゃ、頑張って」と声をかけ出て行った。 足音が遠ざかるのを聞きながら、ティキは考えるように拳を口に宛てる。何かが引っ掛かる、というふうに。 (・・・・・・・) その勘を信じたわけではないが、足は自然とミランダのもとへと向かっていた。 [*前] | [次#] |