3 ◆◇◆ 優しく女らしい爪弾きから奏でる和琴の音色は、とても華やかで。リナリーの練習の成果もあり、危なげなく弾きこなしている。 『弾くのは難しくないが、上手く演奏するのは難しい』と称される和琴だが、マリの教えもあり随分と上達していた。 「ああ、また!」 いつも同じ場所で指が上手く動かないらしく、リナリーは悔しそうに首を振る。もう十分上達しているのに、努力家の彼女はまだ納得しない。 入内の為にと、琴の他にも文字の練習や古今和歌集の暗記など教養を深めており、生れつき怜悧なたちなのか、リナリーはどれも吸収が早かった。 「熱心すぎるんだ、少し指を休めたほうがいい」 「だってマリ、いっつも同じ場所で指がつかえるんだもん・・やっぱり和琴は難しいわ」 「1番苦手な和琴がここまで上達したんだ。元々の筋がいいのもあるが、その努力に胸を張ってもいい」 マリの言葉にパアッと顔を明るくし、リナリーは嬉しそうに笑う。 「そう?そんなに上達した?」 「ああ。もうわたしが教える事も殆どない」 「それはダメよ。だって入内したら、もう直接マリに教えてもらうことなんて出来ないもの。今のうちに教えてもらわないと。次は琵琶を教えてもらいたいのに」 リナリーが琴を弾く爪を外しながら、イタズラっぽく言った。 当代一の琵琶の名手といわれるマリに、琵琶を教わったとなればそれなりに箔がつく。そんなちゃっかりした所が、若い娘らしくてマリは苦笑した。 コムイには残念だろうが、リナリーは本当に入内を楽しみにしている。 やはり後宮という華やかな場所は女性を惹きつけるのだろう、しかも妃として入るのだから。美しく利発なリナリーはきっと東宮のアレンも気に入るだろうし、女達の水面下での争いも元来の気の強さで何とかするだろう。 だからマリは入内の心配をしていない。それどころか新しい環境に夢を膨らませ努力するリナリーを、兄らしい気持ちで応援していた。 「さて、そろそろ時間だな・・リナリー部屋へ戻った方がいい」 「あらもう?分かったわ。それにしてもいつもゴメンね?出仕から戻ってすぐに押しかけちゃって」 「いや、この時間なら問題ないさ」 いくら兄と妹とはいえ長い時間、男の部屋にいるのは良くない。リナリーもそれは心得ているようで、貴婦人らしくゆっくりとした動きで立ち上がると、 「じゃあまた教えてね」 「ああ」 入り口に待機していた蝋花がリナリーを出迎えるように立ち上がる。そこへ足を向けたリナリーだったが、急に何かを思い出したようにマリを振り返った。 「そうだ」 「?・・どうした」 「マリにちょっと聞きたかったのよ、兄さんのことで」 「コムイがどうかしたのか?」 リナリーは少し口を尖らし、何かを考えるように首を傾げる。 「うん・・ちょっと様子がね。何かおかしいのよね」 「そうか?今朝会った時は・・とくに変わりはなかったが」 「そう?でも・・ちょっと気になるのよね、やたら機嫌がいいのも妙だし」 「機嫌がいい?」 確かにそれはおかしい。リナリーの入内が本決まりになりそうな今、コムイは憂鬱にこそなれ機嫌がいいというのは妙だ。 そういえば昨夜も珍しく酒を飲んでいた、普段は殆ど口をつけないというのに・・・。 「・・・・・」 「マリ?」 「ん?あ、いや・・これといって思い当たらないが、後で本人に会ったら聞いてみるよ」 「・・兄さんたらまた変なこと考えてるんじゃないかしら、心配だわ」 肩を竦めてため息をつくと、リナリーは部屋を出ていく。ふと何かに気づいたのか顔を上げると、意外な人物が見えて目を見開いた。 「あら神田」 血の繋がらない兄である神田は、リナリーの顔を見て軽く眉を寄せる。まるで面倒なものを見るように。 マリは弟の名前に顔を上げ、リナリーの方へと顔を向ける。確かに神田の気配で、感じからしてマリを訪ねてきた風であった。 「もしかしてマリを待ってたの?ごめんね琴を教わっていたのよ。もう終わったわ」 「別に待っちゃいねぇよ」 「ほんと?ならいいんだけど・・神田、また何かあった?すっごい眉間のシワ」 「うるせぇな、おまえはとっとと部屋へ帰れよ」 「もう、ほんと怒りっぽいんだから」 頬を膨らませ拗ねたようにそっぽを向くと、マリに「じゃあね」と告げ渡殿を歩いて行った。 年の近い二人は兄妹というより親しい友人のような関係で、神田にとってリナリーはこのティエドールの邸でマリ以外にまともだと認める存在だ。 「どうした神田、手合わせか?」 神田は検非違使の仕事を終え、早朝に帰ってきた。今日は非番の筈だから今まで寝ていたのだろう。 日々の鍛練を欠かさない彼は、夜勤明けであっても起きてすぐに刀を振らねば調子が出ないらしい。マリの手が空いている時、手合わせを申し込んでくるのだ。 「そんなんじゃねぇ、ちぃとばかし・・お前に話があってな」 「話?」 いつになく歯切れの悪い口調の弟にマリは訝しく思いながら、とりあえず座るよう円座をすすめる。 しかし神田は座ることなく腕を組み、首を振った。内心の葛藤を表すように舌打ちし、とびきり不機嫌そうな声をだしながら、 「最初に言っとくが・・俺は反対だからな」 「なんだ?いきなり」 「まさかと思うが、お前もその気なんてんじゃねえよな?勘弁してくれよ」 マリに何と言うか考えすぎたのか、神田の問いには肝心の主語がなかった。 「神田・・すまん、何の話を言っているのか・・」 「だからアレだ、お前を騙そうとしてんだ。絶対止めとけよ、噂の有り無しじゃねぇ。その女にはとんでもねえのが付いてくんだ」 「・・・・すまんがもう少し分かりやすく話してくれないだろうか、まず誰のことを言っているのか、そこから頼む」 神田はどうやら何かを自分に伝えたいらしい、それは分かる。しかしその何かが、まるっきり会話から抜けている為マリに意味が通じない。 「だから・・・女だよ」 「女?・・女って、今いたリナリーか?」 「なんでここでリナリーが出てくんだよ、お前を狙ってる例の女だろ」 狙ってる?何のことだか分からない。 そんな怪訝な様子のマリに神田はイラついて舌打ちすると、はああと大きく息をつき。 「しらばっくれんじゃねぇ、女っつったら例の不幸・・」 「失礼します、マリ様」 『不幸女』という言葉が出る寸前、背後からの声にそれが掻き消され、神田は振り返り声の主を睨んだ。 「誰だ」 「も、申し訳ありません・・あの、マリ様に急ぎのお客様がいらしてまして」 「・・チャオジーか」 「は、はい」 チャオジーは神田の睨みから解放され、ホッとしつつマリの元へ進む。 「客・・・?誰だろうか、今日はとくに約束もなかったが」 「それが、いらしてるのは五位蔵人様でして・・」 「五位蔵人とは・・トクサ殿か?」 意外な名前にマリは驚く。トクサとは御所で顔を合わせる程度で、普段会話することもない相手だ。 たしかキャメロット家の遠縁で、昔からシェリルに目をかけてもらっている男だ。貴族的な佇まいのトクサは、基本ティエドール家の人間と関わろうとはしない。 「トクサ殿が?・・・いったいなんだろう」 「あの・・その、実はある方のお使いらしいんですが・・」 「ある方?シェリル殿か?」 チャオジーはそこまでは分からないと首を振り、頭を下げる。 どうも腑に落ちないが、普段親しくないからといって、それが会わない理由にはなるまい。 マリは首を捻りつつ立ち上がると、突然背後から肩をガッチリと掴まれた。 「ちょっと待ちやがれ」 「神田、すまないが来客だ。話は後から・・」 「オレも行く」 「・・・・・・・・は?」 思いもよらない神田の言葉に、マリはよく理解できずにポカンと口を開ける。掴まれた肩はギュウと力を込められて、痛いくらいだ。 「オレが助太刀してやる、包囲される前に突っぱねるぞ」 「なに?なんの話だ」 「・・・バッサリ斬り捨ててやる」 「ち、ちょっと待て、神田」 来客はあのキャメロットに繋がる人物らしい、それが分かった神田はみすみす兄を敵陣へと渡す訳にはいかない。 恐らく、不幸女とマリをくっつけようとする罠の一つだ。 何かと胡散臭いあの一族だ、どんな手を使われるか分からない。断りきれないマリの代わりに自分がハッキリと断ってやるのだ。 「行くぞ」 神田は眉間のシワをさらに深め唇を引き結ぶと、鼻息荒く客間へと向かうのだった。 End [*前] | [次#] |