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「ロ、ロード・・おま、ちょっと・・いつからいたんだよ」

動揺しつつミランダの上を離れる、よろけて膝を床で打ちティキはその場でうずくまった。かなりの音がしたが、まだミランダは眠っているらしい。規則的な寝息に紛れてスピスピと鼻を鳴らすのが聞こえる。

「なんだ、止めちゃうの?ざんねーんっ」
「は?何言ってんの、アレだよ、あいつの口の中の虫歯数えてたんだよ」
「だって抱きしめたよねぇ?ムラムラきた?ねーえ?」

口元を衣の袖で押さえながら、意味深に笑う。少女とは思えない仕種に、ティキは顔を引き攣らせた。

「あのな、はなからそんな気あるわけねぇだろ。兄妹だぞ」
「あは。ティッキーが兄妹だってぇ、似合わない台詞ぅ」
「つうか、お前今何時だと思ってんだよ。子供が起きてていい時間じゃねえぞ」

バツの悪さを隠すように、腕を組み顔をしかめて注意するもロードは堪えた様子はない。ちらとティキを見て肩を軽く竦めると、

「じゃあ、なんでティッキーはここにいるのさ」
「あ?」
「またルル姫にフラれちゃったとかぁ?」
「・・・・・・・うっ」

ティキは咄嗟に胸を押さえ、とびきり嫌な記憶が蘇るのを拒絶するように、苦しげなうめき声を漏らす。

「なになに?どしたの?・・あれぇ、ティッキーなんかクサくない?」

くんくんとティキの胸元に鼻を寄せると、ロードは首を傾げて。

「んんん〜?古くさい白粉の匂いがするよ、ルル姫ってこんな匂いなの?」
「ロード・・ごめん、ちょっと離れてくんない?あんま言われると、心が折れそうになるから・・」
「ええ〜っ!なに、教えてよぅっ」

悪戯っぽく笑い、目を輝かせるロードから顔を逸らし、直衣に纏わり付く匂いを消すようにパンパンと胸元を払った。
すんでのところで逃げ出したからいいものの、あのままいれば、今頃ティキは男としての大事なものを失っていただろう。
老婆と言ってもいいだろう、ルル=ベルの乳母に無理矢理袴を下ろされて・・まあ、あれやこれやでウッカリ反応してしまいそうになった所で、これはマズイとティキは我に返り、突き飛ばし這う這うの体で逃げ出してきたのだ。

貞操の危機をなんとか脱したら、今度は不審者で検非違使に捕まる事になろうとは思わなかったが・・・まあ、それは別にたいした問題ではない。

「・・それよりロード、さっきも聞いたけどお前いつからいたんだよ」
「え?ボク?さあ、いつからだったかな。大丈夫だよぉ♪ティッキーがミランダの寝込み襲ってたなんて言わないしぃ」

ロードがミランダのいる寝台をちらと見て、大人びた表情で目を細める。

「ちょっと待てって。だから違うんだって、あれはそういうんじゃねぇの!」
「ティッキーはミランダが絡むと異常だからなぁ」

音もなく寝台へと近づくと、布団の横へと腰掛け「ねえ?」と相槌を求めるように眠るミランダに声を掛けた。

「ティッキーだって、自覚あるでしょ?」
「そんなの・・ねえよ」
「またまたぁ♪ボクね、実は知ってるんだ」

見上げた猫のような瞳が、ティキを捉えた。

「ヒントはね〜、ボクのとこに新しく入った女房だよ。わかる?」
「何の話だよ。あのなぁ、そんなの分かるワケないだろ」
「しょうがないなぁ、じゃあもう一つだけヒント。その子はねぇ・・前はあの右近の少将んトコ、いたんだってぇ」

何か含みを持たせる言い方をしながら、楽しそうにクスクスと少女らしく笑う。
右近の少将とは、例のミランダの噂で『気欝の病になった』とされた人物で、若くして出家したので現在は右近の少将ではない。

「・・・・・それが、どうしたんだよ」
「うん、ティッキーにも縁があるかなって思ってさ」
「・・・・・」

相変わらずこの姪はじわじわと人を追い詰めていく、全くもって末恐ろしい。
ロードは知っているようだ、昔ティキがその右近の少将を追い詰めたのを。ミランダにしつこく言い寄る男に様々な手を使い、嫌がらせをしていたのを。
そしてそれが、ミランダの『不幸姫』の噂に繋がっていったのを。

「大丈夫だよ、その女房もティッキーだなんて気づいてないからぁ」
「・・ロード、お前ってホントは年ごまかしてんだろ。ありえねーよ、それでその姿なんて」
「ティッキーは迂闊だよねぇ、こうやって足がついちゃうんだもん。ボクならもっと上手くやるけどなぁ」

肩を竦め呆れたように言うロードに、ティキは苦笑いする。

「無邪気なお姫様」と思わせて実は確信犯。周囲は手玉に取られているのも気づかない。実に恐ろしい。
きっとロードが後宮に上がったら、女同士の妬み嫉みなどものともせず、持って生まれた残酷さと愛くるしさで、すぐに東宮であるアレンを虜にするだろう。

「なあ、ロード」
「んー?なあに?」
「おまえさ、なんでそんなに入内したいの?」

ティキの言葉にロードはキョトンと目を見開いたあと、口の端を上げ笑う。

「もちろん、面白そうだからぁ」

それはまるで、新しい遊び場へ行きたがる子供のように、無邪気な顔で。
ティキは、ティエドール家のリナリー姫がどんな娘かは知らないが、正直このロードと争うと思うと、同情を禁じ得ないのだった。

「ティッキーってさあ、子供みたいだよね」
「オイオイ・・・子供に子供なんて言われたくねえよ」
「そうじゃなくって、ミランダに甘え過ぎだと思うよぉ」
「はあ?いつ俺がコイツに甘えてんの、逆でしょ普通」

眉をひそめて文句を言うティキに、ロードは呆れたように目を半目にして「自覚ないんだぁ」と呟き寝台から下りた。

「ロード、それどういう意味だよ」
「あーあ、ボクもう眠たくなっちゃった。おやすみ〜」

うーん、と体を伸ばしアクビを一つすると、ロードはティキの問いを無視し一瞥もくれずに出て行く。
その小さな後ろ姿を見た後、ティキはやや不満げに下唇を突き出しミランダを見る。またも鼻になにかひっかかったのか『ピー』と鳴らしていた。

(おまえは・・いい加減起きろ)


鼻をつまみ、キュッと捻り上げた。





◆◇◆



目が覚めて、すぐに頬に手をやったのは違和感から。ひりひりとして、心なしか腫れているような気もする。

(・・?)

ミランダは判然としない頭のまま頬をさすり、寝ている間にどこかにぶつけたのか辺りを見回すと、すぐ隣の黒いものが目に入った。
黒い、髪の毛。自分と同じく癖毛で、結ってはいるがピョンピョンと主張している黒髪。

そこには、居るはずのない人が居た。

「・・・・・・・ティキ、お兄様・・?」

いつからかは分からないが、ティキはミランダの寝台で寝ていたらしい。
隣でグゥゥと鼾をかきながら、ティキはぐっすりと眠りこけていて、寝台の下に袴や直衣が脱ぎっぱなしになっている。

(また、部屋を間違えたのかしら)

酔っ払って帰ってきた兄は、たまにミランダの部屋を自分の部屋だと間違える事があるから。
とは言え寝台にまで入って来たことはない。しかもぐっすり眠っている様子を見るに、酩酊する程飲んだのだろうか。

「あの、ティキお兄様」

恐る恐る声をかけてみる。肩にそっと手を乗せるも、邪魔くさそうに寝返りをうたれた。
あたりはうっすら明るく、もう朝だというのが分かる。
そろそろフェイが起こしにくる時間のはずだ。起きてもらわないと、さすがに兄妹でも同じ布団で寝ているのはまずいだろう。

「お、お兄様・・朝ですよ」

寝起きが悪いのを知っているから、ミランダはビクビクとしながらティキの肩を指でつついた。
しかし突きが弱かったのか、全くの無反応である。ミランダは諦めるようにため息を零すと、一人寝台から離れ近くにあった袿に袖を通した。

(それにしても・・・いつからいらしてたのかしら)

普段眠りは浅い方なのだが、昨夜は日中色々あったせいか随分深く眠っていたらしい。
おかげで体は軽いのだが、目覚めに不可解な事態が起きたせいで頭の方は少々スッキリしない。


「・・まあ、もうお目覚めでしたか?」

フェイが朝の支度に鏡と手水鉢を持って部屋へ入るなり、少し驚いたように目を見開いた。ミランダは困った顔で笑い、やや迷いながらも目配せするみたいに几帳ごしにある寝台を見る。
フェイは訝しげにそこを見ると、すぐに男らしい鼾が聞こえてきたので驚き、手に持っている鏡を落としそうになってしまった。

「ミッ、ミラ・・ミランダ様っ・・?」
「・・・・・・え?・・・・・あっ!ち、違うわよ、お兄様よ。ティキお兄様っ」
「は・・・ティキ、様・・ですか?」

一瞬で青ざめたフェイの顔がすぐさま戻り、は、と力無くその場に座り込む。どうやら知らぬ男が通ってきたと、あらぬ誤解をされたらしい。
そんな色っぽい想像をされたことが、ちょっと気恥ずかしくて。ミランダの頬はうっすら染まった。

「た、多分・・また、部屋を間違えたんじゃないかしら・・私も今さっき気づいたのよ」
「まあ、そうなんですか?」
「きっとルル様のところでお酒をたくさん飲んだんじゃないかしら、その・・それで、ちょっと疲れてしまったり・・じゃないかと・・」

男女の秘め事を遠回しに言っているせいで、ミランダの顔はどんどん赤くなる。フェイは僅かに眉を寄せた。納得いかない、という様子だ。

「・・・事情があったとしましても、こういった事はあまり宜しくありませんわね・・・」
「そ、そうよね」
「兄妹とはいえ、同じ寝台で休むなんて・・・困りましたわ、誰かに気づかれる前にティキ様には起きていただかないと」

ため息をつきつつ、フェイは立ち上がろうと腰を上げると、寝台を隔てる几帳がガツ!という音と共に勢いよくこちらに倒れた。

「ぃっ!?」

ちょうど近くにいたミランダは几帳の柱部分で後頭部を打ってしまい、座りながら床にうずくまる。
見るとそこには、寝台の上で胡座をかいてこちらを睨むティキの姿があった。

「とっくのとうに起きてるよ」

口元は半笑いをしているが、目は全く笑っていない。今さっきまで寝ていた人間の顔じゃなく、もしかすると狸寝入りだったのかもしれない。
フェイは眉間に微かな動揺をみせたが、すぐに咎めるようにティキを見ると、

「ティキ様」
「なんだよ」
「・・・お目覚めでしたら、どうかお部屋にお戻り下さい。お兄様とはいえ男女の仕切りはしていただかないと」
「男女?ああそう、おおなるほどねぇ、へー、そー、ふーん」

わざとらしく頷くティキの様子にフェイは顔色一つ変えずに、じぃと見つめている。
整った美人のフェイは、そうしているといつも威圧感を相手に与えるのだが、今日は少々いつもと様子がちがう。
ティキは首のあたりを掻きながら、にやと何かを予感させるような笑みを浮かべると、ミランダとフェイを交互に見て。


「おまえら、俺を騙したな?」

「・・え?」

きょとんとした顔でミランダは首を傾げる。何の事だか分からないという風に。
反対にフェイはピンときたのか、ほんの一瞬微かに眉を寄せたのが見えたが、次の瞬間には普段と同じ顔に戻っていた。

「しらばっくれてんじゃねえぞ」

ティキは寝台から下りるとフェイの前を素通りし、不安げなミランダの前に再びどっかと胡座をかく。

「お前は元々頭が弱い奴だし、んな大それた事を仕出かす脳みそもってるわけはない」
「え?・・ええと?あの・・・?」
「だいたいは読めてるぜ、どっかの誰かにそそのかされたことぐらいは」

ティキは横目でフェイを見ると、口の端しを軽く上げた。
フェイはそれにこれといった反応もしなかったが、内心はティキが言う事を理解しているようであった。
すっと腕をのばし、ミランダの胸倉を掴む。

「お前、マリに手紙書いたらしいな」
「!!」

ミランダは大きく目を見開き、サーッと音が出るように青ざめていく。
そんな妹の様子にティキのこめかみはピキンと浮き上がった。事実だったのが分かって、さらに怒りが増したらしい。
ぎり、とミランダの胸を絞め、ティキは眉間の皺を深めると鼻先まで顔を近づけて、

「へー、ほー、ふーん、やっぱりそうなのか。知らんかったぜ、お前は随分尻の軽い女だったんだな」
「お、お兄・・様っ、く、苦しっ・・」
「とうが立ってるからって見苦しい真似すんじゃねえよ、お前には羞恥心はないのかよ」
「そっ、そんなっ・・・」

苦しげに顔を歪めるミランダに、ティキは舌打ちして手を放す。言いようのない怒りが沸き、それは裏切られたような気持ちに似ていた。
瞳いっぱいに涙を溜め、ミランダは怯えた目でティキを見ると、袿の袖で涙を拭う。そっと懐紙がフェイから差し出され、垂れた鼻水をそれで拭いた。

「・・何もいけないことはありませんわ」

フェイはこうした二人のやり取りには慣れており、いつもは一歩退いた立場でいるのだが、今回のティキの攻撃には目をつむる気持ちにはなれなかった。(責任の一端が自分にあるのもあるが)

「間違ったことは、なさってないと思います」

静かにミランダの目を見て言うと、視線をティキへと向ける。

「お前は部外者だろうが、出てけ」

ティキは不愉快そうにフェイを睨む。
昔からこの女房とは相性が良くなかった、いや生理的に合わないと言った方がいいだろう。

「そもそも・・原因はティキ様にあると思います。お袖を切られて帰られたのも、袱紗を返しそびれたのも」
「なんだと?」
「ミランダ様はその尻拭いをなさった迄で、ティキ様に責められる謂われは無いと思いますが」

片側の眉を上げてティキを見返す。後ろにいるミランダはハラハラした様子でフェイの袖を握り、怒っているティキを窺っていた。

「中将様へのお手紙も、ティキ様が想像されるようなものではありませんわ、いえ逆にそういった色めいた手紙だとして・・何か不都合があるんですか?」
「不都合だと?ああ、あるよ。コイツが、余所に迷惑かけんのを俺が黙って見ていられる訳ねぇだろ」
「そうやって、さかしらにお兄様ぶるのは如何かと。真実迷惑をかけているのは、ミランダ様とは思えませんけれど」
「・・・へぇ、俺に喧嘩売ってんの?」

ティキの鋭く冷たい視線がフェイへ向けられた。それを見るとミランダは冷や汗が出て、慌てて二人の間に入る。

「あ、あのっ・・お兄様、ご、ごめんなさい・・私が悪いんです、余計なことしてごめんなさいっ」
「うるせえ、そもそもこの女に入れ知恵されたのが原因だろ。頭の弱い奴は、こういった小賢しい奴に影響されるんだ」
「違いますっ・・わ、私は自分で、自分から書いたんです」

首を振り、怯えながらもそう言うと、ミランダは打たれるのを覚悟するように身をすくませた。

「自分から?」

ティキの眉がぴくと反応し、糾すような顔つきで妹を見る。

「は、はい」
「・・そりゃどういう意味だ?マリの奴に手紙を書いた理由がお前の中にあるってわけ?」
「えっ、あ、その・・・それは・・」

理由は簡単だ。

惹かれてしまったから。
たった一言二言、言葉を交わしただけなのに、ミランダの中で彼は確かに存在感を残した。

そうして、今まで生きてきた中で一番大胆な行動を起こしてしまった。


ティキへの言葉に詰まるミランダの顔が、じわじわと赤く染まる。気まずさにティキの視線から顔を背ける、その仕種こそ答えだった。
見覚えのない『女の顔』をした妹にティキは心底嫌そうな顔をすると、ミランダの髪をグイッと掴み上げ、

「ふ、ざ、け、ん、な」

痛みに歪む顔にペッと唾を吐きかけた。

「っ!?」
「この馬鹿。なに勘違いをしてやがる、アホでグズで間抜けに加え、尻軽ときちゃ救いようがねぇな」
「いっ・・痛たっ、痛いですっ」
「何を夢見てんだか知らねぇが、とっとと目え覚ませ。身の程知らずが!」

吐き捨てるように言い放つと、掴んでいた髪ごとミランダを持ち上げ傍にあった屏風へ放り投げる。ガターン!という音とともに屏風とミランダは倒れると、屏風には大きな穴が開いてしまった。

「ミ、ミランダ様っ」

フェイが慌てて駆け寄ると、額を真っ赤に腫らした涙目のミランダがむくりと起き上がり、おずおずと兄を見上げる。
けれどティキはミランダに一瞥もくれず、苛立つ足音と共に部屋から出て行ってしまった。

「大丈夫ですか?」
「・・・・・どうしましょう」
「はい?」
「・・ティキお兄様、すごく怒っていたわ」

ぷくうと額の腫れがタンコブへと変わる。涙はぶわりと溢れ、頭はどんよりとうなだれる。
フェイはふうと息をつくと、ミランダの背中をトントンとあやすように叩いた。どうしてあんな兄に気を使うのかフェイには理解出来ないが、昔からだから仕方がない。

「・・今回は、私が差し出た真似をしたのがティキ様には気に食わなかったんです」
「ち、ちがうわ・・私が・・」
「とにかく、しばらくはティキ様を刺激なさらない方がいいですね。中将様にお手紙を出すのも、控えられますように・・」
「・・・・・」

小さく頷いて袖で涙を拭った。袿の袖の中に昨夜こっそり作っていた、ささやかな贈り物が忍ばせてあったのに気づく。
誰かに見られるのも恥ずかしかったから、昨日着たこの袿に隠しておいたのだ。

(わかっている)

作ったけれど渡せるとは思っていなかった。
月が見えないあの人に、私から見える月に触れて欲しいと・・作ってみただけだから。

ミランダは袖の内側に手を伸ばすと布の小さな丸い玉に触れた。それはツヤツヤとして柔らかく、満月というよりも、ためらいがちに出た十六夜の月のようだった。




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