D.gray-man


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◆◇◆◇◆




言ってしまえば。

餌を運ぶ、アリの進路を妨害するようなもの。


石を積み上げ、砂をかけたりしても諦めない様子を楽しみ。ついには空き瓶をかぶせ、透明な壁に覆われ混乱するのを眺める。
どうにもならない状況をつくって、憐みと滑稽さを楽しむような。小さな命の命運を握っている、そんな一種のカタルシスもあり。

つかの間の遊戯は、最後には飽きてしまうのだけれど。



古びた螺子を軽くつまみ、手のひらに落す。とくに値打ちもなさそうな古ぼけた時計の螺子。落ちていても誰も拾わないだろう、ごみのような物。
ティキは、この螺子を大切そうに扱っていた女のことを思い出しほくそ笑むと、それをポケットに突っ込んだ。

強い秋風は粗末な小屋を揺らす。箒や熊手といった庭用の掃除用具が並ぶこの小屋は教団の物置の一つなのだろう。狭いながらもこの場に不似合いな革張りのソファが置いてある。
ティキはそれに座りながら煙草を咥えていたが、ふいに視線を動かした。
低い天井に出来ている蜘蛛の巣を避けてゆっくりと立ち上がると、小さな格子窓から外を窺った。

(来たな)

落葉が舞う林を抜けて来た女の顔は硬く、厳しい。
この時間に女がここに来るようになって、今日で1週間になるだろうか。もっともティキも毎日来ているわけではないので、正確には分からないが。
探し物がある彼女は、膝を地面につけて足元の落葉を丁寧に掻き分けている。泣いているのか肩を震わせて、時折腕で涙を拭う仕種を見せていた。
気の毒に、とティキはポケットの中の螺子をいじる。探し物はこの手の中にあるのだから。

女の名はミランダ・ロットー。

きょろきょろと辺りを見回す。探しているのだ、ティキを。
あんな辱めを受けたのだから本当なら会いたくもないはずだ。それなのにこうして現れるのを見ると、彼女にとってこの螺子はよほど価値があるのだろう。
そう思うと意地の悪さが顔を出すが、そろそろ出し惜しむのも飽きた。もう十分楽しんだのだから、いいかげん返してあげようか。

ティキはポケットの螺子を手に持ち、窓をコツコツと叩いた。気づくか気づかないか、風が強い今日のような日では彼女の耳に届かないかもしれない。
けれどちょうど切れ間だったのか、女の肩がぴくと反応したのが見えた。もう一度螺子で窓をコツと叩くと、今度は目を見開いてこちらを振り返ったので、ティキはにっこりと笑った。

探していた相手に会えたせいか、女の顔に一瞬喜びと安堵の色が滲む。けれどすぐにそれは消えて、ここに来た時のような強張った表情に戻った。
腰を上げてゆっくりと立ち上がると、物問いたげな瞳でティキを見つめる。躊躇いと恐れがそこにあり、ティキは答えるように螺子をつまんで見せつけた。

『これだろ?』と唇だけ動かして。

本当にこの螺子を探していたのだろう。女は咄嗟に駆け寄ってきたが、小屋まであと少しというところで急に立ち止まった。
青白い顔で、俯き足元をじっと見下ろす。ショールを握る手が震えている、泣き出しそうな目をこちらに向けた。今さら気づいたらしい、ここへ来る意味を。

(さあ、どうする?)

選択するのはそっちだ。ここへ来るか、それとも引き返すか。
わかっているんだろ?ここへ来たらどうなるか。ドアを開けたら・・・・どうなるか。

(いずれにしても決めるのはアンタだ)

窓越しに目と目が合うと、ティキは満足そうに目を細め、再びソファーへ戻り座る。吸っていた煙で肺を満たした後、それを捨て踵で火を消した。
風でドアが揺れガタガタと鳴らす。来るか来ないか、この緊張感が楽しい。


両手を顔の前ですり合わせる、さてどうしようか、そんな気分で。





◆◇◆






だれか、だれか助けてほしい。

どれが正解なのかわからない。きっと間違っている、この答えは違うはず。


小屋の前でしばし立ち尽くしていたミランダは、ドアの取っ手に指を伸ばす。
心臓が破裂しそうに痛い、息が苦しい。今、自分はなにをしているのだろうか。頭の中で警報がなる、やめろ、だめだ、逃げろ、と。けれどミランダは取っ手を掴み、押した。

ずっと探していたのだ。あの日から毎日、同じ場所で。
普通なら諦めるのかもしれない、けれどあの螺子は「切欠」なのだ。どうしようもない人生を変えてくれた、大切な切欠。それを諦めるなんてミランダにはできなかった。たとえどんな目に遇おうとも。

脳裏にラビの顔が浮かび、ミランダは眉を寄せて目を閉じる。
裏庭へと足しげく通う自分を彼は怪訝に思っているようだった。「なんか、あった?」と心配そうなラビを見るたびに、ミランダは胸が潰れそうになる。
あんなにも幸せだった時間は、今は罪の意識で苦しい。無理矢理とはいえノアと関係してしまったこと、そして・・・

―――どうして、怒りがわかないのだろう。

あんな酷い仕打ちを受けたのに、なぜか激しい感情がわかなかった。悲しくて辛くてティキを恨みたいと思いながらも、心がそれに背中を押すことはなかった。


ギィとドアの軋む音がして、狭い小屋の中に入る。薄暗さに目が慣れない。風圧でドアがうまく閉まらないので、両手に力をこめる。
その時、顔の横からもう1本手が出てきて、ガタンとドアは嵌まるように閉まった。

「・・・・」

見覚えのある長い指。背中に感じる「誰か」の胸。ミランダは口の中の唾を飲み込む。

「寒いね、今日は」

耳元で囁かれてびくと震えた。

顔を見るまでもない、あの男だ。ティキ・ミックだ。
体が強張るミランダをよそに、ティキはすぐに体を離す。背中を向けたままのミランダをそのままに、古い皮のソファーに腰掛けた。

「ま、ちょっと入んなよ。オレに話・・あるんだろ?」

手招きする姿は、先日あんな乱暴を働いた人物とは思えない。ミランダは戸惑いながら2歩ほど足を進めたが、思い切ってソファーのそばまで近づいた。
立ったまま男を窺う。黒い癖のある髪、人に好まれそうな整った顔。この前はノアと分かる風貌だったけど、今日は普通の人間と変わらない。

「あ、あの・・」

『螺子を返して欲しい』そう言おうとした時、すっと流れるような動きで男は手を差し出した。手のひらには螺子があり、ミランダは目を瞠る。

「ほら、これだろ?」
「え・・?」
「返すよ、ほら」

いとも簡単に求めていた物が返ってくることに、少し拍子抜けしながらミランダは螺子を手に取った。
間違いない、ミランダの螺子だ。触れただけで分かる、自分の分身。手の中で螺子をグッと握り締めると、思わずため息がもれた。

その様子をじぃっと見ていたティキが、片眉を軽く上げて聞く。

「それさ、なんなの?」
「えっ・・あの、時計の螺子ですけど・・」
「んなの見りゃわかるだろ。そうじゃなくって、もしかして・・・・あの眼帯くんと関係あり?」
「眼帯?」

きょとんとしたミランダに、ティキは自分の右目を押さえる。咄嗟にラビのことを言われているのに気づき、大きく首を振った。

「ど、どうしてラビくんの話になるんですか・・?」
「違うの?やたら大事そうに持ってたろ?」
「違います・・これはここに来る前からのもので、ラビくんとは関係ありません」
「なんだ、好きな奴との思い出の品かと思ってた」

からかうように言って、ティキは薄く笑う。
逆にミランダの顔は強張り、信じられないといった顔でティキを見た。この人は、どうして自分がラビに恋しているのを知っているのだろう。

「なあ、眼帯くんと付き合ってんの?」
「!ま、まさか。そんなわけ・・」
「そう?ならよかった」

さらりと言われてミランダの胸は微かに揺れる。『よかった』とはどういう意味なのだろう。あんまり自然に言うものだから、どうとればいいか分からない。
ふいに『愛しているよ』と言われたことを思い出し、複雑な気持ちになった。信じているわけではないが、そう言われると心が乱されるのも事実だった。

ティキはたばこを咥えると、ポケットに手を入れマッチを探る。もうミランダを気にする素振りもない。
用件も済んだしこれ以上ここにいる理由はない、出来ればもう帰りたい。けれど帰っていいのだろうか・・帰らせてもらえるのだろうか。沈黙が続く中ミランダはおそるおそる口を開いた。

「・・・あの」
「?なに」
「も、もう行ってもいいでしょうか」
「ああ、いいんじゃね?ほんじゃ、お元気で」

マッチを探すことに集中しているティキは、こちらを一瞥もせずそっけなく答える。
そんな彼に頭を軽く下げてドアへと向かうと、ミランダは思わず吐息がもれた。あまりの呆気なさに力が抜けそうになるが、それが安堵だけの感情ではないと気づいて、また動揺した。

(私、何を考えてるの)

ホッとしているのは確かなのに、もう一つ別の気持ちがある。説明のつかない何かが心の中に渦巻き、微かに眉を寄せた。
どうかしている、螺子も戻ったのだから早くここから出て行こう。急ぐミランダの指がドアの取っ手に触れた時、背後から黒い影が覆ってくるのに気づいて振り返る。

「がっかりした?」

いつのまにか目と鼻の先にティキの顔があり、たじろぐ。取っ手を掴んでいた指はすでに捕らえられていた。

「・・え?」
「やっぱり期待してた?その顔は」
「な、なにが・・あの、放して」
「こないだもさ、嫌がってるわりにあんた十分濡らしてたし。こういうの嫌いじゃないとか?」

嘲りの色を含ませた瞳はミランダに近づき、怯んで後ずさりするとドアに背中があたった。掴まれた手首はそのままで、ゆっくりと唇が近づいてきた。



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