D.gray-man


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これは、夢。


淫らで恥知らずな夢だ。
いけないと思いながらも望む気持ちは抑え切れない。

優しさの欠片もない、嬲るような愛撫はぞくぞくするほど気持ちを昂らせる。
暗闇の中で触れるその指は、自分がよく知る大きな温かいものではない。耳に残る含み笑いは、愛する彼の穏やかな微笑みとも違う。
肌に爪を立てられ血が滲み、千切れるのではないかと思うほど乳首を咬まれる。吐き捨てられた唾が頬にあたり、目尻から涙があふれて落ちた。痛みと恐怖で頭はどうにかなりそうなのに、体は・・いや心はそれを欲してしまう。

恐ろしい。

夢のなかで毎夜繰返されるその行為に、背徳を覚えながらも溺れてしまう自分が恐ろしかった。






◆◇◆◇◆





食堂は朝のピークが過ぎているせいか、かなり人はまばらで簡単に空いている席を見つけることが出来た。
ミランダはふらつく体で手に持った朝食をテーブルに置くと、重たい体を椅子に預けた。無意識にため息をついてカフェオレを一口飲む。熱い液体が喉に通り、微かに眉を寄せた。
小さなクロワッサンをちぎって口へと運ぶ。さくっとした食感とほのかな甘さは普段なら好ましいのだが、今日は砂を噛むように味気ない。カフェオレで流し込み、ミランダは残りのクロワッサンを皿に置いた。

「おはようミランダ、今から朝食?」

突然名前を呼ばれて心臓が跳ねる。見上げるとリナリーが食べ終わった食器を持ってこちらを見ていた。

「お、おはようリナリーちゃん・・あの、ちょっと寝坊しちゃって」
「あら寝坊?そうなの、めずらしいわね」

そう微笑んでリナリーは食器下げ口へ向かったが、ふと何か思い出したらしく立ち止まり振り返ると。

「そういえば、マリが捜していたみたいよ」
「え?」
「さっき食堂に来た時にアレンくんが言ってたの。マリったら、食堂でミランダと会えると思ってたみたい。ちょっと残念そうだったって」
「そ、そんな・・リナリーちゃんたら・・」
「うふふ、じゃあね」

イタズラっぽく笑って少女は歩いて行く。その後ろ姿を見ながらミランダは無意識に胸を押さえた。ちくと感じた痛みを堪えるように。

(大丈夫、夢よ・・あれは夢・・夢なんだから)

心の中で何度も自分に言い聞かせるが、漠とした恐れの感情は消えない。
夢なのだ。ベッドに入って眠りについた後に見る夢。そうして目が覚めて何事もなく目覚める、あの夢。ただそれが・・・とびきり悪い夢だというだけ。

暗がりで知らない男に淫らなことをされている夢。真っ暗で相手の姿も見えず、されるがままに玩弄されてミランダもあさましい姿を晒している・・・夢。
初めてその夢を見たのは2週間前。ちょうど恋人のマリが任務中だった為、欲求不満がこんな形の夢を見せたのだと恥ずかしく思った。けれど夢はマリが帰還した後も度々現れ、そのつど卑猥さを増していった。

(・・・・・・夢・・・よね?)

そっと肩口に触れると、微かな痛みに眉を寄せる。そこには今朝着替えの時に見つけた赤い歯形。夢の中で咬み付かれたのと同じ場所、くっきりと血が滲むその痕は、夢ではなく現実のもの。
一瞬、マリさんでは・・と恋人を疑った。というかそうであって欲しかった。けれど夢で聞いた声はマリとはあまりにも違った。触れる手も圧し掛かる体も、ミランダが愛する彼の体ではなかった。そして、一番恐ろしいのは・・・立ち上がったとき最初に感じた、太腿をつたう薄白い液体の存在であった。

とろりと胎内から流れ落ちたそれに、ミランダは震えた。『夢ではない、現実だ』と、あの男から告げられた気がした。

(そんな、まさか)

現実だったとして、ではあの男は誰なのだろう。聞き覚えのない声と口調から、教団の人間とは思えない。それにミランダは毎晩鍵をかけて眠っている。目覚めて見ても鍵はかかったままだし、なにより自分のような女の部屋へ忍び込むなんて、どれだけ酔狂な人間だろうか。
そしてミランダには恋人がいる。戦争が終わったら人生のパートナーになろうと将来を誓い合った人。教団でそれを知らない人はおそらくいないだろう。マリは自分と恋人になった時、師匠のティエドールだけでなくコムイ経由で中央庁にも報告していた。それはけして不真面目な交際ではないと、周囲に宣言するものだったのだ。

だから、おかしいのだ。感触も匂いも声も生々しく残っているのに、考えれば考えるほどありえない。夢だ、やっぱり夢なのだ。

カフェオレからはまだ湯気が立っている。カップをそっと両手で包み、ミランダは落ち着こうと一口飲んだが重苦しい気持ちは消えない。残ったクロワッサンを手に取ったが、どうしても食欲が湧かずそのまま皿に戻すと立ち上がる。

「ミランダ」
「!」

視界に映ったのは、恋人のマリだった。
こちらへ歩いてくる大きな体を見ると、ミランダはホッとしたように顔の緊張を緩める。彼の存在を感じるだけで、心は落ち着くのだ。

「マリさん、おはようございます」
「おはよう。もう朝食は済んだのか?」
「あ・・はい、たった今済みました。あの、マリさんは?」
「わたしは今朝修練の後に神田たちと済ませたんだ。ミランダ、このあと何か用事はあるか?もしなければちょっと付き合ってもらいたいんだが・・」
「はい、用事なんてありませんから・・あの、どちらへ行くんですか?」

不思議そうに聞く自分に優しく微笑むと、マリは「秘密だ」と囁きミランダの背中にそっと手を添えて歩き出す。
そんな恋人らしい仕種にドキドキして頬を染めながら、ミランダもまた彼に寄り添うように近づく。触れるか触れないかの距離で確かに感じるその温かさは、さっきまであった不安を消し去っていった。



◆◇◆◇◆



マリに連れられ向かった先は、本部裏にある小さな湖であった。
着いてすぐミランダが見たのは、母鴨が10羽ほどの子鴨を連れて泳いでいる姿。小さくフワフワしている赤ちゃん鴨に、思わず目を細めた。

「まあ、かわいい」
「今朝神田が見つけたらしい。いつからいるのか分からないが、巣立つ前にミランダに見せたかったんだ」

喜ぶミランダが嬉しいのだろう、そう言ってマリは微笑む。
湖から少し離れた木の下で、物音で鴨達を驚かさないよう2人は静かに湖を見ていた。日の光が反射した湖面はキラキラとまばゆく、母鴨がそのなかを泳ぐと水面が波のように波のように揺らぐが、後につづく子らは逞しくスイスイと実に気持ち良さそうに泳いでいた。

「連れてきてくれて嬉しい・・ありがとう、マリさん」
「いや、わたしもミランダが喜んでくれたらそれが一番だよ。少しでも元気になってくれたら嬉しい」
「・・え?」

きょとんと見上げると、マリは少しだけ気まずそうにしながらもミランダの手を取り、労わるように撫でた。

「わたしの気のせいだったら申し訳ないが、近頃少し元気がないようだったから・・・心配だったんだ」
「マリさん・・」
「もし、なにか悩んでいることがあるなら、教えて欲しい。言いたくないなら無理には聞かないが・・わたしは、できるだけ力になりたいと思っている」
「・・・・」

穏やかに微笑んでミランダの手を握った。大きな掌から温かさが伝わり、泣きそうになる。こんなにも自分を気にかけてくれるマリの存在が嬉しかった。

「な、なんでもありません・・悩みなんて、そんなこと・・」

首を横に振ると、すうっとマリの大きな手がミランダの頬に宛てられる。胸がどきんと跳ねて、見ると彼の目に涙目の自分が映っていた。いけない、これでは誤解されてしまう。

「あ・・えっと、わ、私・・」
「ミランダ、私に言いづらいことだったとしても・・・」
「ち、違うんですっ・・あの、これは・・そのっ・・」

慌てて滲んだ涙を拭き、少し赤らんだ頬を隠すように俯く。心配してくれるマリを見ていると、夢のことで悩んでいるなんて申し訳ない気がした。現実ではない、あれは夢なのだから。
ミランダはマリに正直に話そうと決めて、躊躇いつつ口を開いた。

「じ、実は・・ここのところ、とても怖い夢を見るんです」
「夢?」
「はい・・それが、とっても怖いので・・ずっと気がかりで・・」
「そんなに恐ろしい夢なのか?」
「は、はい・・」

ミランダを安心させるように、マリはそっと肩を抱きしめる。不安げな様子で寄り添ってくるミランダを愛おしそうに。

「それが・・本当に夢とは思えないくらい現実感があって、夢じゃないんじゃないかって・・不安なんです」
「なるほど。確かにそういう夢を見ることはあるな」
「え?・・マリさんも?」
「ああ、たまにだが触った感触も食べた味もハッキリと感じる夢を見ることがある。そういう時は目が覚めてしばらく経っても、現実だったかと錯覚するな」
「そ、そうです、私もそうなんですっ」
「それなら、怖い夢ならなおさら恐ろしいだろうに」

穏やかに微笑んで、慰めるように背中をさする。
ミランダはゆっくりと強張った体が緩んでいくのを感じた。あの生々しい感覚は珍しいことではない、それを聞いただけで安堵していく。やっぱり夢だったのだ、普段あまり夢を見ないので大げさに考えてしまったのだろう。
ホッとため息をつくと今度は急に恥ずかしくなった。怖い夢を見ただなんて子供のようで。

「あの、ごめんなさい。私ったらこんなことで・・」
「いや言ってくれて良かった。少しでもミランダが元気になってくれたら、嬉しい」
「マリさん・・」
「それにまた少しの間、任務でここを離れることになるんだ」
「・・任務ですか?」

思わず寂しそうな声が出てミランダは口を押さえた。これでは本当に子供みたいだ。
マリはミランダを両手で優しく抱き締めると、とても大切なものを扱うように頭を撫でる。彼と出会うまでこんなふうに大事に扱われたことはなかったから、それは不相応に立派なドレスを着ている感覚に似て、嬉しいのに勿体無いような気分だった。

「今朝呼び出しがあって、夕方には出発するよ。行き先はフランスだ」
「そうなんですか・・あの、気をつけてくださいね」
「ああ。ただ今回は任務より、同行するアレンと神田の喧嘩のことを考えると頭が痛いよ」

そうイタズラっぽく言うのでミランダが思わず微笑むと、マリも合わせて微笑んだ。
安らいだ空気が2人の間を包み込む。ふと、湖にいる鴨たちの鳴き声がしてミランダがそちらへ顔を向けると、マリの大きな手がミランダの頬を添える形で動きを抑えた。口付けの予感に胸を跳ねさせ、瞼を閉じる。

(!・・)

触れて溶けるような口付けにウットリとして、胸がさらに高鳴る。これだけで十分に愛情を感じた。
ゆっくり唇が離されため息をもらすと、ミランダはマリの胸に顔を埋めた。優しく大きな腕に包まれながら、幸せを噛み締める。低く穏やかな声が耳元に降って落ちる。


「もうミランダが、悪い夢を見ないように・・」


そう『おまじない』と称して囁かれる愛の言葉は、とても甘く、ミランダの心を満ち足りた気持ちにさせた。








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