D.gray-man


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甘い、果実に似た香りが鼻先を掠めた気がした直後、その変化は瞬く間にマリの体に現れた。


強烈な目眩の後に体の奥から沸き上がる熱に立っていられず、ガクンと床に膝を付きそのままうずくまる。
眉を寄せ、はっ、と息を吐き出す。かつてない衝動がマリの下半身にもたらされ、ムクムクと股間の一物が腫れだした。

「マ、ママ、マリさんっ!?どうしたんですかっ?」

傍にいるミランダが驚き駆け寄ろうとしたが、マリは手でそれを制し苦しげな顔で首を振った。

「駄目だ・・!ミランダ、い、今わたしの近くにきてはっ・・とにかく、離れていろ!」
「えっ?で、でもマリさんがそんなに苦しそうなのに・・あの」
「いいから・・頼む、とにかくそのまま・・」

四つん這いで息を荒くしているマリは黒のモーニングという正装で、ミランダも白のウェディングドレスを着ている。
クラシックなデザインのドレスは昼の式のため、肌の露出を控えた長袖で首元のレースと張りのあるタフタが上品さを醸し出しているが、今はそれは置いておく。
とにかくマリとミランダはこれから人生におけるメインイベント、結婚式が待っているのだ。

あの長かった戦争を終えて、これから平穏な人生を送る為の第一歩を踏み出したのである。



だと、いうのに。



「ミランダ・・・な、なにか、変わったことはなかったか」
「変わったこと、ですか?」
「・・・た・・例えば、コムイとか・・科学班の誰かが来たとか・・・」

苦しそう眉間にシワを寄せながら、マリはスーハースーと深呼吸をしていて。ミランダは、その様子にハラハラしつつ質問に答える。

「室長さんも皆さんも来てませんけど・・あのマリさん、すごい汗ですよ?・・どこか具合が悪いんだわ、確か婦長さんが参列者でいらしてたから、今から呼んできますっ」
「いや、違うっ・・頼むミランダ誰も呼んだりしないでくれ。これはっ・・そういうのじゃないんだ」
「で、でもっ、あの、だって・・」

近づいてはいけないと言われたから、踏み出すのを躊躇いマリの様子と外へ続く扉を代わる代わる見る。
ふと視界に入った小瓶に目がいき、ミランダは「・・あ」と声を上げた。

「そういえば、フェイさん達がさっき来ましたけど、あの、ブライズメイドなので・・」
「フェイ女史が?」
「ええ、ブーケトス用のブーケを持ってきてくれて・・それと結婚祝いにと、このコロンを」

コロン、という単語にマリは弾かれたようにミランダを見る。
それにたじろぎミランダは一歩後ずさりしたが、その時椅子の脚にヒールが軽く当たり、同時に何か紙のような物を踏んだのが分かった。

「?」

ドレスのパニエを持ち上げ、屈んでそれを取る。何気なく開くと、そこに書いてあったのはフェイの美しい文字だった。

『効き過ぎる事があるので気をつけて下さい。忙しいを理由に放置されたり、喧嘩した夜に使うのをオススメします。』

「え・・?」
「どうした、ミランダ?」
「いえ、あの・・これってどういう意味なのかしら」

訝しく首を傾げながらそれを読み、そういえばとフェイが持ってきてコロンに目をやると、ミランダは思わずそれに釘付けになった。
青いガラスの小瓶には、白いリボンがかけられており、同じくフェイが書いたと思われる文字で、


『aphrodisiac』(媚薬)
と書かれてあった。







◆◇◆◇◆







−−ちょうど30分前。




コンコンと扉のノックに「どうぞ」と返事すると、現れた人物達にミランダは微笑んだ。

「わあっ!ミランダ素敵〜っ!」

リナリーが声と共に花のような笑顔を浮かべて近づいて来る。
同じくエミリアも年頃の娘らしく、ウェディングドレスをうっとりと眺めて。

「ほんと素敵ね、いいなぁ私も着たいっ」
「ミランダ、ほんっとに結婚おめでとう!」
「ありがとう、二人とも」

リナリーとエミリアの後ろから、フェイが小さなブーケを持って入ってくる。
淡い水色の揃いのドレスを来た三人は、ミランダのブライズメイドをしていて、一気にこの控室が華やかになった。

「ミランダさん、これがトス用のブーケです。式が終わったら私が持っていきますから、交換して投げて下さいね」
「あ、はい。すみませんありがとうございます」
「投げる合図は室長がしてくれるはずですが・・一応念のため確認しておきますね、忘れてるかもしれないので」

コムイはマリのベストマンをしていて、挙式の色々を取り仕切る立場にある。
本来は神田がそれをやるに相応しい間柄だが、本人の性格上それは適さないのでチーフブライズメイドのフェイと対になるよう、コムイに頼んだのだ。

「ねぇミランダ、ブーケは私にちょうだいね。私右側にいるから」
「あらリナリー駄目よ、あなた私より年下じゃない。ちゃんと譲ってもらわないと」
「いいえエミリア、こういうのは年なんて関係ないのよ、神様が決めるんだから。ね?ミランダ」
「なによ、神様じゃなくて新婦に直接お願いしてるんじゃない」

年の近い二人がじゃれ合うみたいに言い争う姿を、ミランダはクスクス笑いながら、

「でも次にお嫁に行くのは決まってるから、ねぇフェイさん?」

突然話を振られ、フェイが戸惑うように「ええ、まあ・・」と歯切れ悪く言うが、それは照れ隠しだろう。
つい先日、フェイはコムイと婚約したばかりなのだから。

「あ、そうよね。ねぇねぇフェイさん、兄さんと結婚式の話って進んでるの?」
「それは、あの・・室長はまだまだお忙しいですし」
「駄目よ、兄さんて結構グスグズで優柔不断なんだから、早いうちにプラン出しとかないと」

口を尖らせて忠告するリナリーは、この度大学に受かり春から一人暮らしを始めている。
離れた兄の生活を色々と気にしているようで、今回の婚約話を手放しで喜んだ一人でもある。

「あ、ドレスはやっぱり豪華なの?フェイさんトレーンが長いのとか似合いそうよね」
「もうリナリーってば、先走り過ぎ・・でもフェイさんは豪華なのより大人っぽいマーメイドラインも似合いそうだけど」
「あらエミリア、それあなたの趣味じゃないの?」
「それはそうなんだけど」

と肩を竦めて笑うエミリアに、ミランダもフェイも笑みがこぼれた。
フェイが時計を見て「まあ大変」と呟くと、リナリーとエミリアに、

「さあさ、これから入場のリハーサルを始めないと。昨日殆ど出来ませんでしたから」
「もうそんな時間?じゃあアッシャーの神田やアレンくんを呼んでこないと」
「そういえばフラワーガールはどうしたの?誰かに頼んだの?」
「ロブさんの知り合いの娘さんがちょうど四歳でしたから、お願いしましたよ」
「それジョニーとキャッシュの子がもうちょっと大きければ頼めたのに、残念ね」
「ああそういえば、さっき受付にキャッシュさんがいらしてましたわ。可愛い双子を連れて」
「えっ!本当?」

きゃあきゃあと賑やかに控室から出て行くリナリー達は、「じゃあミランダ、後でね」と最後に一声かけバタンと扉を閉めた。

ミランダが一息つく間もなく、再び扉をノックする音がして、入ってきたフェイに目を丸くする。

「フェイさん?どうかしました?」
「ごめんなさい、忘れないうちに渡しておこうと思ったものだから」

フェイは聴覚を澄ませるように扉に耳を近づけ、外に誰もいないのを確認すると、手元の小さなバッグから青い小箱を取りミランダへ差し出した。

「ミランダさん達には、必要のないものかもしれませんが」
「これは?」
「結婚祝い、という程のものじゃありませんわ・・コロンです、少々特殊な」
「コロン?まあ・・嬉しいです。ありがとうございます」

嬉しそうにいそいそとリボンを解き、箱を開けようとするミランダに、フェイは慌てた様子でその手を押さえる。
実はこの時、箱から注意書きの紙が滑り落ちたのだが、ミランダもフェイも気づかなかった。

「特殊な物ですので扱いは十分ご注意を」
「え?あっ、ご、ごめんなさい・・」
「いいえ・・こちらこそ、本当はもっと早くに差し上げたかったんですが、説明もありましたし」
「?・・でも嬉しいわ。私今までコロンとか持ったことなくて・・欲しいなとは思っていたんですけど、どれを買っていいかわからなくて」
「その、ミランダさん・・実はこれ昔の室長の失敗作でして。といってもキャッシュさんが改良してますから、安全面では問題ありませんが・・」

フェイは何か言いづらいのか、頬を薄く染め声をひそめる。
まだ話を続けようとしていたが、ちょうど廊下からリナリーがフェイを呼ぶ声が聞こえたので、困ったように小さくため息をつき。

「・・式前じゃやっぱり無理みたいですね。では注意書きを箱に入れてますので『必ず』目を通しておいて下さい・・どんな物か、分かりますから」
「え?あ、はい」
「では後で迎えに来ます。式まで少し時間がありますし、軽く何かお腹に入れておくのもいいかもしれませんね」

言いながら、ジェリーから差し入れの焼菓子の詰め合わせを差し出し、フェイは微笑む。

「それでは失礼します」と扉を開ける直前、くると振り返り何やら意味深に目を細めると、フェイは控室から出て行った。

「・・・・・」

ぽつん、と一人椅子に座り、ミランダは少々手持ち無沙汰になる。花嫁が出歩く訳にもいかず、式までの間これといってする事がない。
近くにある聖書をパラパラ読んでも全く頭に入らないし、式の段取りも何度も読みすぎて暗記してしまった。
ジェリーのピンクのハート型のクッキーを、一つ口に運ぼうとしたがどうも胸がいっぱいで箱に戻してしまう。

(結婚・・・するんだわ)

マリさんと。

戦争がやっと終わり、色々な事後処理が一区切り出来たこともあって、以前からの約束通り二人は結婚することになった。
夢が叶った喜びを、ミランダはしみじみと噛み締める。

さっきの小箱を手に取りリボンを解く。誰かにコロンなんて貰うのは初めてで、嬉しい。アンティーク風の青い小瓶には透明な液体が入っている、ミランダは何も考えず蓋を開けて鼻を近づけた。

(まあ、いい匂い)

甘く爽やかな洋梨の香りとジャスミンやシダーの、ナチュラルな香りがとても可愛らしく心地好い。
癖のない匂いに、これなら普段から使えそうだと嬉しくなる。
ふと、注意書きを読むように言われたのを思い出し、箱を見るがそこには瓶を包むガーゼしか無かった。

「・・?」

フェイが入れ忘れたのだろうかと首を傾げつつ、瓶に蓋をしようとしたミランダだったが、新しい物を貰った興味もあり、人差し指に一滴それを垂らした。
あまり沢山つける勇気はないので、一滴を指先で擦り合わせ両耳の後ろにつける。

(うふふ)

普段つけないものをつけたせいか、とても特別な気分になって満足げに蓋をした。
そうして小瓶を箱に戻そうとした時、コンコンと扉が叩かれたのでミランダは手を止め、返事する。

「はい、どうぞ」

入って来たのは、もうじき神様の前で生涯変わらぬ愛を誓い合う人。
黒のモーニングコートを着ているマリは、誰が見ても立派な紳士で。光沢のある拝絹の衿が惚れ惚れするほど似合っている。

「ミランダ、邪魔してよかったかな?」
「まあマリさん・・忙しいのに、わざわざ来てくれたんですか?」

普段見慣れない正装した彼に、ひそかに胸を高鳴らせつつミランダは微笑む。
新郎は参列者への挨拶や式次第の事で朝から色々と忙しく、おまけに数日前から新郎と新婦それぞれのパーティーが続いていて、ミランダが彼と会うのは久しぶりだった。

「式のリハーサルに立ち会おうとしたら、皆に邪魔物扱いされてしまって。ここに避難してきたのさ」

イタズラっぽく言うマリは、まだベールのついていないミランダの髪を撫でる。(そそっかしい自分の性格を考えて、挙式直前につけてもらう事にしていた)
ふと、その手が止まりマリは「妙だな」と訝るような言葉をもらした。

「マリさん?」
「いや・・うん、何か妙だな」
「え?」

くん、と鼻を動かし何かを嗅ぐ仕種をした直後。



マリはスローモーションのように、ゆっくりとした動きで地面に膝をついた。





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