D.gray-man


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大きな掌に額を包まれて、安心感と心地好さからミランダは瞼をとじる。微熱まで下がった体は少しのけだるさはあるものの、随分と楽になっていた。

「うん、だいぶ熱は下がったようだな」
「・・・はい」

風邪をひいて丸一日寝込んでいたミランダだったが、マリの看病のおかげもありすでに回復を見せている。
汗をかいたから喉が渇きコップの水を飲み干すと、全身に冷たさが染みて熱の残る体にそれは心地好かった。

「本当にお世話をかけました、マリさん」
「気にしなくていい、任務もないし・・それにたいしたことはしていない」

軽く頭を振り穏やかに微笑して、枕元の氷嚢を取ると片付け始める。

「汗をかいたから気持ちが悪いだろう?今お湯とタオルを持ってくるから拭くといい」
「い、いいえ。マリさんにはもう充分過ぎるほど良くしてもらってますし・・汗なら部屋のシャワーで流しますから」
「まだ完全に熱もひいてないんだ、無理をしてぶり返してはいけない。シャワーは明日にしておいた方がいい」

諭すように言うと、マリは枕元にあった洗面器を持ち、部屋にある簡易キッチンの蛇口からお湯をひねった。
氷嚢の氷を捨てる音にまじり、タオルを洗っているギュッと布の摩る音が聞こえるとミランダは申し訳なくも、嬉しい。

ひそかに想いを寄せる相手が、自分の事を気遣ってくれるのはどんな時でも嬉しいものだが、病気で体ならず気持ちも弱っている時はひとしおである。

(幸せすぎて、怖いくらい)

ほぼ付ききりで看病してくれたマリは、とても優しかった。テレパシーでも感じるようにミランダの気持ちに添って世話してくれた。
元々口数の多い人ではないから何かを話すことは少なかったが、ミランダが眠りから覚めると決まって安心させるように手を握ってくれて。

嬉しくて、とてもとても幸せな一日だった。

「ミランダ食欲はあるか?そろそろ何か食べた方がいい」

熱いタオルとお湯の張った洗面器を枕元に置きながら、マリは心配そうに言う。

「ジェリーに言って何か消化のいいものを作ってもらおう。少し待っていてくれ」
「そんな、マリさん・・わ、私っ・・」
「いいから、ミランダは休んでいなさい」

慌ててベッドから体を起こしたが、マリに手で制されて何も言えなくなる。それでいい、というように頷くとマリは静かに部屋から出て行った。
申し訳なく思いながらも、それ以上の喜びに胸が熱くなる。風邪をひいて良かった・・なんて罰当たりな事まで考えてしまいそう。

パジャマの釦を外してタオルで首を拭く。汗でべたついた感触を取るのは心地好い。
肩から鎖骨をタオルで擦り拭い、滑るようにパジャマの上を脱ぐ。室内は暖房がきいているから寒くはなかった。

胸元を拭こうとした時、いくつか遺る今は薄茶の痣に目が止まり、ミランダは急に夢から現実に引き戻されるような感覚になる。
それは別れを告げた相手からの所有の証、キスマークの跡だった。

(ティキさん・・元気かしら)

何度も何度も体を玩ばれたミランダだったが、昔からの知り合いでもあり、別れてそれ程時間も経っていないからか、よく思い出す。

こちらはエクソシストであちらはノアなのだから、お互いこのまま関係を続けてはいけないと。涙ながらに切々と訴え、いつものパブの2階から逃げるように飛び出したのはひと月前のこと。
その後ティキから一度だけ呼び出しがあったが、都合よく任務が重なり本部に戻っても部屋にティキが来た形跡もないから、分かってくれたのだと思っている。


肘を上げて腋の下を拭く。スッと冷えた感触にタオルを再び洗面器につけた。
ギュッと絞り、温かくなったタオルを持ち上げると、ユラユラと水面が揺れて一瞬黒い影が見えた気がし、ミランダは目を凝らす。

(?)

水面の影はさらに暗く濃くなって、食い入るように身を乗り出し洗面器に顔を近づけた。

「なに見てんの?」
「!!」

すぐ耳元で聞こえた声に振り返ると、当の人物はミランダを背後から覆いかぶさるように、顔を並べて洗面器を覗いている。

「!!・・!?!?・・!!!」

ティキさん?

整った顔に見慣れた泣きボクロ、癖のある黒髪が頬をくすぐる。
これは夢だ、現実ではない、悪い夢を見ているんだ。だってもう別れたはず。ティキだって拒否しなかった。
好きにしろ、と言ってくれたではないか?なのにどうしてまたいるのだ?熱のせいで夢を見ているのか?
ミランダの頭にいくつもの「?」が浮かび、大きく見開いた瞳は彼から目が離せない。

「なんで、もう脱いでんの?」
「!?」

背後から両乳房をギュウと握られて、自分が半裸であった事を思い出した。




◆◇◆◇◆



「!」


食堂へと行く道すがら、ミランダの部屋から何やら大きな物音がして。マリは足を止めた。

(なんだ?)

まず考えたのは、ミランダの転倒。もしくは誤って何かを落とした−−例えばマリが渡した洗面器など−−のではないか。
しかしかなり大きな衝撃音だったから、高確率で転倒だろう。まだ本調子じゃない体だから、ふらついたりして倒れたのかもしれない。

「・・・・・」

やや迷いつつマリは食堂へ行くのを後回しにして、Uターンをする。
一瞬、ミランダの食事を注文してからにしようかと考えたが、もし転んだ拍子に足でも挫いていたら大変だ。
ミランダという女性は、一途で真面目であるがそれゆえに不器用でそそっかしい。毎日どこかしらで躓いたり転んだりと忙しい人である。

側にいると、マリはつい世話を焼いてしまうのだが、嫌がられてはいない様子なので今のところ遠慮はしていない。

降りた階段を再び上り、足を速めてミランダの部屋へ向かう。3階の女子フロアに着くと、マリは奇妙な違和感を感じた。
聞き覚えのない心音がミランダの部屋から聞こえる。誰かほかにいるらしい。
リナリーかと一瞬思ったが、リナリーは任務中のはずである。

訝しく思っていると、部屋の中の会話が耳に入ってきたので、マズイとは思いながらも聞いてしまった。


『どうして、こ、ここにいるんですか・・?』
『あ?』
『もう会わないって・・わ、私っ、言ったじゃないですかっ』
『知らねぇよ、だいたいなんで俺がお前の言うことを聞かなきゃなんねぇの』
『え・・だ、だって《好きにしろ》って言ってくれたんじゃ・・』
『ああ、いいんじゃねぇの?俺がここに来ればいいだけの話だし』
『えっ・・そ、そんなぁっ』

見知らぬ男がミランダを馬鹿にするように鼻で笑う。聞いていて不快であった。
どうやら以前聞いた、彼女に付き纏っているという例の男らしい。どうやって入り込んだのか知らないが、教団にまで来るとは驚きである。

つい先日、「別れました」とミランダの口から聞いたばかりだ。もう会いませんご心配おかけしました、と決意を込めて言っていたのが記憶に新しい。
か弱い女性に手を上げたり金の無心をしたりと、とにかくひどい男のようだったから、マリはそれを聞いて少なからず安堵した。
もしまたその男がミランダに付き纏うようなら、今度は自分が出てしっかり話をつけようと、差し出がましいとは思うが決めていたのだ。

『ひぃっ!や、やめて下さいっ・・!』

「!」

涙まじりの小さな悲鳴が聞こえると、マリの頭にカアッと血が上り、躊躇いなくミランダの部屋を開けていた。

「失礼する・・!」

「!!!・・ひぃいいいいいっ!?!?」

突然現れたマリに驚いたらしく、ミランダは半裸を隠すようにベッドに潜り込んだ。
息巻いて部屋へと乗り込んだマリは、すぐに室内にミランダ以外誰もいないのを覚りうろたえる。

(いない?)

体を拭いていたのか洗面器の中にはタオル、床には慌てて布団を被った時に落ちたのかパジャマがあった。
ミランダは布団から目だけを出して、驚いたのだろう心臓が早鐘のように鳴っている。

「マ、ママ、マリさんっ・・?あ、あのっ?どどどうしたん・・ですかっ?」
「・・い、いや・・そ、その、すまない」

みるみる茹蛸のように顔が赤くなり、マリは慌ててミランダに背を向けた。見えないとはいえ、よりによってこんな時に乗り込むとは。

「ち、違うんだ、あなたの部屋から・・何か物音がして、それで・・いや言い訳だな、も、申し訳ない」

言いながら周囲の音に耳を配るが、間違いなくこの部屋にはミランダしかいない。
扉が開く音もしなかったし、窓も開いていない。もし窓から逃げたとしてもここは3階だ。普通の人間が気軽に飛び降りれる高さではない。

「マ、マリさん・・あの」
「すまなかった、どうやら勘違いをしていたらしい・・じ、実に申し訳ないっ」

そのまま背を向けたまま、逃げ出すように扉を閉める。これでは単なる変質者のようだ。
とんだ時に現れて、ミランダには全く災難であったろう。まだ体も本調子ではないのに、精神的に打撃を与えてどうする。

(しかし・・・どういうことだ?)

間違いなくマリの耳には聞こえていたのに。見知らぬ男の声が。
しかし部屋には・・ミランダだけだった。数キロ先の心音すら聞き分ける自分が、あんな小さな部屋に隠れている人間を聞き逃さないはずはない。

「・・・・・」

マリは混乱しつつ再び食堂へと歩く。

(ヘッドフォンの調子が良くないのだろうか・・)

一週間前にメンテナンスに出したばかりだからそんなはずはないのだが、そうでも思わなければたった今起きた現象の理由が思い付かなかった。




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