D.gray-man


3

ミランダは首を振り、ティエドールの優しさに安心して目頭が熱くなってきた。

「違います、元帥は悪くなんて」

鼻水をすすり、溢れてきた涙を拭う。

「ペック班長にも迷惑をかけてしまいました・・後で科学班へ謝ってきます」
「ああ、それは無理だと思うよ」
「え?」
「いま医療班にいるみたいだから」
「医療班?まあ・・どうしたのかしら」
「3階から1階まで階段を転がり落ちたらしい。足でも滑らせたんじゃないかな?」

そうニッコリ笑うティエドールは、第三者から見ればかなり怪しいのだが、ミランダは心配そうに眉を寄せて。

「そ、それは大変ですね・・」
「うん。でもまだ元気そうだったから大丈夫だよ」
「え?」
「それよりミランダは大丈夫かい?階段から落ちた時は心臓が止まるかと思った」

ティエドールの手がミランダの後頭部を優しく摩った。

「はい、どこも全然痛くありません・・心配おかけしました」

その手の暖かさに、ミランダは胸がときめく。一瞬そのまま抱きしめられるのではと思ったが、ティエドールの手はすぐに離された。

「良かった、僕のイノセンスをクッションにしたんだけど、意識が無いから本当に心配だったんだ」
「えっ、では・・元帥が助けてくれたんですか?」

どうりでどこも痛くないはずだ。

「一応医療班にも行ったんだけど、異常はないらしいから僕の部屋に連れてきたんだよ」
「す、すいませんっ、ご迷惑をおかけしました」
「それはいいんだけど・・一つ聞いていいかな?」

ミランダが申し訳なさに身を縮こませながら頭を下げると、ティエドールにがっちりと肩を掴まれる。

「?」

目をぱちぱちと瞬き、ティエドールを見上げる。どうしたのかその眼差しは真剣味を帯びていて。

「ミランダ・・さっきも言ったけど、何か忘れていないかい?」
「え?」

そういえばさっき同じ事を聞かれたのだった。てっきりペック班長の事かと思っていたけど違うらしい。
思い付かず、ミランダはおずおずとティエドールを再び見ると、温厚な彼には珍しく怒りを表すように、眉間に微かな皺が寄っていた。
はあああ・・と、深くため息をつくと。

「まだ・・『おかえり』を聞いていない」

あっ、と声にならない叫びを上げる。どうしてか伝え忘れていたのに今気づく。いや違う。言ったつもりでいたのだ、昨夜・・・ペック班長に。
抱き着き『おかえりなさい』を言い、あの瞬間が帰還の喜びの頂点だった。その後は展開が展開だった為、ミランダは伝えていなかったのである。『本人』に。

「ねぇミランダ、僕が帰ってきて1番何を楽しみにしていたと思う?」
「それは、あの」
「君が・・どれだけ僕を待ち遠しかったか、それをこの目で体で確認したかったのに」
「ごめんなさい元帥・・お、おかえりなさいっ」

急いで告げるが、この状況ではまるで取って付けたような印象だ。
ティエドールも納得いかないように首を振り、ミランダの肩から手を離すと一歩下がる。

「・・・ペック班長に抱き着いたのは、僕と間違えたんだよね?」
「はいっ・・」
「じゃあ、もう一度やり直し」

うん、と深く頷いて厳しそうに手を腰にあてる。

「やり直し?」
「そう。ほら、おいで」
「わ、分かりました」

ミランダはそろそろと近づいて、ティエドールの体に腕を回す。
肩に頬を預けると、絵の具の他に土埃と日なたが混じった懐かしい匂いがして、ミランダはそっと目を閉じた。
背中に回した手にキュッと力を込めると、

「おかえりなさい、元帥」

しみじみと幸せを噛み締めるように、告げる。

「・・・・・違うな、こうじゃない」
「えっ?」
「もっと熱情がほとばしるみたいに、心の底から僕を求めて止まない・・そんな君が見たいんだ」

頭を振りミランダを自分から引き離すと、ティエドールは口元に拳をあてて何かを考えるように難しい顔で俯く。その様子をオロオロと見つめていると、ミランダは申し訳なさに拍車がかかった。

「ご、ごめんなさい・・私、頑張りますから。もう一度やらせて下さいっ」
「・・・・いや、もういい」
「そんなっ、あの、元帥」
「繰り返し同じ事をやっても意味がない、感情が伴わねばそれは僕が求めるものではないんだ・・」

残念そうに言うティエドールを、ミランダは今にも泣き出しそうに見る。

「昨夜の・・他の男に抱き着いた、あれが僕が欲しかった抱擁だよ」
「・・元帥」

やっぱり怒ってる、と思った。
いつも優し過ぎるくらい優しい恋人から、こんな風に厳しい口調をされるのは初めてで。ミランダは縋るようにティエドールを見ると、鼻水を啜りながら服の裾を掴む。

「ごめんなさい、私・・ほ、本当に元帥に会えなくて、淋しかったんです・・だから酔ってたのもあって、間違えて・・」
「ああミランダ、違うよ君を怒っている訳じゃない。そんな悲しそうな顔をしないで、僕も泣きたくなる」

服を掴んでいたミランダの手を取り、両手で包むように握ると指先にキスをした。

「元帥・・」
「ミランダ、愛しているよ」

そのまま優しく抱きしめられ、ミランダもしがみつくように背中に手を回した。ティエドールは耳の後ろに唇を寄せ、そっとあてるだけのキスをした後、静かに囁く。

「でもね、やっぱり君は・・少しだけ自覚が足りないのかもしれない」
「え・・」
「ミランダ、僕を愛している?」
「は、はいっ、もちろんです。元帥・・とても、とても愛してます」

ティエドールの背中に回した手がギュッと服を握り、何かに怯えるみたいに顔を肩に埋めた。そんなミランダの頭を優しく撫でながら、あやすように背中をトントンと叩く。

「君のこの肌も髪も唇も・・全て、これは誰のものなのかな?」
「それは・・元帥の、元帥のもの・・です」
「本当に、そう思っているの?」
「はい、思ってます。本当に、本当に・・」

本当にそう思った。だって抱きしめられているだけで、どうしようもなく胸が高鳴り体中の細胞が喜んでいる。
ティエドールはミランダの背中を摩りながら、ふ、と優しく笑い、

「・・じゃあ名前を書いておこうかな?もう誰にも触れられないように」

そのまま強く抱きしめられた。硬い腕が閉じ込めるみたいに背中に回り、頭を支えるようにして口づけをされる。
ふわ、と髭が触れる感触に眩暈がしそう。乾燥した唇からヌルリとよく濡れた舌がミランダの口腔を侵入して、躊躇いもなく受け入れた。

「んっ・・・」

舌を捕まえるみたいに絡み、歯の裏や頬の内側を余すところ無く舐めつくす。
息つぎする間も与えられず、ミランダは苦しさに眉間に皺を寄せ指先が震えてきたが、それすらも心は悦んでいる。

はしたないと思いながらも、ミランダはティエドールに抱かれたかった。三週間ぶりに身も心も深く愛されたいと、強く願っていた。

「っ・・はっ、ぁっ・・はぁ・・」

唾液まで飲み尽くされるような口づけを終えて、ミランダは乱れた息のまま彼の肩に頬を預けると、グッタリと目を閉じる。いつもこうだ。キスだけで足が震えてたまらない。

「可愛い僕のお人形さん、さあ服を脱いでごらん?」
「・・は、い」

うっとりと見上げると、慈しむように目を細めたティエドールと目が合い、期待からさらに胸が高鳴る。室内はまだ明るいのに恥ずかしさよりも、欲望を優先してしまう自分が信じられない。
黒いロングのワンピース。いつも着ているこの服は、ボタンが多くて指がもどかしく感じる。ティエドールに両肩を支えられながらボタンを全て外すと、スルッと引っ張られてワンピースは音も無く床に落ちた。

「さて」

下着姿のままのミランダから一歩下がる。腕を組みながらゆっくりと上から下まで眺めると、顎に手をあて「ふむ」と頷いた。

白い肌は薄い薔薇色のベールを纏ったように、なまめかしい。無駄な肉がついていない細い二本の足は頼りなげに膝を寄せている。
女性らしい丸みを帯びた尻は張りはないが、とにかく柔らかそうで。
続く細腰へのなだらかなカーブは、本人は無自覚なのだろうが見ている者を駆り立てる何かを感じた。

「じゃあ横になって待っていて、今筆を出すから」
「・・え?」

筆?筆って?何の事か分からずミランダはキョトンとした顔でティエドールを見た。

「ちょうど新しいのを買ってきたばかりでね、大丈夫柔らかい毛だから痛くないよ」

ずた袋のような鞄をごそごそ探り、紙袋に入った筆を二、三本取り出すとニッコリ笑う。

「あ、あの・・元帥?それはいったい・・?」
「さっきも言っただろ?名前を書くんだよ、僕のものだって証をね」
「証って・・どこにですか?」
「どこにって。君に決まっているじゃないか」

ああそういえば、さっきそんな事を言っていた。あれは言葉の綾みたいな物だと思っていたが、ティエドールはそうでは無かったらしい。
下着姿の自分をそっちのけで、筆を選ぶ恋人にミランダは戸惑いながらベットに横になった。

(ほ、本気・・なのかしら)



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