D.gray-man


2


なにせティエドールの愛情表現は情熱的である。
ミランダは鈍い方だからあまり気づいてはいなかったが、周囲は暴走ぎみな彼に手を焼いていたらしい。
はれて恋人になった今も、ティエドールがミランダを困らせているのではないかと皆で心配してくれるのだ。

「ま、あの男の事だ。こちらが拍子抜けするくらい、あっさり帰ってくるさ」
「はい・・」
「きっと連絡無いのは、元帥がミランダさんに安心しきってるんだわ。帰ってきたらちょっと冷たくしてみては?」

アルコールがすすんでいるせいかフェイが悪戯っぽく囁くと、それを聞いたクラウドが、吹き出しながら。

「そうだ、恋人を寂しがらせる男には火山灰を降らせてやれ」
「そ、そんなっ・・元帥っ」

二人にからかわれながら、ミランダは恥ずかしそうに俯きワインを一口飲んだ。喉を通る時に鼻から抜ける芳しい香り。美味しいお酒は心を満たしてくれる。
けれどふいに思い出す恋人の面影が、そんな幸せもどこか物足りなくさせて。
こうやって誰かとティエドールの話をすると、ミランダは無性に彼が恋しくなるのだった。

(ああ、本当に・・)

どこにいるのかしら?



◆◇◆◇◆




午前零時を回りおひらきとなった夜会の後、ミランダは体の重たさを感じていた。

階段を上るのも、なんだかとてもしんどくて。
足もまるで鉛のように重たく、自室がある階までたどり着くと思わず階段端にしゃがみ込んでしまう。

(・・・・少し、眠いわ)

もう少し行くと自分の部屋だと分かっているのに、ミランダは立ち上がれない。
体調が悪いという訳ではない。楽しいお酒だったせいか、急に一人になると淋しさがじわじわと込み上げてきて。どうしようもなく、ティエドールに会いたくなってしまったのだ。
アルコールがいつも我慢している気持ちを、少しだけ緩ませているのかもしれない。
冷たい廊下で膝に顔を埋めていると、涙が溢れてスカートを濡らす。とても淋しくて。

(みんな、誤解しているわ・・)

どう考えても、自分の方が強く彼を想っている。
だって一日中ずっと、頭から離れないのだもの。

確かに付き合った当初ティエドールの猛アプローチにより、ミランダは押されるように彼の胸に落ちたのだが、今となっては、それが逆転しているのではないかとミランダは思っている。

(・・会いたいです、元帥)

スカートをギュッと握り、溢れる涙はスカートの膝に染みを作った。
あの子供みたいに無邪気な瞳に老獪さを潜め、コロコロと変化する芸術家らしい奇矯な人柄。
愛されていると分かっていても、自由すぎる彼に不安にさせられ、翻弄される内に知らぬ間に夢中になっていた。

鼻水をすすり、溢れて止まらなくなってきた涙を拭うためハンカチを取り出そうとポケットに手を入れる。その時、急に人影が現れてミランダは思わずそれを見上げた。

「あれ・・・ミランダ?」
「!?」

涙が滲んだ、ぼやけた視界の中。
太い縁取りの眼鏡を確認すると、ミランダは突き上がってくる喜びに震えながら、思うより先に彼に抱き着いていた。

「元・・元帥っ・・」

アルコールのせいだろうか、いつもこんな大胆な事できないのに。体が知らずに動いてしまう。自分でも信じられない。

「ミ、ミランダ!?」
「お、おか・・お帰りなさい元帥・・っ」
「は?・・・元帥?あの、ち、違います」
「・・え?」

ミランダは鼻水を垂らしながら彼の胸から顔を上げる。
見上げたその顔には、確かに太い縁取りの眼鏡がかけられていたが、よく見ればミランダが愛着を感じるものよりお洒落な物で。
そうしてトレードマークの癖の強い髪ではなく、ヘアバンドでまとめた短髪であった。

そう、それは・・。

「ぺ、ペック・・班長?」

科学班の第二班、班長レゴリー・ペック。
別名セクハラ班長と呼ばれる彼に、ミランダは抱き着いていたのである。

「ひ、ひぃぃっっ!ごめ、ごめんなさいぃぃっ!」

瞬時に顔が熱く頭は沸騰しそうになりながら、慌てて体を離した。
何をやっているのだろう、うっかりにも程がある。恋人でもない男性に抱き着くなんて、どうかしている。
やっぱりお酒を飲んでぼんやりした頭でいるから、こんな間違いを犯すのだ。

「あ、あのペック班長・・す、すみませんでした。私ちょっと酔っていて・・」
「・・・・」
「勘違いをしてしまって・・本当にすみません、あの、ペック班長?」

ミランダはペコペコ謝りながら見上げたペックの顔が、夜目にも分かる程土気色であるのに気づいた。

「あの・・?」


「ただいま、ミランダ」


廊下の奥からぬうっと現れた、その声の主を見た時。あまりの驚きにミランダは声も出せなかった。
ペックの額は汗でしとどになって、顎先が微かに震えているのが分かる。彼の視線は半時前から、声の主に釘付けであったらしい。

「・・テ、ティエドール・・元帥っ?」

久しぶりに見た恋人の姿を、本当に本当なのかとミランダは何度も瞬きして確認してしまう。さっき間違えた事もあり、つい用心深くなっていると、そんなミランダの様子を訝しく思ったのかティエドールが口を開いた。

「何しているのかな?こんな夜に。二人で」
「え・・・・?」

久しぶりに会った恋人は、いつものように穏やかな口調で、まるで心配でもしていたように優しい。
けれで微笑をたたえた口元とは違い、眼鏡の奥は怒りの炎を揺らめかせているのが、分かる。

(何して・・・・?)

ミランダはふと自分の状況を実感した。
薄暗い廊下、階段の隅。深夜の時間帯・・そして男に抱き着いた女。

もしかして、いやもしかしなくても元帥は・・。

(勘違いをしてるんじゃ・・?)

「ちっ、ちちち違いますぅっ!」

ミランダは咄嗟に首をぶんぶんと振り、跳びはねるようにペックから離れる。
確かに抱き着いたのは間違いない、眼鏡がちょっと似ているような気がして、はやとちりしたのもその通りだ。
けれど、それもこれも元帥に会えない淋しさからで、間違ってもティエドールを裏切るような気持ちはこれっぽっちもない。爪の先もない。
ミランダはそれを何とか説明しようと口を開くものの、何をどう言えばいいのか言葉が出てこない。
アワアワと、言葉にならない声だけが漏れてさらに焦り、動揺する。

「あっ、あの・・め、眼鏡の縁取りが、淋しく・・い、いえそうじゃなくてっ・・ちがっ違うんですっ」
「ちょっとおいで、ミランダ」
「えっ、ええっ?」

ティエドールが一歩近づく、思わずびくりと体が震えて後退りする。

(!?)

踵がガクンと落ちて、そういえば階段の側にいた事に今更気づいた。
あっ、と言う隙もなくグラリと揺れた視界はそのまま背後へと倒れ、ミランダは階段落ちを実感しぎゅうと目を閉じる。

急に色んな事が起こり、混乱して脳がうまく機能してくれない。

元帥が帰ってきた・・?本当に?夢じゃなくて?ああでも、困った所を見られてしまった。
どうしましょう、本当に夢じゃないの?よりによってあんな所を見られるなんて・・。


(夢ならいいのに・・!)


階段から床へと落ちていく、その暫しの間。
ミランダはただひたすら、夢である事を祈り瞼を固く閉じるのだった。






◆◇◆◇◆




眩しさに眉を寄せて、ミランダはうっすらと目を開ける。

(・・?)

ベットの上から見る景色はいつものと違う。
天井は白く、壁は上品な薄いクリーム色。見覚えはあるが頭が働かないせいか、どこかは思い出せない。

視線をずらしサイドテーブルにある、フランス風のランプを見た時、ミランダは、あっ、と声が漏れそうになった。
そうだ、ここはティエドールの部屋だ。暫くぶりだったからすぐには分からなかったが、間違いない。

(・・私、どうして?)

布団から身を起こし、昨夜の出来事を思い出していく。
たしか・・そう、たしかティエドール元帥が帰ってきたのよ。夢じゃなければ。

(あら?私、たしか階段から落ちたんじゃなかったかしら・・)

踵からガクンと視界が反転したのを、覚えている。階段から落ちたはずなのに、どうして元帥の部屋にいるのだろう。
これは・・やっぱり、元帥が運んでくれたのよね?

ふと、頭や背中、腰に手をあてるがどこも打った形跡はない。
階段から落ちたのなら、どこかしら打ち身になっていそうなのに。痛みもない。
それどころか、よく寝たのだろう頭がスッキリとしている。

「!?」

時計を見て、ミランダは驚いて目を剥いた。午後3時。
一瞬真夜中かと思ったが、外の明るさからして午後3時としか思えない。
半日以上ずっと眠り続けていたのかと驚く。そもそも眠りが浅い自分は、今まで8時間以上続けて寝たのは数えるくらいしかないのだ。

(た、たいへんっ!)

とにかく起きなければ、そして元帥に誤解だと伝えなければ。
ぱっと辺りを見回しても、室内にはいないようである。

ミランダはベットから下りて靴を履こうとしたが、肝心の靴が見当たらない。
キョロキョロ見回してもなく、ベットの下にあるのかと屈んで覗いてみるが、やはりなかった。

「困ったわ、どうしましょう・・」

一刻も早く元帥に会いたいのに。
ふう、とため息をつきながら裸足のまま床にぺたんと座り込み肩を落とす。

「なにが、困ったの?」
「!!」

耳元で囁く声に、ミランダは座ったまま5センチ跳びはねた。

「!?・・げっ元帥っ?」
「起きたんだね、おはよう僕の眠り姫」
「眠・・い、いえ、あの・・おはようございます」

いつからいたのかティエドールはミランダのすぐ後ろにしゃがみ、いつものように優しげに微笑している。驚いて心臓がバクバクと鳴ったまま、目を見開いて彼を見つめると間違いなく恋人の姿。
手を取られ、支えられるようにして立ち上がると、その手の温かさに改めて彼が帰ってきたのだと実感した。

「ところで・・何が困ったの?」
「え?」
「ほら、何か探していただろう」
「あ・・その、靴が無くて」

裸足の自分を恥ずかしく思い、膝頭を寄せる。

「ああ、靴なら僕が持っているよ。大事にしまってあるから安心していい」
「そうだったんですか、よかった」

ホッとしつつ、ティエドールが靴のありかを教えてくれるのを待つが、彼は微笑んだままで何か言う気配はない。
ミランダは気になって、おそるおそる見上げながら。

「あ、あの元帥」
「ん?」
「その、えっと・・どちらに靴をしまわれたのでしょうか・・?」
「ん?」
「あの、靴を・・」

ティエドールは子供のように無邪気な笑顔をしながら、ミランダの頬を優しく摩ると。

「どうして?必要ないじゃないか」
「・・・えっ」
「・・それとも、どこかへ行く予定でもあるのかな?」

眼鏡の奥の優しげな瞳が、一瞬探るように鋭く光る。
昨夜の誤解を解いていない事にいまさら気づき、ミランダは慌てて首を振った。

「い、いいえいいえ!その、ちょうど元帥に会いに行くところでしたのでっ」
「そう、ならよかった」
「・・は、はい」

ティエドールはミランダの手の甲にキスをする。手袋ごしに感触が伝わりミランダが頬を染めると、次に掌に同じくキスをした。

(・・いつもと変わらないように見えるけれど)

元帥は怒っている。いや怒っている気がする。
やっぱりミランダを不埒な女だと誤解しているのだ、これは何としてもそれを解かなければ。

「あっあの!元帥っ・・昨夜の事なんですが」
「ん?」

緊張して声が上擦り震えている。だめだ、これではますます疑われてしまいそうだ。
しかしこのままの状態も辛い。とにかく事情を話そう、口下手な自分だが一生懸命伝えれば元帥も分かってくれる・・と思う。

ミランダは胸の前でギュッと拳を握りしめ、

「わ、私昨夜はちょっと酔って・・頭がぼんやりと、いえそんなに酔っていた訳ではないんですが、色々考えたり・・あ、いえそうじゃなくて」
「・・・・・」
「楽しくお酒を飲んだので一人になると淋しい・・ち、違うんですよ、だからああいう事をしたんじゃなくって、元帥と・・あ、クラウド元帥なんですが・・」

ええと、あの、その、と説明している内に自分でも何を言っているのか意味不明になってきた。要領を得ない話し方は聞き手の方が疲れるのを、知っているから尚更話を続けるのが辛い。

「ですから・・私はそそっかしい人間でして、つい元帥をペック班長と・・」
「ねぇミランダ、そんなことより大事なことを忘れていないかい?」
「えっ?」

肩をがしりと掴まれ、ティエドールの顔がずいっと近づく。ミランダはびっくりして話す言葉を忘れた。

(大事な・・?)

そんなことより・・というくらいだから昨夜の事ではないのだろうか。ミランダには昨夜の件より大事なことは、思い付かないのだが・・。

「あの、昨夜の・・ペック班長に・・その、私が・・あのぅ」
「それはもういいよ、きみがそんな女性じゃないのは、僕はよく知っているから」
「ほ、本当ですか・・?」

ミランダは、ほうっと肩から力が抜ける。

「確かにびっくりしたけど、後でペック班長から詳細を聞いたし、僕の心には一点の疑心もないよ」

穏やかに慈しむように目を細め、ミランダを見つめた。

「あの、本当にごめんなさい。私・・」
「いいんだ、もとはと言えば君を一人ぼっちにした僕が悪いんだから」



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