D.gray-man
1
頬にあたるシーツは埃っぽくて、ここ数日の天気のせいか湿っぽいようなかび臭い匂いがした。
背中を押さえ付けられ、一糸も纏わぬ姿で腰だけを高く掲げたこの状況。
背後にいる彼は口元を意地悪く上げて、煙草の煙をミランダの背中にフーッと吹きかけた。
「だから?」
怒りを含んだ冷たい声に、ミランダは瞳をぎゅうと閉じる。その声で、彼がとても不機嫌であると分かるから。
ミランダが原因なのだろうが、それが何かははっきりと分からない。
ティキは長くなった灰を落とさず、煙草をくわえたまま剥き出しのミランダの花唇に、つうと人差し指で撫でるように線を描く。
怯えるようにビクと体を震わせて、これからを思い細い喉に唾が通った。
ティキは潤いのないそこに、やや乱暴に一本指を突き刺すと、ミランダは異物感と擦れる痛みに眉を寄せる。
「・・・・っ」
「カラカラじゃねぇか」
ティキは渇いたそこから指を抜き、満足そうに目を細めると。
捨てるように煙草を灰皿へ置き、掌にペッと唾を吐いて、自らの隠茎の先端にそれを塗る。
そして両親指でミランダの花唇を開き、グッ、とティキの分身を押し当てた。
「!・・っ、んっ!!」
ギュウと痛みに耐えるよう、シーツを握り締める。
固く閉ざされた扉をこじ開けるように、ティキの凶暴なそれはグッ、グッと捩込むように侵入してきて。痛みを拒絶するように腰を捻ると、ティキは尻をがっちりと掴んだままさらに奥へと突き刺していく。
「っ・・うっ・・!」
痛いと、訴えるようにティキを見ると。
「だろ?」
どこか嬉しそうに言いながら、根元まで押し込んで。
涙で瞳を潤ませるミランダを嘲弄するように、最奥を小刻みに動かしていく。
手に馴染んだ玩具を扱うみたいに、ミランダの尻を揉むように撫でながら、どこをどうすれば甘く鳴き始めるか、ティキは知っているのだ。
奥を引っ掛けるように亀頭が擦り上げ続けると、ミランダの内部はじわじわと湿り気を帯び、眉間に刻まれた立て皺はじきに薄らいで、次第に切なげな八の字へと変わっていた。
「は・・・・んっ」
「つまんねぇな、もう濡らしてんのかよ」
薄桃に染まり出したミランダの肌に爪を立てながら、ティキは愉快そうに言う。
「おまえ、ほんとスキだね」
易々と隠茎を出し入れしながら、わざと淫らな水音をたてて耳を刺激した。
「っ・・・ぁっ・・」
「わかってんの?ノアにぶち込まれてんだぞ、おまえ」
くすぐるように、囁く声はひどく優しい。
ミランダがシーツを握る力は弱まり、かわりに声を殺すようにシーツを噛み締めた。
快楽に慣らされた体は正直で、瞳は熱をもちながら虚ろにされて。
ティキによって教え込まれた快楽は、すぐに全身を電流のように駆け巡り心が折れてしまいそうだ。
「あぁ・・はっ・・ん!」
艶を含んだ声で鳴き、ミランダが切なげな吐息をもらすと。
「はっ、呆れる・・」
可笑しくてたまらないと、笑いながら。
「よく『好きでもない』男にやられてヨガってんな。・・この淫売が」
「・・・っ」
「否定、出来んのかよ?」
背後から覆いかぶさるように、抱きしめられて。
耳元から聞こえる笑い声に、ミランダは恥ずかしさから顔を赤くしてシーツに顔を埋めた。
脳裏に浮かんでしまう、優しい『彼』を打ち消すようにミランダは眉間に皺を寄せる。
今、思い出したくない。思い出してはダメ。
こんな行為の最中に、あの人を思い出してしまうなんて、嫌。
浮かぶ姿を消そうと頭を振ろうとした時、肩口に強い痛みが走りミランダは顔を歪める。ティキの歯が吸血鬼のように、噛み付いていたのだ。
「・・!?」
血が滲むような赤い跡をつけて、ティキは意味深に笑う。
「忘れたろ?」
ミランダの思考を見透かして、さらにそれを嘲りながら。
そうして翻弄するように腰を揺さ振り、奥へ奥へと突き立てる。
噛まれた肩が、ジンジンと熱を持ったように痛んだ。けれど内部からの沸き上がる熱に、ミランダはくらくらと眩暈して。
きゅうきゅうとした圧迫感と息苦しさに、シーツを握る指が震えてきた。
「っ・・はっ・・あぁ」
どうして、と思う。
どうして、拒絶できないのだろう。
想う相手がいながら、こうしてティキを受け入れてしまう自分が、分からない。
(・・わたし・・)
うなじを強く吸われて、微かな痛みを感じる。すぐに所有の証をつけらたのだと悟り、ミランダは困ったように眉を寄せた。
ティキと出会ったのは、エクソシストになるずっと前の事。
あの暗い街で、不幸女と呼ばれていた頃だった。
浮浪者みたいな格好の流れ者のティキが、何の気まぐれでミランダに声をかけたのか、分からないし覚えていない。
ただ、かなり早い段階で男女の関係になったのは確かで、それもかなり強引なものだったと記憶している。
定期的に訪れては、軽口を叩きながらミランダを抱いていく彼を、憎からず思っていたのは確かだ。けれど、それは恋人といった甘い雰囲気ではなくて、体を許した相手への不思議な安心感のようなもので。
たまに訪れる人肌に、ミランダはどこか癒されていたのかもしれない。
ティキは一度も愛情を見せたことはなかったし、次を約束する事もなかったから。ぱったりと足が途絶えても、ミランダはそれほど悲しくはならなかった。
たまの夜に、あの擦れ合う肌の温かさを恋しく思うことはあったけれど・・。
再会したのはもう互いに敵同士だと知ってからであったが、ミランダは、正直ノアという存在がどのくらい脅威なのかよく分からなかくて。
結局、また以前のようにティキを受け入れてしまったのだ。
再会した彼は以前と違い上等なシャツを着て、不精髭も生やしておらず、ぱっと見た限りは知らない紳士だったが、見た目と違い中身は以前と同じティキだった。
いや、違う。
なぜか以前よりもミランダへの執着が増している気がする。
まるでエクソシストを穢していくのを楽しんでいるように。
ミランダがこんな行為に罪悪感を感じ始めているのも、ティキにとっては楽しみの一つなのかもしれない。
いけない、と。ミランダがノアという存在の脅威を日に日に理解してくると、何度も関係を絶とうとティキに乞うものの、結局いつもの手練手管で、最終的には流されてベットで甘い喘ぎ声を出す。
そんな事の繰り返しで。事後のミランダの悔恨も、ティキは嬉しそうに笑って見ていた。
街の裏通りにある古臭いパブの二階は、よくある連れ込み宿のようになっていて。ティキに呼び出されるのは決まって1番安い角部屋で、そこがいつもの待ち合わせ場所だった。いつもは会ってすぐ、たいした会話もせず行為に及ぶのだが。
今日は、違った。
呼び出される度に、馬鹿正直にホイホイ現れるミランダが『もう、やめませんか・・』と青白い顔で、毎度繰り返すのをティキは挨拶のように聞き流す。
びくびくと脅えながらも、最後にはティキを受け入れるのを知っているから。
スプリングの弱いベットに座り、首元を緩め煙草に火をつける。
ミランダはもたもたと胸ボタンに指をかけるが、やがて躊躇いつつ指は止まった。ティキが訝しげにフーッと煙りを吹きかけるように、ミランダを見ると。
「あの、私・・や、やっぱり・・」
一歩、後退りして。首を振った。
ティキは眉一つ動かす事なく、だるそうにコキと首を回す。
「どうでもいいから、はやく脱げよ・・その前フリはもういいっての」
「い、いえ、そういうのじゃなくて」
「なんだよ脱がせろとか、んな七面倒くさい事言うなよ。俺は疲れてんだ」
片眉を軽く上げ、不機嫌な顔をティキがするのを見て。ミランダはさらに困った顔をしながら、あの、でもやっぱり、そういうのは・・と一人呟く。
ティキは、ははあと何かを思い立ったのか意地悪く笑って。
「あれか、惚れた男でもできたか?」
「!?」
ミランダの顔がパッと朱に染まるのを、ティキは面白そうに見ながら煙草の煙りを揺らめかせた。
脅えたような表情で俯いて、赤い顔を隠すように両手で頬を押さえるミランダにゆっくりと近づくと。
「何、いまさらその男に操でも立てるつもりかよ?」
呆れ顔をしながらミランダの顔を覗き込む。
「そ、そういうんじゃ・・」
「でも新しい男に俺にさんざ弄られた体を見せるのは、流石に恥ずかしいだろ?」
ミランダの胸元をボタンを引きちぎるようにして開くと。
ティキにつけられた幾つもの薄赤紫の痣が見えて、ミランダはその所有の証を隠すように手を宛てた。
「・・・・・」
「ま、俺は関係ねぇけど」
軽く肩を竦めて、からかうように口の端で笑う。
「あ、もしかして。もう何か言われたとか?」
ミランダは俯いたまま、何かを思うように胸元をぎゅうと押さえて首を振った。
「・・・・・そんな、人じゃありません」
「何だよ、やっぱもうヤッてんのかよ・・っとにこの尻軽が」
ティキは面白くなさそうに舌打ちしながら、軽くミランダを睨む。
「そ、そんなことしてません・・立派な人なんです・・そんなこと、する人じゃ」
「あ?『そんなこと』されて尻尾振って喜んでんのは、おまえだろ」
「・・ち、違います、私は・・」
「いっつもデッケー声で喘いどいて、何言ってんだよ」
意地悪く言うと、ミランダの腕をぐいと引き。そのまま背中を押して、ミランダは躓くように前のめりにベットに倒れ込んでしまう。
「テ、ティキさん・・」
起き上がろうとすると。
そのままティキが背中に馬乗りになって、グイッと髪を引っ張り上げたのでミランダは顔を歪ませた。
「で?今度からはそっちの『立派』な男にぶち込まれたいから、俺は用済みなわけね」
「そ、そんな風に言わないで下さい・・私はあの人とは、どうなるつもりもないんです・・」
髪を掴む手が緩み、ミランダの黒に近い髪が束で肩に落ちる。うろんな目付きでミランダを見ながらティキはふんと鼻で笑った。
「へえ?」
「私みたいな女は、あの人に気にかけてもらうだけでも、勿体ないですから・・」
言いながら、声が消えていく。
「・・・・・・・」
泣いているのか、微かに肩を震わせているミランダを、ティキは冷めた眼で見下ろして。服を両手で掴み、引きちぎる勢いで肩口から強引に背中を露出させた。
プチ、プチンと軽い音を立ててボタンが幾つか取れる音を聞き、ミランダは脅えたようにティキを返り見る。
「どうでもいいんだよ、おまえの気持ちなんて」
その突き放した、冷たい言い方にミランダはびくと体を震わせ、視線を逸らした。
剥き出しの背中には、ティキがつけたキスマークや生々しい爪の痕。この体を見れば、この女の所有者はだれか一目でわかる筈だ、とティキは思う。
「脱げよ」
「テ、ティキさん・・」
「やめてほしけりゃ、こっちも拒絶してみろ。どうせすぐ、よがりまくんだよ・・おまえはな」
スカートを捲くり上げて、足のつけねをグッと拳で捩る。痛みに眉間に皺を寄せて、ミランダは歯を食いしばった。
ティキはミランダの上から下りて、煙草を灰皿に押し付けるように消すが、すぐに新しい煙草に火をつけ吸い始める。
長い足を広げて座り、肘を太腿に乗せやや猫背な姿勢のティキはなぜか怒っているようで。そんな彼をミランダはあまり見たことはない、いや初めて見た。
「・・・・・」
ミランダの服は肩から落ちて、だらりと両肘に引っ掛かり、地味なデザインのビスチェが隠される事なく見えていたが、ミランダは服を元に戻すことはしなかった。
何か、怒らせてしまったらしい。
そう思うと、なんとなく自分が悪かったような気持ちになって、ティキを恐る恐る見る。どうしたらいいものかと、なんとなくいたたまれない気持ちになり、困ったように眼を伏せた。
『その彼に、会ってはいけない』
ふいに、聞こえるように思い出した声が、ミランダの胸を締め付けた。
(マリさん・・)
忠告も聞かず、またもティキに会ってしまった自分を、幻滅するだろうか。
マリがミランダの異変に気付いたのは、少し前の事だ。
耳のよい彼は、ミランダが最近悩んでいるのを気付いて、さりげなく心配してくれたのだが、どうも異性関係だと感じたらしく、当初はその心配事を深く聞いてこなかった。
ただ、何かあるなら相談にのるからと、優しく言ってくれて。
ミランダは同世代の男性から、そういう風に優しくされるのは慣れてなくて、驚きつつも嬉しかった。
小さな事でも、認めて評価してくれるマリといるのが、いつの間にか心地良く。傍にいたいと、思う頃はもうマリを特別な異性として見てしまって。
けれど。
ミランダはそんな気持ちをマリに向けるのは失礼な気がしていたから。それは、最初から諦めた恋だった。
ある時、ミランダのスプーンの持ち方に違和感を抱いたマリは、それほど深い意味もなく。
「右手首に怪我でもしているのか?」
ミランダは思わずスプーンを落とし、撥ねたスープがテーブルを濡らした。指摘された右手首は、前日にティキに捻り上げられて、少しだけ腫れていたのだ。
とたん、心臓がバクバクと騒がしくなりだして、明らかに狼狽し始めるミランダをマリは訝しく思ったのだろう。
何か言いたげに口を開いたが、場所が食堂という事もありマリは何も聞かずに食事を続けた。
マリがその事を問うて来たのは、その日の夜遅く。
日付も変わろうとした頃で、手には湿布を持ってミランダの部屋を訪ねてきた。
「こんな時間に・・すまない」
マリなりに色々と葛藤があったのだろう。その表情は複雑で、少し気まずそうな様子をミランダは不思議に思った。
「・・聞きたいことがあるんだ」
こんな遅くに自分の部屋に訪ねてくるのはマリらしくないと、思いつつも。その様子が気になって、ミランダはそれほど躊躇いもなく自室に招き入れた。
部屋に入るなり「失礼するぞ」と右手を掴まれ、まだ腫れの引かない手首に触れられる。マリの大きな手が包むよう患部に触れると、彼は眉を寄せて複雑な表情を見せた。
「マ、マリさん・・?」
「ずいぶんと腫れているな」
持ってきた湿布を何も言わずにミランダの手首に巻いて、剥がれないようテーピングし始める。
「・・・・・」
ミランダは心臓がドキドキと鳴り出して、困ったように俯いた。
マリがティキの事を何か気付いたのかと、知られてしまうという脅えもあったが。実のところこんな至近距離でマリと接する事はなかったから、どこか暢気にときめく気持ちもあった。
マリはテーピングを終えて手袋を元に戻すと、難しい顔のまましばらく黙り込み、撫でるように優しく、ミランダの手首を摩りながら。
「その・・こんな事を聞いては、不快に思うだろうが」
言葉を選びながら、低い声でポツ、と呟くように言う。
ミランダは何を言われるかと、ドキドキしながらそっとマリを窺った。
「もしやと思うが・・これは、誰かにやられたものではないのか?」
「・・えっ」
やっぱり気付かれたと、ドキンと心臓が跳ねてミランダは息を飲む。
その様子に、やはりという顔をマリがしたので慌ててミランダは首を横に振った。
「こ、これは・・あの、昨日階段で転んでしまって・・」
「・・・ミランダ」
その言い訳を否定するようにマリも首を振り。
「それは、嘘だ」
「い、いえ・・そんな」
「心音を聞いていれば分かる・・それは、嘘だ」
きっぱりと言い切られて、ミランダは困ってしまう。マリに嘘は通じないのだ。けれど本当の事を言っていいものかも、悩むところで。何せティキはノアなのだから。
「・・・・・」
「言いづらいのは分かる・・しかし、出来ることなら力になりたい」
「マリさん・・」
マリの瞳は真剣で、ミランダはそれに圧されるように俯いて眉を寄せた。
どうすればいいのだろう。
何でもないと言い切ってもマリにはそれも嘘だと気付かれるし、何より自分なんかの為にマリが真剣に心配してくれているのに、その気持ちを踏み付けにするようで嫌だ。
「・・・・」
「恋人に、された事なのか?」
「・・えっ?」
違和感のある言葉に、ミランダは眼を丸くする。
『恋人』?誰が?この際ティキを言うのだろうか、しかし欠片の愛情も示された事はないのだが。
「ええと・・恋人、というか・・」
「違うのか?」
「そうですね・・あの、えっと・・違うような」
歯切れ悪く言うと、マリは訝しげに首を傾げる。
「その・・昔の知り合いでして、先日久しぶりに会ったので・・恋人では、ないです」
「その彼に、どうしてこんな真似をされたんだ?」
ミランダの手首をもう一度撫でながら、声に怒り含んで言った。
ミランダはどう伝えればいいのか、ええとそのう、と繰り返し。ここは自分の部屋だから逃げ出す訳にもいかないし、困ってしまう。
この手首は・・と思い出す。
帰らないといけない時間なのに、なかなかティキが許してくれなくて。
逃げられないようにと、手首を押さえ付けられながら行為に及んだときに、ミランダが抵抗して捻ったのだ。
(・・それを全部言う訳にもいかないし・・)
とにかくティキの事は言ってはならない。それだけは口を滑らせてはいけない、と思う。
「あの・・帰る時に、引き止められまして・・多分その時だと思います」
「こんなに腫れるほど?・・ミランダ、彼はそれほど強く引き止めたのか?」
「え、あ、いえ・・私がいけないんです、少し抵抗したので・・」
「抵抗?」
マリはぴく、と眉間を寄せる。
「ミランダ・・もしや彼は、無理にあなたを呼び出しているのか?」
無理に?マリの言葉に、ミランダは否定できない。その通りだから。ティキはいつも強引に呼び出してくるのだ、こちらの都合もおかまいなしに。
それに応じないと、一度本部のミランダの自室へと現れて散々な目を見たので、誘いを無視することも出来ず、ミランダは結局あのパブの二階へと行くのだ。
「・・・・・・」
マリはミランダの黙り込む様子に、予測が当たったと思ったらしく。眉間の皺を深め、さらに難しそうな顔でミランダを見た。
「昔の知り合いと言ったが、何か・・いや、こんな事を聞くべきではないが・・要求されなかったか?」
若干、決まり悪そうに言われて。
「要求・・」
「その、例えば・・・いや、うん・・金銭やそれ以外なんかを・・」
「金銭は・・あの、昔はありましたけど、今はないですが・・それ以外と言うのは、ええと」
「ああ、いや、なんでもない」
考えるミランダの思考をマリは少し慌てて遮る。
何かをごまかすようにゴホンと咳ばらいをして、ミランダの右手首からそっと手を放した。
「確認したいんだが・・ミランダは、その彼をどう思っているんだ?」
「どう、思って・・?」
改めて聞かれると、ミランダは困ったように眉を寄せる。そんな事、考えたこともなかったから。
マリに感じるような、ときめきや甘い気持ちはない。好きか嫌いかと言えば、正直どちらでもないのだ。
かなり非道い事をされてはいるが、昔からの知り合いでもあるし、ごくたまに優しいような感じを受けることも・・無くはない。
教団に直接来られるのを困ると言えば、パブの二階に部屋を取ってくれたのもティキだ。果たしてそれが優しいかは、かなり疑問ではあるがミランダは優しさだと思っている。
嫌いではない、乱暴な事をされるのが嫌なのだ。
毎度つけられるキスマークや傷痕のせいで、教団の大浴場にも入れないのは困っている。
ミランダは会うたびに痛い思いをさせられるので、それが1番嫌なのだ。
「ええと・・」
うまく適切な言葉が思い浮かばなくて、考えるように軽く口を尖らす。
「そう、ですね・・・怖い?ような・・感じだと」
言いながらそれも違うような気がして、首を傾げた。
ふと、マリの眉間の皺がさらに深くなっているのに気付いて、ミランダは目を見開く。
「マリさん?」
「・・もう、その彼とは会ってはいけない」
「え?」
マリの厳しくも真剣な顔に驚いて、ミランダの心臓がドキンと跳ねた。
さっき放したミランダの右手をもう一度を取り、湿布の上からそれは優しく撫でる。
そんなマリを不思議そうに見ながら、撫でる手の温かさに顔が赤く染まった。
(マリさん・・?)
ときめきつつも、マリの真剣な様子が気になって、何かまたおかしな事を言ったかと心配になった。
「ミランダ、また彼に呼び出された時はわたしを呼んでくれ」
「え?」
とんでもない事を言われて、大きく目を見開きながらマリを見る。それではティキの事を知られてしまうではないか。
何と答えればいいか困って黙ったまま俯くと、マリは握る手の力を少しだけ強めて。
「わたしは・・後悔している」
「・・?」
「本当は、前からミランダが悩んでいた事に気付いていたんだ・・」
悔しそうに呟いた声が、なんだか切なくて。マリが自分を本当に心配してくれているのだと分かる。
「ミランダ・・」
「・・マリさん」
マリの見えない瞳が、ミランダを捉えて。その瞳は何か熱がこもったような、火のような熱さを感じる。
その熱に浮かされるように、ミランダの胸も熱くなり熔かされるような喜びをその視線に感じると。
「わ、わかりました」
よせばいいのに、ミランダはマリの申し出を受けてしまった。
つい、頷いてしまった自分に後悔したのは本当にすぐ後。マリが部屋を出て、一人になってすぐ。
はた、と事態の重大さに気付いてミランダは青ざめた。
ティキの事が知られてしまうではないか。
ノアとの密通を知られたら、どうなるのだろう。想像も出来ない程の大罪だと思うから、どんな処罰を受ける事になるかも分からない。
間違いなくマリは軽蔑するだろう。
いや軽蔑どころか、裏切られたと憤慨されるかもしれない。
(どうしましょう・・)
罪を犯した自分があの立派なマリと、どうにかなりたいなんて夢にも考えていない。そんな大それた事、思うだけでも罰当たりだと十分分かっている。
けれど、あの穏やかな表情が、真実を知って軽蔑の眼差しに変わるかと思うと辛いのだ。
(やっぱり・・)
ミランダはようやく、本腰を入れてティキから離れなければと思う。もちろん今までだって、何度もやめましょうと言っていたが、思えば意気込みが足りなかったかもしれない。
会うといつもティキのペースにズルズルとはまってしまい、拒絶の言葉も、どうも本気とは思ってもらえないようだったから。
(つ、次はキッパリと言わないと)
「・・・・・・」
実は、今までミランダは困りながらも、自分のような女にあのティキが興味を持ち続ける筈もない、と思っていた。
前の時もいつの間にかふらりと来なくなったから、今回もいずれはそうなるだろうと、ミランダはどこか楽観視していたのもある。
『わたしを呼んでくれ』
マリの言葉を思い出し、ミランダはため息をつき目を伏せた。
次のティキの呼び出しは、細心の注意を払わないといけない。今までも十分気をつけていたつもりだが、マリに気付かれないようにしなければ。
そう決意して、その後二週間緊張した日々を送ったのだったが、結局ティキからの呼び出しがあったのはマリの任務中であった。
- 32 -
[*前] | [次#]
D.gray-man
(D.gray-man....)
戻る