D.gray-man





「文句ねェなら良好って伝えとくぞー」


「好きにしろ」


言い捨てて、一人スタスタと歩いて行く。
騒がしいジジの笑い声を背中に感じながら、神田は廊下を歩き、曲がり角に差し掛かった所で一度足を止めた。

「・・・・・」

ピキ、と額に青筋を立て、六幻を持つ手に力がこもる。
最後のチャンスとばかり口には出さず、十数えてみるが神田が望む足音は聞こえて来なかった。

(あっ・・んの、バカ女!)

ギリ、と歯軋りしながら来た道を振り返るが、笑い声が聞こえただけで、やがてそれも遠くなる。
神田にとって一応『恋人』と呼ぶ女は、こちらの気持ちも知らず呑気にフラフラと誰かについて行ったらしい。

「・・・・・・」

腹立ち紛れに壁を蹴ると、古い建物のせいかボコッと情けないくらい簡単に穴が開いた。

『一緒の任務なんて、初めてね・・』

そんなことを頬染めながら言っていやがったのは、つい昨日な事。
別段、これと言ってミランダがいるから何が変わる訳ではないが、それでもやはり、どこか浮ついていたのかもしれない。
いや、浮つくと言うよりは、あの抜けているミランダを自分が何とかしてやらねばと。

・・・そんな気概を抱いていたりした訳だったが。

(あいつら・・)

思い出すと眉間の皺がグッ、と深くなった。
真っ先に浮かぶのはモヤシと呼ぶ白髪の少年。事あるごとに「ミランダさん」と親しげに呼びながら、びったり傍を離れない。
ミランダも神田をよそにアレンくん、アレンくんとすっかり頼りきった様子なのが更に腹立たしかった。
合わせてあの監査官・・リンクとか言うあの男。ミランダがいつの間に「ハワードさん」と、ファーストネームで呼んでいたのにも納得いかない。

アレンはともかく、あの監査官とミランダはいつの間にそれほど親しくなっていたのだ。暗証番号の時もやたら顔を近づけて教える姿に、神田は血管がブチ切れそうになり思わず吠えてしまった。

(だいたい・・あの女は、危機感とか分かってねぇだろ)

そうだ。司祭とはいえ簡単に男と手を握ったり、探索班の野郎と手を打ち鳴らしたりしてるくらいだ。

「・・・・・」

神田は食堂へは寄らず真っ直ぐ自室へ戻ると、手に持った六幻をいつものようにベッドの脇に置いて、ドカッとそこへ座った。
方舟のゲートが開くまでも、アレンに気を使う姿が浮かび、神田は咄嗟に目を剥き出して空を睨み付ける。
いったいミランダという女は、自分の事をどう思っているんだ。恋人の意味を分かっているんだろうか。

付き合ってそれほど長いわけではないが、一応体の関係もある。だいたい好きだと言ってきたのも、向こうからだ・・神田が言わせたのもあるが。

「・・チッ」

色々と考えるのが阿呆らしく、治まらない苛立ちから神田は頭を掻きむしる。
時間は朝の7時になり、食堂が混み始める頃だろう。恐らくミランダも朝食をとりに向かっているはずだ。
腹が減っていないわけではないが、神田はどうしても食堂へ行く気が起きない。ゴロン、と布団に寝転がると足を引っ掛けるようにしてブーツを脱いで、床に転がした。

(・・めんどくせぇ)

任務から帰って、こんな複雑な気持ちにさせられるのは初めてだった。

はあ、とため息をつきながら目を閉じて。疲れを忘れる為、神田は眠る事に意識を集中させるのだった。




風呂上がりの濡れ髪をタオルで拭きながら、ミランダはそっとため息をつく。

(神田くん・・食堂に来てなかった)

朝食の後、任務で疲れた体を癒すため一人風呂に入りに来ていたミランダだったが、神田の事を思うとのんびりと入っていられなくて、簡単に体を洗うだけで出てきてしまった。
着替えをして、団服から普段着の黒いドレスを着ると、ミランダは髪を乾かすのも厭うように、急いで脱衣所から出る。

そのまま向かっているのは自室ではなく、数えるくらいしか行った事のない神田の部屋。

(神田くんに・・謝らないと)

どうやら鈍臭い自分のせいで、彼を怒らせてしまったらしく。任務の間の神田は、いつもに増して不機嫌であった。
初めて一緒の任務だったから、やはり嬉しくてどこか舞い上がっていたのだろう。今回の任務はいつもに増して無駄な失敗が多くて、その度に周りに迷惑をかけ通しだった。

アレンや同行している皆の優しい助けでそれほど大事にはならなかったものの、神田がそんなミランダに苛立っているのは明らかで、いつもに増してきつく叱られてしまった。

(・・・・・・)

はあ、とため息が出る。
彼のような立派なエクソシストからすれば、自分のような落ちこぼれは見ていて苛々するだろう。

(きっと・・愛想を尽かされたわ)

奇跡的に出来た初めての恋人。
神秘的な黒い瞳と見とれるくらい綺麗な黒髪の彼に、ミランダは初めて出会った時から恋をしていた。
けれど七つも年上で、お世辞にも美しいと言えない自分のような女に、あの神田が興味を持つはずがなく、遠くから少女のように見つめるだけで満足する、そんな恋だった。
それが彼も同じ気持ちだと知った時は信じられなくて、何度も確認すると嫌そうに頷いてくれたのが、一と月前の事。

「・・・・」

重たい足取りで神田の部屋の前に立つ。

(もう、寝ちゃったかしら)

まだ朝の9時にはなっていないが、早朝帰ってきた自分達は疲れも溜まっているから、神田が眠っていてもおかしくない。
躊躇うように何度か扉の前でノックするように拳をつくるが、もし神田が寝ていたら・・ただでさえ怒っているだろうに、火に油を注ぐだけではないか。

そう思うと、なかなかノックする事が出来なくて。オロオロと扉の前でああでもないこうでもない、と一人ブツブツと呟いていると、

「おい」
「!?」

知らない内に扉は開いていて、10センチくらいの隙間からムッとした顔で神田がミランダを見ていた。

「かっ、か、神田くんっ・・!?」
「てめぇ、いつまでそんなトコでブチブチほざいてやがる・・」

やはり不機嫌なのは変わらないようだ。

「あ、あのっ・・ええと・・か、神田くん、その今日は色々と迷惑を・・」

とにかく謝らねば。許してくれなくても気持ちだけは分かって欲しい。

「・・おい」
「は、はい?」
「おまえ・・風呂上がりか」

神田の片眉が吊り上がり、額に青筋が浮き出たのを見て、ミランダは青ざめる。

(そ、そうよね・・謝るのに呑気にお風呂なんて入っていたら怒るわよね)

「ご、ごめんなさいっ!神田くん・・出直しますっ」

ペコッと頭を下げて、くるり踵を返した時。急に手首をグイッと引かれ、足が宙に浮くような感覚がして。
それは驚く間もなく、ミランダは瞬き一つするくらいの早さで、気付いたら神田の部屋に立っていたのだ。



「え?ええ?あの・・」
「・・・・・」

戸惑うような顔で神田を見ているその表情に、さらに苛立ちを募らせながらミランダを睨み付けた。

(コイツは・・本当に何にも分かってねぇ)

風呂上がりです、と言わんばかりの濡れ髪で、頬をほのかに染めた姿は艶かしくて。
神田じゃなくても目を奪われるだろう。
ここまで来る間に何人の男どもが朝から眼福を得たのかと、考えるだけでムカムカと煮え繰り返る思いがした。

「おまえ・・どうしようもねぇな」
「か、神田くん・・」

吐き捨てるように言われて、ミランダは悲しげに眉を寄せる。

「ご、ごめんなさい・・ただ今日の、その・・迷惑かけた事を謝りたくて」
「あ?」
「お風呂に入ったのは・・すぐにここに来る勇気が出なくて・・あの」

涙声で、鼻をすすりながら呟く。

「・・・・・」

どうやら怒りの原因を履き違えているらしく、神田はそれにも苛立ちを覚えた。掴んでいた手を放し、はーっと大きく息を吐くと、神田はミランダに一瞥もくれずベッドへ腰を下ろす。
いつもなら怒鳴られる場面なのに、呆れたような神田の態度にミランダは不安になって、

「か、神田・・くん?」
「おまえ、危機感って言葉知ってるか?」
「え?・・ええ」

不思議そうに首を傾げた。

「じゃあ、意味言ってみろ」
「ええと・・危ない、と思う感覚・・かしら?」

自信なさ気に言うと、神田はフン、と鼻で笑いながら。

「知ってんじゃねぇか、その脳みそは飾りかと思っていたぜ」
「・・?」

神田は馬鹿にしたように言った後、ベッドに寝そべりながら、ちらとミランダを見る。

「・・風呂上がりに、これから寝るって男の部屋に来るのは危なくねぇのか?」
「え・・?」

キョトン、と目を見開くが、次の瞬間に言われた意味を察知して頬が染まる。

「あっ・・ち、違うわ、あのっ、神田くん!私、そんなつもりじゃ・・」

首をブンブンと振りながら、赤い顔で後ずさった。神田はベッドに寝そべりながら足を組んで、

「俺だって、そんな気ねぇよ」

面倒そうに言って、目を閉じる。

「そ、そう。良かった・・」

ミランダはその言葉にホッと安堵からため息がもれたが、何となくいつもと様子の違う神田が気になって仕方ない。

(やっぱり・・神田くん怒っている)

素っ気ない物言いはいつもの事だけれど、こんな風に突き放したような冷たい口調ではなかった。

「あ・・あの」
「・・・・・・」

ミランダの声に反応もせず、寝転がりながら目を閉じたままで。

「神田くん・・」
「・・・・・・」
「あの・・」

まるでもう部屋にミランダがいないように、何の反応もしてくれないのが悲しくなる。

「き、今日は色々と迷惑かけて・・ごめんなさい」

涙が溢れてこぼれそうになるのを堪えながら、頭を下げた。

(・・嫌われたんだわ)

胸がキュウ、と締め付けられて苦しくなる。何か言おうと口を開くが声にならなくて。

「本当に・・ごめんなさい」

視線を落としながら呟いて、部屋から出て行こうとドアノブに手をかけると。

「・・おまえ、何で謝ってんだよ」

苛立つ口調の神田の声がした。

「それは・・あの、任務で皆に迷惑かけて・・だから」
「・・くだらねぇ」

吐き捨てるように言って、神田はゆっくり上半身を起こす。

「それ以上くだらねぇ事言うなら、犯すぞテメェ」

神田を見ると、彼は口をへの字に曲げ睨み付けるようにこちらを見ていた。

「え・・ええ?」

言われた言葉の意味をしっかり把握できぬまま、ドアノブから手を放し体を神田へ向ける。
神田はフン、と鼻を鳴らしそっぽを向くと、何かを考えるように視線を落とし面倒そうに舌打ちをした。

「おまえ・・ほんと救いようがねぇ阿呆だな」
「神田くん?あの・・」
「うるせぇ、黙れ」

ミランダの視線を感じながら、神田は眉を寄せる。
少し考え事をしていただけなのに、何を勝手にマイナスに自己完結しているんだ。馬鹿かコイツは。

「・・・・・」

(どうしてこの女はこうも無防備なんだ・・)

放っておけばどんな墓穴を掘るかわからない。
本人は無自覚でやっているので更にたちが悪く、今回の任務ではそれが良く分かった。

(とりあえず、ヘラヘラと野郎の前で笑うのは止めさせよう)

アレンや監査官、ファインダーへの無防備な笑顔に苦々しい気持ちになったのを思い出す。
優しくしてくれる人間には根拠なく信じきってしまう所も、指摘してやらなければ。だいたいこの年で、リナリーよりも世間知らずというのはどういう事だ。

(・・ったく、危なっかしくてやってらんねぇ)

ちら、とミランダを見ると潤んだ瞳で不安げ神田を見ている。その姿がさらにカンに障り、舌打ちしながら何か言ってやろうと口を開いたが、

(・・・・)

感情のまま言ってしまえば、また泣かせるだけのような気がして、なんとか踏み止まった。

「・・・おい」
「は、はいっ」
「ちったあ危機感を持ちやがれ、見てりゃ色んな野郎にヘラヘラしやがって」

腕を組んでギロリと睨み付けると、ミランダはびく、と体を震わせて。

「ヘラ・・?そ、そんな」
「だいたい世の中はおまえの頭の中みたいに、めでたかねぇんだよ」

警戒心はねぇのか警戒心は、と言うと。ミランダは、あの、その、と口の中で何かを呟きながら俯いてしまい、その瞳から涙がポツと落ちた。

「・・・・チッ」

神田は面倒そうに頭を掻いて、ため息をつく。怒鳴ってやりたいのを我慢したのに泣かれてしまった。

「神田、くん・・ごめんなさい」

涙で声を途切れさせながら、ミランダは頭を下げる。

「わ、私・・そんなに迷惑かけてる・・なんて、思って・・」

ウッ、グス、と鼻を啜りながら言って神田を見た。

「・・・別に、迷惑だなんて言ってねぇだろ」
「で、でも・・」

心配そうな瞳に圧されるように神田は、はーっと大きく息をついて。

「うるせぇな、迷惑じゃねぇって言ってんだろ・・しつけぇぞ」

吐き捨てるように言った後、なんだかバツが悪くて再びベッドに寝転んだ。

「・・神田、くん?」
「・・・・・・」
「やっぱり・・怒ってる?」

怖ず怖ずと聞いてくる声が、まるで子供のような口調で。その声に、神田は軽い自己嫌悪に陥る。

「別に・・」

怒っていないわけではないが、ここまでミランダを怯えさせる気はなかった。元々、言い聞かせるとか説得する、というスキルは人よりあまり持ち合わせていないのは知っている。

(・・・ったく)

神田はミランダに背を向けるようにゴロンと寝返りをうつ。

「おい」
「な、なあに?」
「・・・怒ってねぇから、泣くな」

呟き、気まずそうに舌打ちして。それから寝転がったまま腕を組み、なんとなく背後のミランダを意識した。




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