D.gray-man
2
ミランダはふらりとよろけると、そのまま背後の棚へガシャンと背中を打ちその場にヘナヘナと座り込んだ。
「だ、大丈夫か?」
慌てて駆け寄るが、ミランダは動揺から支えようとしたマリの手には気付かず、
「げ、元帥が・・気付かれているなんて・・」
そんな、なんてこと、とブツブツ呟いて。
「ミ、ミランダ?」
「私のせいだわ・・」
「は?」
「私が・・ついつい元帥に甘えてしまったから・・だからこんな・・」
「ミランダ、いやそうじゃなくて・・」
何か間違った思考へ走り出す彼女を、なんとか戻そうとマリは声をかけるが、
「マリさん、元帥は今どちらに?」
「は?」
がし、と肩を掴まれて。
「アトリエですかっ?」
危機迫る様子は、目が見えなくても十分に感じられた。
「あ、ああ。たしか今日は作品を仕上げ・・」
「私ちょっと行ってきますっ・・!」
マリが全部言い終わる前に、ミランダはガバッと立ち上がり、決意に充ちた表情でよろけながらも用具室から飛び出して行った。
(・・・本当に気付いていなかったのか・・)
(鈍すぎんだろ・・いくらなんでも)
「・・・・・・」
「・・・・」
残された二人は、言いようのない複雑な思いを感じてしまうのだった。
ティエドールに謝ろうと、アトリエに来たはずなのに。
ミランダはなぜかソファーに押し倒されている。
「げ・・元帥、あの・・」
絵の具のついた手が、黒いドレスのボタンを外し終えると、白い首筋が見えて、そこから流れるような美しい鎖骨がのぞいた。
指で確かめるようになぞられて、そのままチュウと吸い付く。
「・・ぁ・・」
吐息に声が交ざり、ミランダは羞恥から唇を噛む。
ティエドールが邪魔そうに眼鏡を外し、近くの木箱に軽く投げると、ミランダの頬を両手で挟み、再びその唇に包まれた。
(・・なんて・・)
優しいキス。
舌がミランダをゆっくりと探るように動く。歯列をなぞられ、舌を優しく絡めてきて・・。
そっと離されて見上げると、いつもとは別人のように熱の篭った男の表情をしていた。
(元帥・・)
「ああ・・なんて君は綺麗なんだろう・・」
熱っぽい眼差しに見つめられて、溶かされそう。クラクラする。
「・・・ミランダ」
舌を這わせながら右腕をドレスから抜かれ左腕も同様に肩先から二の腕、肘とたどるように舌を這わせていく。
そうしている内に、するするとドレスは脱がされて、ミランダは下着だけを纏った姿で、ソファーの上にいた。
白い、質素な下着が恥ずかしくてミランダは隠すように身体を丸める。
「駄目だよ・・」
優しく両手首を掴まれて仰向けにさせられると、ティエドールの顔が近くて、鼓動の速まりに負けるようにそっと瞳を閉じた。
時間は少し遡る。
ティエドールのアトリエへ到着したミランダは、息を整える為にドアの前で深呼吸を一つした。
(・・・・)
ノックをしようと右手を軽く握り、ドアへとかざした瞬間。《ガチャ》と突然扉が開き、
「!?」
中から目的の人であるティエドールが手を広げて立っていた。
(え?)
と思う間もなくティエドールは、がばとミランダを抱きしめて。
「ミランダッ・・!」
ぎゅう、と力を強める。
「げ・・元帥?あ、あの?」
突然の抱擁に目を白黒させていると、ティエドールはパッと身体を離して
「まさか君の方から来てくれるなんて思わなかったよ・・!」
「あ、あの・・」
「ちょうど今、描き終えたばかりだったんだ」
嬉しそうにミランダの手を引いて、アトリエへ誘う。
「え・・描き?あの元帥?」
よく分からないまま、薄暗いアトリエへと手を引かれ、躓きながらも室内に入ると、ミランダがすっぽり入りそうな程大きなキャンバスが目に入る。ティエドールがキャンバスに掛けられた大きな布を手をかけ「いいかい?」と子供のように楽しげに笑った。
「元帥、これは?」
「いくよ」
言うと同時に、サッと掛けられた布を滑り落とすと、それは大きな肖像画。
「・・・・」
目を見開いてそれを凝視する。
間違えようがない、そこにはミランダが描かれているではないか。
(こ・・これ)
ミランダの顔が赤くなって、そっとティエドールを窺うと、彼は満足そうに頷いている。
肖像画はミランダの全身が描かれて、ギリシャ神話に出てくるようなドレスを纏い、花に囲まれて寝そべっている。
うっとりした表情で何かを見ているそのミランダは、どう見ても本人より五割増しは色っぽい。露出気味のドレスから艶やかな太股がのぞき、胸元の乳房はこぼれそうな程豊かだ。
(え・・ええと)
なんというか見ていられない。いや、これはさすがに気恥ずかしい。まるで自分自身のあられもない姿を見せられているようだ。
ティエドールはミランダの手を両手で包むように握ると、手袋ごしにキスを落とす。
「気に入ってくれたかい?」
「えっ?・・え、え、ええ?」
顔が熱くなる。
あんな噂を聞いたからか、なんとなく意識してしまう自分がいて。
(そ・・そうだわ、私ったら)
本来の目的を忘れていた。
「あ・・あの元帥、お話があるんです」
ミランダがティエドールを真っすぐに見つめると、
「ああ。もちろんわかっているさ」
深く頷いて、再びミランダの手の甲に唇を寄せた。そしてまるでひざまずくように腰を落とすと、見上げるようにミランダを見つめて、
「僕も愛しているよ、ミランダ」
うっとりと、ため息をつきながら。
「君は・・僕のミューズで、癒しの女神パナケイアだ」
「・・・は?」
ポカンと瞬きを2、3回して。
「・・愛して・・?」
目まぐるしく動く脳細胞についていけない。愛してる?誰を?
(・・・・・・)
・・・私?
今、私を愛してるって言ったのよね?元帥が私を愛してる?
急にリナリーの言葉が頭に鳴り響く。
『あんなにも夢中じゃない』
『元帥はあなたを愛してるのよ』
(そういえば・・)
ティエドールから何度か「愛してる」と言われた事がある。でもそれは、マリや神田に対する「愛してる」と同じ意味だとばかり思い込んでいた。
(・・待って)
早合点は良くないわ。誤解のないよう確認しなければ・・。
ミランダは恐る恐るティエドールを見て、
「あの・・それは、家族としてですか?それとも・・その」
ティエドールはなぜか嬉しそうに笑い、ミランダをギュウ、と抱きしめる。
「そんなに心配なのかい?僕の全ては君の物なのに」
「え」
「ああ、でもさっきは嬉しかったな・・・」
思い出すように、呟いて。
「あんなに息を乱してまで、僕に会いに来てくれるなんて・・」
ミランダを抱きしめる腕の力を強めた。
(ええと・・)
確かにティエドールに会いに駆けては来たが、一刻も早く謝罪しなければという思いにかられたからで。彼が期待している色めいたものではないのだが・・。
そしてどうやらティエドールは、ミランダも自分と同じ気持ちだと誤解しているらしい。
(こ、困ったわ)
リナリーとの会話でも出たが、元帥にそんな感情を持つなんて畏れ多くて、申し訳ない。ティエドールはミランダを抱きしめながら彼女の髪を撫で、愛しくてたまらない風に頭にキスをした。
「・・・・・」
意識すればするほど、どうして今まで気付かないでいられたのだろうと、自分が嫌になる。こんな行為はマリや神田にもしていないというのに。
「あ・・あの、元帥・・」
ゆっくりと、身体を引き離して。恐る恐るティエドールを見上げると、あまりの顔の近さに顔が赤くなった。
(わ!)
慌てて顔を反らすと、リナリーに言われたあの質問が頭を過ぎる。
『想像の中で、元帥とキスできる・・?』
急に心臓がうるさく騒ぎ出す。
「なんだい?ミランダ」
耳元で聞こえる声に、びくと震えた。
「ええと、その・・も、申し訳ないですっ・・私なんかに」
「申し訳ない?」
「いえ、畏れ多いというか・・元帥みたいな方から、そんな風に思ってもらえるのは・・」
しどろもどろになりながら、ミランダは赤い顔を隠すように俯いて、言葉を続ける。
「・・そ、想像すら申し訳ないというか・・」
ティエドールが少し首を傾げて。
「なんの想像だい?」
ミランダは言うべきか迷うように、指先でスカートをもじもじと弄りながら。
「げ・・元帥と、その・・そういった関係になるのが・・」
消えそうな声で、呟いた。
恋人同士のような関係など、ミランダにはどう想像してみても考えられない。想像してしまうと、尊敬してるティエドールを貶めているような気分になる。
「・・ミランダ・・」
ティエドールの声は震えていた。
ミランダを抱きしめていた腕を静かに離すと、ふらりと二、三歩後退りして。
そのまま立て掛けてあったイーゼルにぶつかり、ドミノのようにそれが倒れていくのが見えた。
「げ、元帥・・?」
ティエドールは左手で顔を押さえ、右手で胸を掴むように服を強く握り締めている。
「そんな風に・・言われるなんて・・」
「あ・・ご、ごめんなさい・・私」
ミランダはハッとして口を押さえた。
(なんて失礼なことを・・!)
顔が青ざめる。ティエドールはその瞳に光るものをぐいと拭い、
「・・そんなに想ってくれていたんだね・・!」
感極まったように、再びミランダを強く抱きしめた。
(!?)
「げ、元帥?え?あの?」
どう繋がればその思考へとたどり着くのだろうか。
ティエドールはミランダの頬を両手で包みこむと、うっとりとした様子で、
「そんなに怖がらなくてもいいんだよ」
「え?」
「触れるのをためらう物ほど・・それへの愛が深いんだ」
「・・ためらう物ほど・・?」
「本当に大切だからこそ、壊してしまうのを恐れるんだよ」
「・・・・・」
「だから新たな第一歩を踏み出すのに戸惑う・・・なんて可愛い人なんだ君は」
目頭を押さえて、感激したようにため息をついた。
触れるのをためらう・・・愛が・・深い?
(愛が深い・・)
ミランダの脳にじわじわとその言葉が広がっていき、やがてそれは全身を包むような衝撃に変わっていった。
(・・そ・・)
そうなの!?
後頭部を激しく殴打されたような。ミランダはくらくらと眩暈のような不思議な感覚に襲われる。
(私、元帥のこと・・?)
好きなの!?
「あの・・想像でのキスに・・罪悪感を感じたりも?」
怖ず怖ずと窺う。
「なんて素敵な事を考えてくれるんだ・・!」
ますます感激したように、ミランダの額にキスをした。
(そ、そうなのね)
額に受けた唇の熱を感じながら、ミランダは眼から鱗が落ちる思いで、ゴクリと生唾を飲み込む。
言われてみれば・・そうかもしれない。
いや、そうなのだろう。
自分は昔から大切な物には決して手を触れず、大事にしまいこむ方だった。
知らなかったわ
(これが・・好きって事だったのね!)
確信と共に頭の中で落雷が落ちる。
「げ、元帥っ・・」
「なんだい?」
「わ、私・・元帥が好きみたいです・・」
眉間を寄せて、決意に満ちた瞳で訴えかける。ティエドールは軽く目を見開き、それから嬉しそうに目を細めて、
「そんなこと、知っているよ」
もう、どうしたの?と言いながら頬ずりするようにミランダを抱きしめる。
「えっ!元帥知ってらしたんですか?」
「うん、知ってた」
「そ・・そうなんですか」
ミランダ自身もたった今気付いたばかりだというのに、いつから知っていたのだろうか。
(きっと元帥は、私なんかが考えもつかない鋭い感覚をしてるんだわ)
うんうん、と納得するように頷いて。
(元帥ってすごい)
あらためて尊敬の眼差しを向けた。
「ああ、それにしても・・」
ティエドールは深刻そうに呟く。
「ミランダに、あんな事を言わせるなんて・・僕は恋人失格だ」
「はい?」
「言い訳させてもらえるなら・・僕は君を大事にしたかったんだ」
ティエドールは切なげに、ミランダの耳元で囁いた。
急に落ち込み始めたティエドールにミランダは首を傾げる。ティエドールは抱きしめている手をそっと緩め、ゆっくりとミランダの瞳を覗き込むと、
「でも・・君が『そういった関係』を想像してくれるなら・・」
(?)
「あの・・元帥?」
「僕も男だ・・君の魅力に心揺さ振られて眠れない夜を明かした事もある・・」
「は・・はあ」
「けれど・・ミランダにとっては、僕が拒絶しているように感じていたのかな」
自戒するように拳で額を強めに殴りながら。
「心配しないで。僕はそんな関係を望んでくれる事が嬉しくてたまらないんだ」
「そんな・・関係?」
どんな関係なのかしら、と首を傾げる。
「・・・ミランダ」
ティエドールの瞳に火が点ったような熱っぽいものを感じて。その瞳が急に近くなったと気付く間もなく、ミランダの唇が塞がれていた。
「!?」
びくん、と身体が跳ねた。すぐに唇を離したかと思うと
「・・一緒に新たな第一歩を踏み出そう」
ティエドールの瞳の熱が眼鏡ごしに伝わり、ミランダは彼の言葉の意図するところを覚った。
(ま、まさか・・)
顔が強張る。
「ミランダ・・愛している」
そのまま再び口づけを寄せてくるので、
「えっ・・あの、元帥?ちょっと待って・・」
「大丈夫、怖がらなくていいから」
「そ、そうじゃなくて・・」
「大丈夫、大丈夫」
「え?え?あの・・」
「いいからいいから」
「ちょっ・・げっ・・んんっ!」
そんな抵抗も空しく、ミランダの唇は再び塞がれたのだった。
- 47 -
[*前] | [次#]
D.gray-man
(D.gray-man....)
戻る