D.gray-man


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(・・わっ!)


年代物の古い布貼りのソファーへ倒されるように寝かされる。
薄暗い、明かりが一つだけのアトリエ。いくつかのイーゼルが、さっきの衝撃で倒されたままなのが目の端に映った。

思考が追い付かないまま、塞がれた唇にヌルリとしたものが割入れられる。
すぐにそれが舌だと分かりミランダはくらくらと目眩がして、全身から力が抜けた。口髭がフワフワと鼻の下を動くので、少し擽ったいような不思議な気持ちになる。

(・・・ん・・っ)

柔らかな舌は、ミランダのそれを包み込むように絡めて、顔をゆっくり動かしながらチュウと唾液を吸うような音を発すると、そのままゴクと涎下した音がミランダの耳に残った。

(・・!)

絵の具と、テレビン油の匂いが鼻先に感じた時。なんだか「らしくて」、ミランダは急に現実感を覚える。

「・・ああ、ミランダ・・」

そのうっとりとした言い方に。ミランダの頭はじん、と痺れて。
まだ疑問の残る己の思考を閉じ込めると、これからの事を受け入れるようにそっと瞳を閉じた。

きゅ、とスカートを握りしめて。

(ティエドール・・元帥)

ゆっくりとボタンが外されていく。
記憶を辿るようにミランダは、リナリーとの会話を頭に浮かべていた。





それは数時間前、談話室でのお茶の時間。

ミランダはリナリーと二人でお茶を飲みながら、和やかにお喋りを楽しんでいた。
話題は以前任務で行った各地の美味しいお店や、その時の失敗談など。本当に軽いお喋りだったが、リナリーが中央から来た班長への愚痴を言ったあたりから、どうも妙な雰囲気になって。

「ほんと、なんだか嫌な目つきしてるのよ・・やんなっちゃう」

ぷりぷり怒りながら、紅茶にミルクを足す。

「そ、そうなの・・?」
「彼氏いるの?なんて聞いてくるし、セクハラよセクハラ!」

リナリーはむうっと口を尖らせながら

「仏の顔もなんとやらよ、次言ってきたら兄さんに言ってやるんだからっ」
「そ、それは・・・」

さすがのミランダもコムイの破壊力は知っている。
あの異常なまでに妹を愛する男が、リナリーにセクハラを働く部下に寛大になろうはずがない。間違いなく、彼は(本当の意味で)首が飛ばされる事になるだろう。

「・・・・・」
「あーあ、それにしても・・」

リナリーはちらとミランダを見て。

「いいわよね、ミランダは」
「え?」

キョトンと首を傾げると。

「あーあ、あたしも誰かに熱烈に想われたーいっ!」

リナリーは悪戯っぽく微笑んだ。

「・・・・・・え?」
「もう・・ミランダったら。それとももう付き合ってるの?」

うふふ、と笑いながら紅茶を一口飲んだ。

「?・・なんの事を言ってるの?リナリーちゃん」
「なんの事って」

リナリーは怪訝な顔でミランダを見る。

「ティエドール元帥の事に決まっているじゃない」
「え・・?」
「え、ってミランダ・・気付いてないなんて言わないでよ」

クス、と笑って肩を竦める。

「あの、元帥になにかあったの?」
「・・・・・・」
「・・・・」
「え・・?ミランダ」

リナリーは目を見開いて、口元まで運んだカップをソーサーに戻した。

「本当に、気づいてないの?」
「気づく・・って、ごめんなさい私鈍くて・・よく分からないわ」

困ったように、口元に手をあてる。

「元帥・・ティエドール元帥があんなにも熱烈アプローチしているのに?」
「アプローチ・・って。リ、リナリーちゃん元帥に失礼よっ」

ミランダが慌てて否定する。

「な、何言ってるの?ミランダ・・あなた本気で気付いてないの?」
「?」
「元帥が、あなたを愛してる事よ」

リナリーの言葉にミランダはブンブンと首を振る。

「そそそんな訳ないじゃない!」
「あるわよ、どう見たってミランダに夢中じゃない!」

リナリーは身を乗り出し顔を覗き込み、まじまじとミランダを見た。

「あれだけアプローチされていて、どうして気付かないの?」
「ア、アプローチ?そんな・・されてないわっ」

リナリーの迫力に気圧されるように、身を縮こます。

「・・・・・この前、バラの花束貰っていたわよね?」
「あ、あれは・・通り掛かりの花屋で綺麗に咲いていたから・・って」
「だからって普通、わざわざ買わないわよね?」
「で、でもあの時たまたま食堂に私がいたから・・下すったのよ」
「元帥お手製の陶器の人形や、似顔絵も貰ったわよね?」
「あ・・あれは以前モデルを頼まれて・・お礼って言ってたし、みんなだって・・」

リナリーは頭を押さえながら、

「誰も貰った事はないわよ」
「え」
「『君の瞳は黒耀石のように美しい』とか『君の魅力の前では僕は無力だ』とか言われてなかった?」
「え・・ええと・・」

覚えがあるのだろう、赤らめた顔で俯く。

「普通・・そういう事って、好きな人にしかしないと思わない?」
「・・・・・・」

ミランダは考えるように、口元に手をあてた。

(言われてみれば・・・)

他にも心当たりがある。

そうだ。バラの花束を貰った時も、

『この花びらを見ていると、ミランダの唇を思い出して・・買わずにはいられなかった』

とかなんとか。似顔絵を描いて貰った時も。

『その陶器のような肌を僕の記憶にしっかり焼き付けておきたいんだ』

「・・・・・・」

任務から帰ると、いつも出迎えてくれるのは元帥だった。

『おかえり・・ああ心配でたまらなかったよ』

抱擁されて。

(・・・て、てっきり家族的な何かとばかり・・)

ティエドール元帥は、弟子であるマリや神田にも深い愛情を注ぐ人だから。きっと、遅くに入団した自分を人一倍気にかけてくれているのだろうと。そして(元帥は芸術家だから、言葉の使い方もロマンチックなんだわ)と解釈したりもしていた。

「・・・で、でもねリナリーちゃん」

怖ず怖ずと、窺う。

「げ、元帥みたいな方に・・なんだか畏れ多いわ」
「畏れ多い・・?」

リナリーはキョトン、と首を傾げた。

「・・『元帥』なんていう立場の方が、私みたいな女を・・」

納得できないのか再び考え込むミランダに、リナリーは曖昧に笑いながら

「そんなにこだわらなくても・・元帥だって男なんだし」
「そ、それはそうなんでしょうけど・・・」
「て言うことは・・ミランダ、元帥を男として見た事ないの?」

少し声をひそめて、リナリーが聞いた。

「え?ええと・・ううんと・・」

ミランダは困ったように眉を寄せて、ほんのりと染まった頬を押さえる。

「だって・・そんな気持ちを持つなんて、失礼じゃない?」

ミランダにとって、ティエドールは雲の上の人。
同じエクソシストという括りにすら考えられないくらい、尊敬している。

(・・そうよ)

そんな人を、異性として見てしまうなんて畏れ多いわ。

(それに・・・やっぱり納得いかない)

雲の上の人が、自分のような女にそんな感情を持つなんて・・。

「ねぇ、ミランダ」

ミランダの考えを遮るように、リナリーの声がした。

「な、なあに?」
「あのね・・変な事聞くけど・・いい?」
「?」

リナリーは少し言いよどみながら、

「あの・・想像の中でね、元帥とキスできる・・?」
「えっ!」
「・・前に聞いたんだけど。想像でキスが出来る相手とは、恋愛に発展する可能性があるらしいわ」

少し恥ずかしそうに、ぽそ、と呟く。

(げ、元帥と・・?)

リナリーの言葉に誘われるように、ミランダは視線を上にずらして、ティエドールの顔を思い浮かべた。

(・・・・・・)

「ど、どお?」
「・・・・・・・」
「・・・・・ミランダ?」

ミランダの顔がみるみる赤く染まると、ヒィ・・と小さな叫びを上げた。

「だだだめよっ・・何だか申し訳なくって・・!」
「えっ?ええ?」

ミランダは両手で顔を覆いながら、イヤイヤと首を振る。

「じゃあ、全然想像出来なかったの?」
「そっ・・そうじゃないけど・・で、でも・・あの」

しどろもどろになりながらも否定しないところを見ると、想像は出来たらしい。リナリーはなんとなく安堵の表情を浮かべながら、少し冷めた紅茶を一口飲んだ。

「ねぇ、ミランダ」
「な、なあに?」
「さっきも言ったけど元帥だって男なのよ、お互いそういう感情を持っても変じゃないわ」
「・・・・」
「私から見たら、元帥はミランダの事すごーく愛してる風に見えるけど」
「・・・・・」

うふふ、と笑ってクッキーをかじるリナリーを見ながら。それでも納得できない気持ちを抱えて、冷めた紅茶に口をつけた。





(・・リナリーちゃんはああ言ったけど)

元帥をそういった対象に見るのは、やはり抵抗があった。
一人の男性としてキスは想像出来ても、どうしても『元帥』というフィルターがかかり、そんな想像をしてしまう自分が情けなく恥ずかしくなる。

(でも)

本当にそうなのかしら。元帥が、私を・・?
そう思うと、ミランダの心臓はバクバクとうるさく騒ぎ出す。

(・・ティエドール元帥・・)

もじゃもじゃ頭を一つにまとめ、温和そうな顔に光る少年のような瞳が印象的な人。初めて会った時は戦闘中だったのもあって厳しい元帥の顔だったが、普段は誰に対しても優しくて、そういう所も尊敬していた。

(・・だ、だめ)

尊敬する人をそんな風に考えてしまうなんて。

(でも、待って)

ミランダは、はたと気がつく。さっきのリナリーの話では、ティエドールがまるで自分を追いかけているかのような口ぶりだった。

(それって・・もしかして)

みんな大きな勘違いをしているのでは?あの大きな優しさを、きっと勘違いしているのだ。

(そうよ・・)

だって元帥みたいな方が、私なんかにそんな気持ちを感じるはずがない。

「なんてこと・・」

そんな噂が流れてしまうなんて、恩を仇で返すようなものではないか。おそらく元帥は彼の弟子達と同じように、自分を気遣ってくれただけなのだ。ただ周囲からすれば異性同士だったし、ミランダ自身もそんな元帥の優しさに甘えていたから、それできっと、妙な誤解をされたに違いない。

(・・そうよ、きっとそう・・)

青白い顔で、何度も頷く。あのリナリーですら誤解しているくらいだ。教団中が誤解していてもおかしくない。

(な、なんとかしなきゃ)

糸が繋がるように、ミランダの思考が納得をみせると、今度はそれを何とかしなければという使命感が沸き起こる。
しかし具体的に何かを思い付く事もできず。困ったミランダは、咄嗟に元帥に親しい二人の人物を思い出し、震える足で駆け出していた。








マリと神田は修練場から食堂へ行く道すがら、ミランダに呼び止められた。

何やら真剣な面持ちで悲壮感すら漂う雰囲気に圧されるように、近くの用具室に入る。薄暗い部屋にカチリと明かりを点して。

「どうかしたのか?」

あきらかに様子がおかしいミランダに、マリが心配そうに声をかけた。神田は面倒そうに眉間に皺を寄せて、用具棚に背をもたれている。

「あの・・」

言いづらそうに。

「テ・・ティエドール元帥の事なんですけど・・」
「師匠がどうかしたのか?」
「わ、私のせいで・・大変な噂が・・」
「なに?」

ミランダは今にも泣きそうな顔で俯いていて。その深刻な様子に二人は、僅かに顔を強張らせながらミランダを見た。

「・・どんな噂だ?」
「そ、それは・・」

ミランダは困ったように眉を寄せて、言いよどみながら。

「私なんかに、こ、こ好意を寄せている・・なんて言う・・噂が・・」
「・・・・・・」
「・・・・・」
「び、びっくりしますよね?・・私も驚いて、どうしたらいいか・・」

ふう、と深刻なため息をついて。

「・・・・・・」
「・・おい」

神田が顔を引き攣らせながら、ミランダを見た。

「おまえ・・冗談で言ってんのか?」
「冗談なんて・・私だって、もうびっくりして・・申し訳なくて・・」
「いや、冗談だろ」
「私だって冗談だったら・・って思うわ、でもリナリーちゃんが・・」

震える声で呟くミランダに、マリと神田はどちらからともなく顔を見合わす。

(・・・あれで気付かないのか)
(嘘だろ、おい)

師匠のミランダへの想いの弾けっぷりに手を焼いていた二人は、予想外の衝撃に言葉を失ってしまった。
拡声機よろしくいつでもどこでも、ミランダミランダと教団内を飛び回り、ミランダの任務中は寂しさからアート・オブ・ミランダを造ろうとした事数知れず。
やれ花だ肖像画だ装飾品だの、果ては元帥が想いの丈を綴った愛の詩まで渡されて・・。

((あれで、どうして気付かないんだ・・・・))

「・・・・・・」
「・・・・・」
「あ、あの・・」

黙り込んだ二人を、怪訝そうに見る。
二人は何やら複雑な表情をしているが、マリが考えながら話すように、

「その・・ミランダ」
「は、はい」
「その件なら、もう師匠は知っているはずだから・・」

気にしなくて大丈夫、と言おうとしたが、

「な、な、ななんですって・・・」

ミランダの心拍数がぐんと上昇していくのが聞こえて、言いそびれた。



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