D.gray-man
1
「ユウってさ、童貞?」
「あ?」
それは風呂上がりの食堂での、ひと時。
ラビの突然の問いに、神田はコーヒー牛乳を吹き出しそうになった。
「何言ってやがる、テメェ」
「や、ほらミランダと付き合ってイイ頃だから」
「何がイイ頃だ。今度んな事聞いたら三枚におろすぞ」
睨み付け、軽く口を拭う。
「そうオッカネェ事言うなって、いい物やるからさ」
ラビは、ニヤと笑いながらポケットをごそごそと探った。
「いい物?」
片眉を上げて、飲み干したコーヒー牛乳を下げ口に置く。ラビは長方形の四角い箱をおもむろに差し出して、
「健闘を祈る」
神田の手にのせた。
(・・?)
『うすうすピッタリFit』
「!?・・」
(こ、これは・・)
ネーミング通り、男性用避妊具だ。
「こういうのって、男の優しさだから」
「・・・・」
「感謝してよ、ジジィの目を盗んで通販でやっとこ手に入れたんだから」
「・・なんで、テメェがこんなの必要なんだよ」
「そりゃ・・やっぱ、いつ何があるか分からねぇからさ〜」
「ふん・・無駄な努力だな」
言いながら、箱を胸ポケットへしまう。ラビはニヤニヤとして、声をひそめながら
「使った時は、教えてね」
神田の肩をポン、と叩いた。
「う、うるせぇ・・使うかどうかなんて分かるかよ」
「あ、そうそう。実戦の前にちゃんと練習しといた方がいいぜ」
「あ?」
「いざって時にモタモタしたら興ざめさ」
ラビはそれだけ言うと、じゃ!と手を上げて軽いスキップをしながら立ち去った。
「・・・・・・・・」
神田は胸ポケットをちらっと見る。
(モタモタ?)
どういう意味だ・・?
首を捻りながら、神田はもう一度箱を確認しようと手をのばす。
「あ・・神田くん?」
背後から愛しい人の声が聞こえて、その手を止めた。
「なんだよ」
「神田くんもお風呂上がり?」
嬉しそうに駆け寄るミランダの頬はピンクに染まって、濡れ髪をひとつに纏めているのを見ると、彼女も風呂上がりなのだろう。
「・・・・・」
その風呂上がり特有の艶っぽさに、神田の顔は赤くなって。隠すように、ミランダから顔を背けた。
「今、お部屋に戻るところだったの?」
「あ?・・ああ」
「じ、じゃあ・・その、一緒に行ってもいい・・?」
「はっ?」
「あ!・・その、嫌ならいいのよ・・あの、今日・・お話出来なかったから・・その」
恥ずかしそうに、頬を染める彼女はなんともいえず、可愛らしい。ラビのせいで、一瞬妙な考えを起こした自分を戒めるように、神田は咳ばらいをして、軽く頷く。
「・・ほら、行くぞ」
ミランダは嬉しそうに笑うと、足を速めて神田の横に立った。
フワ、と風呂上がりの石鹸の香りがミランダからするのを感じて、言いようのない甘く苦しい気持ちを隠すように、神田は速足で歩き出す。
「・・それでね、その時リナリーちゃんが・・」
ミランダの優しい声を聞きながら、神田は違う事を考えていた。
(三ヶ月か)
付き合い始めて、そんなに月日が経っている事が信じられない程、二人の関係は清い。
「・・・・・」
ちら、とミランダを見る。七つ上の、年上の恋人。
神田にはずっと考えていた事があった。
もし、ミランダに過去の男がいたら・・・。彼女の年齢からして、過去に男性経験があったとしても、不思議ではない。神田といえば、この年まで色恋に興味を向けてこなかった事もあり、女性経験は皆無だ。
(もし・・)
もし事に及んだ時、それをミランダに知られたら・・。
男として、これほど面白くない事があろうか。
「・・・・・・」
「か、神田くん・・?」
「・・?」
「何だか・・怒ってる?」
恐る恐る聞かれて、自分の眉間に皺が寄っているのに気が付いた。
「べ、別に・・怒ってねぇよ」
「ほ、本当?」
「ああ」
頷いて、ごまかすように外の景色を見る。
「なら・・いいんだけど・・あの、それでどうかしら?」
「あ?」
「え・・だから神田くんの・・都合は・・」
「なんの話だ」
「えっ・・だ、だから渡したいものがあるんだけど・・」
そっと上目使いに見られて、神田はまたひとつ咳ばらいをした。
「渡したいもの?何だよ、それ」
「えっと・・後でお部屋に届けに行ってもいいかしら?」
「あ?んな、まだるっこしい事しねぇで、今お前の部屋に行きゃいいだろ」
ミランダは迷うように、神田を見て
「で・・でも、申し訳ないわ」
「あほか、どっちにしろ迷子にならねぇよう送んだから、二度手間だろうが」
「は・・はい」
ミランダは顔を赤くして、小さく頷く。
「ほら、行くぞ」
神田はミランダの部屋へ続く階段を、顎で指して。
(・・・・)
迷うようにひと呼吸置いた後。ぐっ、と彼女の手首を掴んで歩き出した。
「ち、ちょっと待っててね・・?」
そう言うとミランダは神田を気にしつつ、クローゼットを開いた。
ミランダの部屋には手前まで来た事はあったが、こうやって入るのは初めてだ。元々の入団時の荷物が少ないせいか、女性にしては殺風景とも言える。
「あの・・か、神田くん・・」
やがて、目当ての物を見つけられたのか、ミランダが恥ずかしそうに小さな紙袋を差し出す。
「?」
受け取って紙袋に手を入れると、紫色の紐が出て来た。
「・・なんだこれ」
「えっ?えっと・・髪を縛る・・ひ、紐です」
「・・なんか、随分くたびれてねぇか?」
「そっ・・そうかしら。ご、ごめんなさい・・私ったら不器用で・・」
神田の片眉がぴく、と動いて。
「おい・・まさか、お前が作ったのか?」
「ご、ごめんなさいっ・・ほんと、あの・・そ、そうよねこんなの・・いらないわよね」
慌てて紐をしまうのを見て、神田は慌てて紙袋を取り上げた。
「あ?んなこた言ってねぇだろ」
「え?だ、だって・・」
「だ、誰もいらねぇなんて言ってねぇだろうが」
ミランダの顔が花が咲いたように綻ぶ。
「・・・ほ、本当?」
「うるせぇな、貰ってやるよ」
フン、と鼻を鳴らしながらもその顔は赤い。
「あ、ありがとう・・神田くん」
「・・・・」
本来、礼を言うのは神田の方であるが、貰ってやるの一言が彼にとっての最大限の謝辞なのだ。
神田が紙袋を胸ポケットに仕舞おうとした時『カタン』と何かが落ちる音がした。
「神田くん・・?何か落ちたわよ」
ミランダがそれに気付いて拾い上げる。神田はハッとして、確認するように胸ポケットを触ったが、もう遅く。
「・・うすうすピッタリ・・?」
「わっ!馬鹿っ」
慌ててミランダの手から箱を取り返した。
「ち、違うからなっ。これはあの馬鹿ウサギの野郎が勝手にっ!」
「え・・あ、あの・・」
「何だよ、何勘違いしてんだよ!ち、違うからな、誤解すんなよっ」
「それ・・って、何?」
「・・・・あ?」
「・・・・・」
神田は、顔を赤らめながら苛立ったように。
「な、何って・・分かんだろ?ぶってんじゃねぇよ」
「え?え?・・ご、ごめんなさい・・な、何の事だか・・」
オロオロと申し訳なさそうに、神田を見た。
「・・・・・」
神田はじぃ、と探るようにミランダを見て。
(こいつ・・マジでか?)
「・・本当に知らねぇかのか?」
「ご、ごめんなさい・・わ、私ったら馬鹿だから・・」
「・・・・・・」
神田は避妊具の入った箱を見せて、
「・・じゃあ・・・・・・つ、使い方、教えてやろうか?」
ミランダは嬉しそうに、笑って。
「ほ、本当?」
神田は頭を押さえる。
「おまっ・・マジで言ってんのか?!」
「え?え?・・」
(前から、思ってたが・・)
神田はミランダをギロ、と睨むと、
「だからお前は駄目なんだよっ!」
「え、えっ・・」
「少しは危機感を感じやがれ!」
「ど・・どうしたの?神田くん・・その・・ご、ごめんなさいっ」
ウルウルと泣きそうになっているミランダを見て、神田は、さらに苛立ったように頭を掻きむしった。
「いいか、これは避妊具だっ・・!」
どうだと言わんばかりにミランダの目前に突き出す。
ミランダは2、3回瞬きをして、目の前のそれをじぃと見ていたが、避妊具という言葉に反応したのかみるみる顔が赤くなっていった。
「・・・・・・・」
両手で顔を押さえて、俯く。
「おい・・余所の野郎に、使い方ねだりやがったら殺すぞ」
舌打ちして睨み付けると、ミランダは口を尖らせながら
「そ・・そんな事しないわっ・・」
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