月の道



 目が覚めると静かな闇が一面に蔓延っていた。どれくらい寝ていたのだろうか。一番新しい記憶は淡いオレンジ色と5時になると町に鳴り響く物悲しい童謡。眠っていたのは2時間くらいだろう。携帯は近くに転がっている筈だが敢えて時間は確認しなかった。この静かな闇に人工的な光を交ぜたくなかったから。吉田は体に掛かっているタオルケットを退かし上半身だけをゆっくりと起こしあげた。しばらくぼうっとしていると徐々に暗闇に慣れてきた目に見慣れた部屋の輪郭が見えてくる。隣に譲が寝ていた。寝始めたときは自分のベッドの上で寝ていたのにいつの間にかに侵入してきたのだろう。吉田はすうすうと規則正しく寝息を吐き出している譲の頭をそっと撫でてやった。若干汗ばんでいるのは暑い所為か。確かに大人と子どもとは言えど一つのベッドに二人で寝たら暑苦しいのは無理もない。吉田はギッと軋ませながらベッドを降りると部屋からベランダに通じる窓の傍まで歩いた。
 真っ暗な部屋に深い青が入り込んできた。外の電灯が今にも消えそうにチカチカと点いたり消えたりを繰り返している。遠くからは秋の虫の鳴き声が聞こえてきて夏の終わりを告げていた。
 窓を開けようと錆びかけている鍵に手をかけた瞬間どこからか雨の匂いが吉田の鼻孔を浸いた。雨でも降っていたのだろうか。よく見ると、道のあちこちに小さな水溜まりがぽつぽつと出来ている。そういえば天気予報で雨が降るとか言っていたような。天気予報の豆知識コーナーを見ながら譲が「入道雲って雷出すんだよ。僕、入道雲好きなのになあ」とぼやいていたのを思い出した。
 窓にも幾つか雨の痕がついていた。ぽつぽつといるそれは外の明かりに反射して輝いている。ちょっとしたプラネタリウムのようだ。暗いはずの部屋に白い筋が差し込んだ。暗い青に染まる部屋に差し込む白は暗闇を照らすように真っ直ぐ部屋に伸びている。次第に白は暗い部屋に誘い込まれるように溶けていった。吉田は静かに白い月を見上げた。
 群青の中に当たり前のようにある白い満月はまるで宙への入り口のようにぽっかりと浮かんでいた。そこから伸びる淡い光線。吉田は線をなぞるように月からの光を追う。月へと誘うように真っ直ぐ部屋に注ぐ月と同じ色をした明かり。
「月の道だ。」
 それはまるで月へと続く道のようだった。
 この道を渡っていけば月へと行けるような気がする。二度と会えないあの人と会えるような気がする。月が自分をあの人のもとへと連れていってくれる。そんな気がした。
 真っ直ぐな一本の道を見ながら吉田は呟いた。光は優しく吉田を包んでゆく。虫の鳴き声は聞こえず雨の匂いがつうんと強くなった。
 この年になって子どものようなことを考えてしまったなあと恥ずかしくなる。月の道だなんて譲が言いそうなことだ。
「ああ、そうだ。俺には譲がいる。」
 脳裏にすやすや眠る譲を思い出した。
 譲を見たときに決めたのだ。自分が譲を育てると。それが雪治への未練だとは分かっている。だけど一生報われないこの思いをどうにかしたかった。自分のどうしようもないエゴを譲に押し付けているだけかもしれない。だけど、もう自分には譲がいるのだ。最愛の人の血が流れている大切な譲が傍にいる。生半可な気持ちで決めた訳じゃない。守れなかったものを今度こそ守りたかった。
「しのぶくん」
 吉田はゆっくりと後ろを振りかえった。
「なんだい。譲。」
 しかしまだ君を思い出すのは譲が君とは違うからかもしれない。もう君はいないのだ。
「僕、今日の夕飯、月見うどんがいいなあ」
 後ろで眠そうに立っている譲は吉田の頭の上で浮かんでいる月を見ていた。吉田は月を見つめる譲を見てくすりと笑った。
「出前でもとるか。」
「やったあ!待ってうどん屋さんの電話番号取ってくる!」
 吉田は小さな譲の背中を見つめた。
 ぽっかりと浮かぶ月はいつまでも二人を照らしていた。







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