ブドウ



「いいよねー禄ちゃんは大人でさ」
 譲は何やら書き物をしている禄の背中を見ながらそう言った。座っている椅子が高いのか足が床につかないでぶらぶらと揺れている。ほのかに甘い香りがするのはストックしてあるブドウジュースを小さな客人が勝手に開けたからだろう。禄は書く手を休め低い唸り声をあげながら譲の方へと半分体を向けた。
「大人になりてぇの?」
 書き物もだいぶ進んだ。今日はここら辺で止めにしようか。禄はううんと1つ大きく伸びと欠伸を溢す。禄のライオンのような欠伸をみた譲は少し嫌な顔を見せた。
「あったりまえじゃん」
「なんでまた」
 禄は長時間座っていた椅子から立ち上がり、自分もグラスにブドウジュースを注ぎ譲の隣へと腰をかける。先程よりもブドウの臭いが増して甘い香りに包まれた。譲のグラスのブドウジュースはもうすでに空っぽになっている。譲は禄の問いかけに一瞬戸惑う振りを見せ、そのあとぷくぷくの頬っぺたにくっきりとえくぼを作った。
「しのぶくんを幸せにできるから!」
「…はあん」
 頬杖をつきながら禄はブドウジュースをちびちびと飲んでいく。甘ったるいブドウの味が口に広がった。子ども向けの味だ。目の前の屈託のないこの笑顔も子ども向け。子ども特有。まだまだそんな甘いだけの笑顔を浮かべているようじゃ大人にはなれやしない。禄はくつくつと笑い声を溢した。
「なんで笑うのさ!」
「いやー別に。」
 ぷうと膨らませた譲の頬は取れ立てのリンゴのように真っ赤っ赤。禄はぎゅーっと譲の形の良い鼻を引っ張った。すると、譲は苦しそうに口を金魚のようにパクパクさせる。「ひゃへひぇほう」と鼻声で何か言っているが上手く聞き取れない。禄はまた意地の悪い笑い声をあげた。
 早く大人になりたいなんて、一体全体この子どもは大人がどういうものなのか分かっているのだろうか。大人になれば愛する人を幸せにできるだなんて。大人はそんなに万能じゃないのに。
 ぷはっと吐かれる譲の息から部屋を覆う香りと同じ甘いブドウジュースの匂いがした。禄はようやく譲の鼻を摘まむのをやめてやった。赤く染まった鼻をさする譲。若干涙目になっている。
「ブドウジュースを飲んでるようじゃまだまだ子どもだな。」
「わっワイン飲むときの練習だよ!」
「なあ、知ってる?ワインってブドウじゃなくてナスからできてんだぜ。」
「え、うそ」
「うっそー」
 禄の下らない意地悪に譲はまたぷくうと頬を膨らます。しかし、すぐに何かに気付いたように禄の手元を得意気に指差した。
「あっでも禄ちゃんもブドウジュース飲んでるじゃん!」
 譲が指差した先にあるのは甘ったるい香りの透き通った紫色。
 禄はそれをちらりと見ると呆れたように笑みを溢した。
 ああ、確かに。大人にはなりたいと思うかもしれないなあ、とぼんやり禄は思った。
「僕もまだ子どもだもん」
 高い椅子に座ったって床に足はつくし、甘いものも昔よりかは食べなくなった。えくぼが浮かぶほど笑うことも少なくなった。頬も赤くならない。ブドウジュースも譲のためにストックしているもんだから、自分で飲むことはない。だけど、それだけじゃ大人にはなれないんだよ。大人っていうのは案外少ないんだよ。大人になるのは結構難しいんだ。
「…禄ちゃんは大人でしょ?」
 禄の言葉に譲は不思議そうに首をかしげた。きょとんした目に禄が映っている。その目は禄が大人だと信じて疑っていない。禄はその目にふっとまた笑いを溢した。
「まだ譲には難しかったな。」
「なんかムカつく。」
「大人、になったらわかんじゃねぇの?」
「ううー!」
 あははと笑う大きな子どもと頬を膨らます小さな子どもを甘いブドウジュースの香りが包んでいった。







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