幾何学的恋愛



「博士って今まで恋愛したことありますか?」
 今までの博士の実験結果をまとめながら禄は世間話をするように聞いた。しばらく二人しかいない実験室に沈黙が広がっていたがすぐに何かが爆発した音が禄の耳を貫いた。
「また失敗ですか、博士。」
「君が妙なことを聞いてくるから手元が狂った。」
「しっかりしてくださいよ。」
「私のせいなの?」
 もくもくと不思議な色をした煙が上がっているビーカーを片付けている博士を横目に禄は再度口を開く。
「で、博士は恋愛したことあるんですか?」
「だから何なのその質問。そんなこと聞いてどうすんの。君は。」
「別に。気になっただけです。」
 禄はペンを休めることなく、博士も困った表情を浮かべてはいるが別段ビーカーを片付ける手を止めることはなかった。小汚ない実験室にはペン先がノートを滑る音とガラスとガラスがぶつかる音のみが響いている。お互い特に話すことも無いため無言で自分のやるべきことに没頭していた。一瞬騒がしくなった実験室がいつもと変わらない静かな実験室に戻ろうとしていた。
「あるよ」
 水道から水が吹き出したのとそれは同時だった。あまりにも自然にそれは実験室に響いたものだから仕事に没頭していた禄は見逃してしまいそうになった。禄はピタリと今まで忙しなく動かしていたペンを止める。姿勢はそのまま顔だけをこちらに背を向けて立っている博士の方に向けた。
「え?」
「あるよ」
「何がですか?」
「恋愛」
「主語をいれて話してくださいよ。」
「だから、恋愛したことあるっつってんの。聞いてきたの君だろうが。」
「…ああ。いや、時間差過ぎますって。」
 ようやく理解した内容に禄は苦笑いを浮かべる。10分も前の事をいきなり言われたって超能力者でない限り理解できる人なんていないってば、と毒づきながら禄は博士が放った言葉を再度脳内で復唱した。
「ウソ」
「嘘じゃないよ。…なに、その顔。」
「え、いや。博士に限ってそんな人間っぽいことするだなあって。」
「私だって恋愛くらいするさ。」
「はあーん」
 まさか、博士が恋愛してたなんて。全く想像がつかない。禄はノートの隅に「博士が熱愛発覚?!」と書いてみるがあまりの字面の不恰好さに小さく笑いを溢した。しかし、博士が恋愛なんて。この博士が。きっとまともな恋愛じゃなかったに違いない。君は元素番号幾つ幾つの様に美しい。僕らは一千万分の一の確率で出逢うことが出来たとかなんちゃら理系にしか意味の通じないこと言ったりしてそう。もしかして相手は人間じゃなかったりして。
 そんな失礼な想像をして禄はくつくつと笑った。そんな禄を見て博士は怪訝な顔を浮かべて口を開いた。
「あの人は素敵な人だったよ。もう10年も昔の話だけど。私はイタリアに行ったんだ。ちょっと用事があって。そこであの人と出会った。綺麗な人だった。こんなに美しい人がいるものなのかって思うくらいに。」
「あの人って人間ですか?」
「当たり前だよ。…私があの人に惹かれるのは時間の問題だった…」
「まだ続くんですか。」
 これは長くなるなと長年一緒に仕事をしてきて身に付いた勘で禄はすぐに自分の仕事へと目を移した。実験以外の博士の話のつまらなさに勝るものはないと禄は思っている。自分も話のつまらなさは類を見ないのは理系ならではなのかどうかは分からない。理系でも話の面白い奴は面白いとするとやはり自分の話術のせいなのか。
 昔からそうなのだ。どこか自分の話は真面目でお堅い。論理的というか面白味がないだけかもしれないが。多分、人より無口なのも関係があると思う。人と話す機会が少なければ話術も上がらないのだろう。ほら、今だって全く面白くない。
「面白くない」
「博士に言われたくないです。」
「私はあの人にそう言われたんだよ。論理的。どうしてすぐそうやって現実的に考えるんだってね。」
 禄はあからさまに嫌な顔をした。まだ続いていたのか。しかし、博士はそんな禄の表情に気付くことなくペラペラ、ペラペラ喋り続けた。
「恋愛ってどうして数式のように答えは一つじゃないのかなって私は思ったよ。」
「はあ」
「けど、それが恋愛というものなんだろうね。」
「…え?」
 博士はうっとりと過去を慈しむような表情から一変どこか呆れたようなしかし優しい表情で禄を見た。
「答えは一つじゃない。きっとどんな結果になろうと全てが正解なんだよ。」
「…人とはちがくても、ですか?」
「ああ。勿論。」
 禄の頭の中に一人の男が思い浮かんだ。
 好きで、堪らなくなって。けれども人と違うことが切なく胸に突き刺さる。ぴりりと胸が痛む度に禄は自分のことが嫌いなっていくような気がした。
 博士はニコリと研究者らしい不敵な笑みで禄を見つめた。
「頑張ってね、禄君よ。」
「…はあっ?!」
 突然博士から飛び出した言葉に禄はいつにもなく顔を歪ませる。博士はそれを見て乾いた笑い声をあげた。
「訳わかんねぇ」
「若いっていいねえ」
 はあ、大量の溜め息が溢れた。これだから変人科学者の考えることは分からない。
 全く、不敵な笑みさえ浮かべたくなってしまうね。







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