▽バレンタインに浮かされて

 日付は2月15日。
 世間には一大イベントが終わった後の空気がゆっくりと流れ始めている。
 そんな中、俺はというと。
「・・・どうしよ・・・」
 そこのコンビニで買ったきれいな包装紙で包まれているチョコレートの箱を片手に呆然と立ち尽くしていた。バレンタインに男があからさまなバレンタインチョコレートを買うのでさえあんなに恥ずかしかったというのに、そのチョコレートを買った本人が15日にまだ持っているというのもだいぶ恥ずかしい。なのに、どうして、こんなことになってしまったんだろう。どうして、俺はわざわざ赤っ恥をかこうとしているのだろうか。事の発端は今から二日前のことである。
「はあーもうどこもかしこもあまーったるい匂いだらけですねぇ、由紀さん。」
「んなの、明日がバレンタインだからに決まってんだろ。」
 2月13日。俺はいつもと同じように学校の帰り道を同級生の清水健斗と歩いていた。周りは明日のバレンタインに向けてどこか浮き足立っているように見える。健斗の言葉通りどこもかしこも甘い匂いやら雰囲気やらが充満している。
俺は健斗のくだらない質問に適当な返事をしながらコンビニに入っていった。お馴染みの曲が頭上から鳴る。その後を追いかけるように再度ちんけな音が店内に響いた。
「そうなんですよねー由紀さん」
「なーんか小腹減ったな。ツナマヨおにぎり食べたい。」
「・・・由紀さん?おーい由紀さん。聞いてますー?」
 何か健斗が話しているがそれを無視しておにぎり選びに専念していると、後ろからいかにも演技らしい溜め息が何度も何度も聞こえてくる。
「冷たいなー。なんて冷たいんだろー。はーあ、せっかく俺ら付き合ってるのに。」
「けっ、健斗!おま、ばしょ、ばか!!」
 店内は夕方ということもあり混みあっていたため健斗の小さな声はどうやら聞こえていなかったみたいだが、べこんと健斗の頭を殴る。「いったー!!」という声がしたがそれは自業自得というもだのだ。と、いうかなんでこのばかはいきなりそんなことを言い出すのか。嘘ではないが、嘘ではないのだが、男同士で付き合っているなんていうことは滅多に外でいうものではないだろう。
「殴ることないだろ!」
「お前こそなんなんだよ!さっきから!言いたいことあんならはっきり言え!」
「由紀のチョコが欲しい!」
「ばか!!!!」
 二発目が健斗に飛んでいく。どうやらこいつは学ぶということを知らないみたいだ。
「だから、場所を考えろ。」
「うん。でもさ、俺別に高そうなチョコレートが欲しいわけじゃないよ?由紀が家庭科苦手なのも知ってるから別に見た目が悪くても味が悪くても構わないよ?由紀からの愛さえあれば。」
「誰も手作りチョコはおろかチョコあげるなんて一言も言ってねぇよ。つーか話を聞け。」
 俺はツナマヨだけ持ってレジに向かうと健斗は「ちぇー」と言いながら後ろからついてくる。全く、いくらバレンタインだからってこいつは浮かれすぎている。そもそもバレンタインは女が男にチョコレートやら何やらをあげる日であって決して男が男にチョコレートをあげる日ではない。他の人に何を言われようが俺の中ではそういうことなのだ。というか、男子高校生二人でバレンタインとかいくら付き合っているからといっても虚し過ぎるだろう。それに甘いシチュエーションなんていうのもこのバカと俺には似合わないのも知っている。2月14日はおとなしく男同士の俺たちはふんどしの日を祝っていればいい。
 と、最初は思っていた。14日に学校に行くとなぜかそわそわしていたり、いつも通りにコンビニに寄ってツナマヨを買って帰っていった俺を見送る健斗の顔を見るまでは。なんであいつはすぐになんでもかんでも顔に出すのだろうと思う。そんなおあずけを食らったチワワのような顔で見送られるとこっちも気分が良くない。何もしてないのに、というか何もしてないから悪いのだろうけど。だが、前日にバレンタインはしないときっぱり言ったのにそれでも期待をしていたのであろうあいつのことを思うとなんだか無性に可哀想に思えてきた。帰り際の健斗の無駄にかっこつけながら言われた「今年は本命チョコ、もらえると思ったのにな。」というのもあまりにも痛々しくて可哀想だった。だから、仕方ないのだ。帰ってきた道を引き返して例のちんけなメロディの流れるコンビニで俺がかわいらしいチョコレートを買ってしまったのは、どうしようもなかったのだ。
 俺は手にちんまりと収まっているチョコレートを見ながら溜め息を吐いた。因みに今は週に一回の健斗の委員会待ちである。今ならこのチョコレートを無かったことにすることも出来る。家に帰って食べてしまえばいいのだ。昨日はがっくりしていた健斗だったが、今日はもうすでにいつも通りに戻っていた。所詮、あいつだってそんなもんなのだ。「バレンタイン」というわけの分からないイベントに振り回されてそれが終われればいつも通りに戻る。俺ばかりがバレンタインが終わった翌日にまでこうしてうんうんと悩んでいるのは実に馬鹿らしいと言ったらありゃしない。もう、食べてしまおう。バレンタインなんかもう終わったのだ。コンビニでチョコレートを買ったのもなんかの罰ゲームだと思おう。
 俺は青色のリボンが可愛らしくついているチョコレートの箱に手をかけた。
「ゆっきちゃーん!委員会終わったよーん!」
 本当にこいつは残念なやつだと思う。
「・・・おかえり」
「あれ?何それ由紀が持ってるの。」
「・・・別に。なんでもねぇよ。」
「もしかして、チョコ?今日貰ったの?昨日渡さなきゃ意味ないじゃーん!」
 委員会から戻ってきた健斗は俺の手にあるチョコレートを指差しながらげらげらと笑い始めた。なんなんだ、こいつは。本当に。せっかく、人が馬鹿みたいに色んなこと考えながら買ったっていうのに。
 いや、違う。
 俺たちには「バレンタイン」なんていうイベントは合ってなかったんだよ。柄にも無くそういうことしようとするからこんな目に合うんだ。最初から、やらなきゃ良かったんだ、こんなもの。
 健斗の言うとおり、今日あげるチョコレートなんかに何の意味も無い。
 俺は、乱暴にチョコレートの箱を健斗に投げた。健斗は慌てながらも包みを受け取る。
「え、これ、由紀が貰ったんでしょ?いいの、俺なんかが」
「それ、俺が買ったやつ。」
「・・・え?」
「バレンタインに1つもチョコ貰ってねぇお前が可哀想だったから俺からの嫌がらせ。」
「・・・由紀?」
 俺はそれだけ言うとかばんを持ってさっさと靴箱へと向かった。健斗は未だに何が何なのか分かっていないらしくて、戸惑いながら後をついてくる。
 あーあ、ばからし。
 昨日までもチョコレートのあまったるい匂いはどこへ行ったのやら。今は二月の乾いた匂いしか鼻をつかなかった。
「うー、さみぃ。」
 ぴゅうっと木枯らしが吹きさらす。まだまだ寒さは続くらしい。どんよりとした雲が空を覆っている。俺は体を震わせながら帰路を歩いていく。健斗も珍しく静かだ。
「ねぇ、由紀」
 ようやく開いたと思った健斗の言葉はやけにしおらしかった。
「なに」
「ごめんね」
 健斗は隣でそう呟いた。
 つい、足が止まる。
「何が」
「チョコ」
「だから、あれはいや」
「違うでしょ」
 さっきまで静かだった健斗の声に若干怒気が混じった。
「はぁ・・・?」
「違うでしょ。これ、バレンタインでしょ。」
「だから、違うって。ってか、今日あげたチョコになんの意味もねぇっつったのお前じゃんかよ。」
「だから、ごめんねって言ってんの!」
 健斗に怒鳴られた瞬間、何かが切れた気がした。
 なんで、俺が怒鳴られなきゃならないんだよ。なんで俺ばっかり悩まなきゃならないんだよ。なんで、俺ばっかり、こんな思いしなきゃならないんだよ。
「おっれ、だって。」
 視界がぐにゃりと歪む。さっきまで怒ってた健斗の顔が慌て始めている。なんだよ、お前静かだったり怒ったり慌てたり忙しいやつ。なんでお前はそんなに素直なんだよ。そんなんじゃ、俺のほうがばかみてぇじゃんかよ。
「おれだって、いっぱいいっぱいだっつーの・・・。」
「泣かないで、由紀・・・?」
「初めて、恋人できて、わけわかんなくて」
 コンビニ入って、チョコレート売り場行っても女っぽいピンクだのハートばっかりでちゃっちゃと決めて帰ろうと思ったのに買うのに恥ずかしくないの選んでたら余計に時間かかったし、レジだって、店員のおばちゃんに笑われたし、家だって隠すの大変だったし。
「バレンタインとか、なんか、もう、浮かれて、お前が。」
「俺?!え、えー・・・」
 それでも、健斗のこと喜ばせたくて。
 チョコレートをあげたときの健斗の喜ぶ顔が見たくって。
「なのに、俺が、チョコ持ってたらすっげーばかにしてきて」
「う・・・それは、あの、由紀?」
 バレンタインだからって浮かれて。
 かっこ悪いな、俺。
「・・・チョコ捨てろ」
「は?え、ちょちょちょ由紀!由紀!待て待て待て!」
 健斗が持っているチョコレートの箱を奪いとろうと腕を伸ばしたら、勢いよく健斗がそれを上に持ち上げた。
「渡せばか!」
「嫌だよ!渡したら捨てんでしょ!」
「捨てねぇ!」
「嘘!嫌だよ!これ、俺のだもん!!」
「意味ねぇんだろ!ばか!」
「あれはやきもち!由紀がチョコ渡されてて俺の由紀なのにって!でも、俺のチョコだったら別!ぜってー食べる!食う!由紀からのチョコはたとえ由紀でも渡さないから!」
「はぁ?!ば、っかじゃねーの。」
 恥ずかしい宣言を大真面目に言ってる健斗を見ているとなんだか全部ばからしく思えてきた。バレンタインにチョコレートを買ってしまった自分も、チョコレートを貰ったと勘違いした健斗も、チョコレートの一つや二つでぎゃあぎゃあ喧嘩している自分たちも。
 俺はへなへなとその場にしゃがみこんだ。健斗もそんな俺を見ながら「やっと諦めた?」と聞きながら、俺の隣にしゃがみこんだ。
「・・・ごめんね、由紀」
「もーいいよ、別に。」
「ねぇ、チョコ、ありがと」
「・・・嫌がらせだっつったろ。」
「うん。ありがと」
「ばーか」
 健斗はいつもみたいな馬鹿丸出しの顔で笑いながら俺の頭を撫でてきた。健斗のでっかい手は冬なのにぽかぽかあったかかった。寒い二月だけなら撫でられるのも悪くない。
「ツナマヨ食べたい。」
「じゃあ、お返しに由紀ちゃんの大好きなツナマヨ買わせていただきますね」
「3倍返しな」
「えっ」
 バレンタインの雰囲気なんか懲り懲りだし、くそくらえとも思うけれど、お返しがもらえるのなら来年もやってもいいかな。



END





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