▽スケープゴースト

「行ってらっしゃい、アキ」


 まさか、この言葉が僕が聞いた弟の最後の言葉になるなんて思わなかった。「行ってらっしゃい」って言った方が逝っちまってどうすんだよ。笑えねぇよ。ばーか。言い様の無い怒りとただ増えていくばかりの形の無い虚無感に包まれながら僕は目の前に飾られた同じ顔の遺影をぼうっと見つめていた。
 弟と俺は一卵性双生児と言うものでつまり簡単に言えば同じ顔をした双子だ。今までの21年間ずっと同じ場所で同じ様に生きてきた。去年から今日までの1年間を除いては。
 去年の今日、外国科へ進んだ俺は約1年間アメリカへ留学していた。弟も同じ外国科へ進んだのだがまだ日本でやらなくちゃいけないことがあるといって日本に残った。そして、やっと長かった留学を終えて帰ってきた矢先に弟が死んだと聞かされたのだ。死因は交通事故。相手の車の信号無視が原因だ。弟が歩いていたところに猛スピードで突っ込んできたらしい。即死だった。と、警察だが検察だが分からないが偉そうなオッサンから聞いた。
 そのあとはあっという間だった。泣き崩れる母さんと満身創痍の父さんをなんとか立ち直らせて留学帰りだというのに葬式だのなんだのを全部僕が取り仕切り、あれよあれよと数日が過ぎていった。
 そして全てが終わった今、漸く僕は現実を見ようとしている。遺影の中の弟は僕が最後に見たときと同じ様ににこにこと笑っている。検察官に見せられた弟の顔とは似ても似つかない顔だ。真っ白い台のようなベッドに乗せられた弟の顔はそれは悲惨だった。一瞬誰だか分からなかった。思わず、違いますと答えたが見慣れたTシャツが黙って僕を否定した。

 線香の臭いが僕の鼻孔をくすぐる。その香りがあまりにも悲しくて僕は静かに涙を流した。ああ、ようやく悲しめるようになったのか。今までは葬式の準備とか色々慌ただしかったから泣いている余裕なんかなかった。僕は今まで流せなかった分を取り戻すように泣いて喚いて叫んだ。


「なんで死ぬんだよ。なんで一人で死んだんだよ。なんで僕を残したんだよ。ばか。アユのばか。ばか。」


 何処にも届かない雄叫びを吼え続けた。

 気付いたら、窓の外は真っ暗だった。どれくらい泣いていたんだろうか。二十歳を過ぎても泣き疲れる程泣く事ってあるんだな。どこか他人事のようぼんやりした頭で考える。窓の外には丸いお月さんと小さな星たちが輝いていた。静かな夜だった。泣くには充分すぎるくらいだ。またじわりと目尻が熱くなる。


「いい加減泣くのやめてくれないかな。」
「…だって」
「お前今何歳だよ。」


 21だけど、と答えかけたところで僕はかばりと体を起こした。なんだ、今の。誰だ。突然頭上から声が聞こえてきた。多分、空耳じゃないはずだ。だってちゃんと会話したし、何よりも今の声は散々聞いてきた誰よりも僕が知っている紛れもない弟の声だった。だが、当たり前だが辺りをキョロキョロと見回しても弟の姿が見える筈もない。それどころか人影すら見えない。前も後ろも、右も左も僕以外の人間は誰もいなかった。


「…空耳?」
「違うってば」
「疲れてんのかな」
「どちらかといえば憑かれてる?」


 空耳は未だに僕の頭上でぐわんぐわん騒いでいる。何上手いこと言ってんだよ。全然上手くねぇよ。先ずこの状況で上手いこと言われても笑えないし。だけど、こんな状況でも下らないことを何ともないような顔をして言う奴を僕は知っている。僕は真っ暗な部屋の中独り、恐る恐る頭上を見上げた。


「よ。泣き虫お兄ちゃん。」


 案の定、というのがこの科学技術が発達した21世紀で使うのは正しいのか知らないが、案の定僕の頭上にはふよふよと足の無い弟が宙に浮かんでいた。
 僕は見知った顔にも関わらず喉の奥から小さく「ひ、」と情けない悲鳴を溢した。弟はすかさずそれを聞くと生前していた同じ顔でケタケタと笑っている。なんだこりゃ。


「アキ、ビビり過ぎ」
「いや誰だってビビるでしょ、この状況は。」


 自慢じゃないが僕は幽霊、妖怪といった心霊現象とは無縁の人生を歩んできた。だから、見たこともないそういう類いは怖いと思うことはあっても信じたりはしていない。なのに、今のこの状況はなんなんだ。信じていないものがこうもあっさり信じなくちゃいけなくなるだなんて。そもそも初めての心霊現象が弟とか笑えない。笑おうと思わない。しかし、確かに僕の目の前には幽霊の弟がいてそれが現実だ。折角現実を見ようとしたのにその現実がこれなんてあんまりだ。
 僕はチラリと弟を見て、起こした体を畳の上に倒した。すると、真上を弟がふよふよ飛んでいるという可笑しな状態になった。僕ははああと深い溜め息を吐いた。僕の口からは大量の息が出ていく。今までこんなに溜まっていたんだな。


「本当にアユなのか?」
「アキだと思う?」
「思わない。」
「じゃあアユだね。」


 アユはふわりふわりと茶色い天井を浮遊していた。アユからは少しばかりの茶色がちらちらと見えた。


「お前本当に幽霊なんだな。」
「死んだからね。」
「どうやってなったの。」
「死んだら分かるよ。」
「ケチ」
「へへ」


 僕はゆっくりと目を閉じた。ひんやり冷たい空気が僕の頬を撫で上げる。多分、アユが傍に来たのだ。アユが隣にいるといつもポカポカ暖かかったのに今はこんなにも冷たい。目を閉じてしまったらアユがどこにいるのか何となくでしか分からない。


「僕、今回の一件で双子の勘とか信じない。」
「なんで?」
「だって、アユが死んだ時間、僕何してたと思う?」
「さあ」
「飛行機で寝てた。アユが死んだなんて分かんなかった。これっぽっちも、分かんなかった。」
「うん」
「アユにいっぱいお土産買ってきたんだよ」
「うん」
「家に帰ったらいっぱい話そうと思ったんだよ」
「うん」
「なのに、家に帰ったら、アユ、いなかった。」
「…うん」


 僕を冷たい空気が包み込んだ。


「スケープゴートって知ってる?」
「…替え玉、みたいな」
「そう。責任転嫁みたいな」
「それがどうしたの」
「アキは僕のスケープゴートになってよ」
「いいよ」


 ゆっくりと目を開ける。
 斜め上辺りに僕と同じ様に大の字に寝そべるアユがいた。


「僕の死んだ不満の解消を図る対象になってくれよ」
「うん」
「僕の呪いの対象、アキ」
「構わないよ」


 少し上を見上げるとそこには変わらない星空が広がっている。
 僕の右手のひらにそっとアユの左手のひらが置かれる。僕がぎゅっとそれを握るとふんわりと冷気だけが僕の手のひらに広がった。


「そしたら、僕はアユとずっと一緒に居れるだろう?」


 アユのシんでしまった瞳に僕が映りこんだ。遺影のアユと同じ顔で笑っている僕が。


「そうだね。ずっと一緒だねアキ。」


 僕は君のスケープゴート。


「ずっと一緒だよ」









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