▽電波少女

 少女は今日も恋い焦がれていた。ぼんやりと映る薄い液晶の向こうの世界に。
 向こうの世界は少女がいる世界と違って色んなものが生きている。無機質なこの世界と違って綺羅綺羅と輝いていた。少女はそんな世界で生きてみたかった。こんな狭い電子の世界ではなく0も1も関係ない所で羽を伸ばしたいと思っていた。
 しかし、少女がいくら「ここから出して。」と叫んだって、液晶を叩いたって少女は電子。向こうの世界に聞こえることはなかった。だから少女は何も出来ずに黙ってこの憎たらしい邪魔な液晶から向こうの世界を見ていることしか出来なかった。


「いつかここから出てやるの。ここから出て私は自由になるのよ。」


 いつしか、この言葉は少女の口癖になっていた。少女の周りには誰もいないので、誰も可笑しな少女の口癖を笑うものはいなかった。

 そんなある日のことだった。
 0と1が羅列する少女の世界が急にとてつもない大きな空間に変化した。なんでも、向こうの世界で広大な範囲に及ぶメディア改革が起こったらしい。
 勿論、その変化は少女にも直ぐに影響を及ぼすことになった。先ず、少女の容量が増えたこと。それから、今まで出来なかったジャンプが出来るようになったこと。そして、空間から空間へ移動することが可能になった。このような変化を少女が向こうの世界へ行くチャンスにしないことはなかった。少女は何時にもない早さで立ち上がり、空間と空間の狭間へと向かった。


「遂に、遂によ!遂に、私は向こうの世界へ行けるのよ!この空間を渡っていけばきっと向こうの世界へ飛び出せるはず。」


 少女は興奮した様子で空間と空間の狭間を見つめた。狭間に沢山の電子が真っ暗な闇へと落ちていくのが見える。それを見た少女はぶるりと小さく身震いをした。もし、ここへ落ちたら一堪りもないだろう。少女の小さな体は引き裂かれ向こうの世界へ行くことはおろか、元の姿に戻ることさえ出来ない。しかし、今ここで諦めるわけには行かないのだ。少女は手のひらをぎゅっと握りしめ、最近出来るようになったジャンプをするため勢いよく地面を蹴りあげた。
 空間から空間へ。一瞬、大量の電子たちが少女の頭上を通り、包み込んだと思ったらいつの間にかに自分がいた空間とは違う空間に少女は立っていた。
 しかし、やはり空間から空間へ移動したことに変わりはなくここは向こうの世界ではない。少女はまた空間と空間の狭間を探し移動することにした。移動を続けていれば向こうの世界へ行けると信じて。
 少女は幾度となく飛んで、飛び続けた。青で彩られた空間やはたまたカラフルな空間、それにとてつもなく小さい空間や長細い空間にも少女は飛んでいった。そして、どの空間からも向こうの世界が見えた。その度に少女の小さな胸は切なくきゅうと掴まれたような感覚に襲われた。切なく、だけども愛おしい感覚が少女を余計に向こうの世界への憧れを強くする。だから、少女はただ無心で地面を蹴りあげ、どこまでも続く闇を飛び越え、移動し続けた。早く、あの人に会いたくて。


「…ここが、きっと、最後ね…」


 電子がカラフルに流れる空間を背にして少女は目の前に広がる空間を睨み付けた。その空間は今まで少女が見てきたどの空間よりも大きかった。そしてその大きさに比例するように狭間も深い闇を腹の中に隠し持ちながら少女に向かって大きな口を開けていた。流石の少女も今まで見たことのない深い闇にじり、と後退りをする。こんなの飛び越えられるのかしらと不安が少女を包んだ。じわりじわりと不安の電子は少女を侵していく。少女はぺたりとその場に座り込んでしまった。


「無理よ、無理よ。こんなの飛び越えられないわ。酷いわ、あんまりよ。私はただ向こうの世界へ行きたいだけなのに。」


 とうとう少女の両の目からはぽたりぽたりと涙が溢れ始めた。溢れた涙は広がる電子の上に落ちては溶け、落ちては溶けていく。わあわあ泣き声をあげる少女。そんな少女を見かねてなのか、突然、少女のいた空間が赤く輝き出した。


「…なあに。」


 突然のことに驚いた少女は薄い液晶を見上げ、ああ、と感嘆の声を漏らした。
 薄い液晶の向こうにあったもの。それは少女がずっと恋い焦がれていた赤い東京タワーだった。
 向こうの世界で東京タワーが赤く光る時間になったのか薄い液晶を通して東京タワーの赤い光が綺羅綺羅と少女を照らした。赤い光に照らされた少女はいつの間にかに泣くのをやめてあの真っ暗な狭間へ向かって歩いていた。小さな手のひらは恐怖を隠せずぶるぶる震えている。


「けれど、ここで諦めるわけにはいかないの。」


 少女は両足にぐっと力を込めて今までで一番大きなジャンプをした。
 向こうの世界へ行くために、東京タワーに会うために。

 ぴょーんと少女が飛んだ先は真っ赤に染まっていた。きらきらと目映い光が少女を囲んでおり、何となくこそばゆい。驚いて自分の腹を見てみるとそこにはちいちゃな人間たちがちょこちょこと歩いていた。それを見て少女はクスクスと笑った。


「会いたかっただけなのに、まさか、貴方の中に入っちゃっただなんて。」


 少女の周りには沢山の赤い電子たちがふよふよと浮かんでいる。結局、少女は向こうの世界へ行くことは叶わなかった。だが、少女は嬉しそうに赤い電子たちの間を歩いていく。
 少女の目の前にはもう薄い液晶はなく、小さな東京の街が広がっていた。









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