しっかりと戸締りがしてある扉に鍵を差し込みガチャリと開ける。きちんと言いつけは守っているんだな、と吉田は一人小さな笑みを溢す。 ドアを開けると小さな空間に乱雑にビーチサンダルが散らばっていた。吉田はそれを綺麗に並べて端に寄せる。その隣にビーチサンダルより一回り大きい革靴を並べておいた。 リビングへと続く短い廊下を進み2枚目の扉をがちゃりと開ける。真っ暗であるはずの部屋には微かな橙色が隙間から漏れていた。 吉田はその隙間へと静かに近づいて行きリビングと隣接している寝室の襖を開ける。すると、中にはシングルベッドの上ですやすや眠る少年の姿があった。吉田は寝ている少年を起こさないように顔を覗く。なんて幸せそうな寝顔なんだろうか。思わずふふ、と声が溢してしまった。少年は吉田の声に気付いたのか眠っていた顔に眉間を寄せ眠そうに瞳を開けた。 「…しのぶくん…?」 「ああ。すまん、起こしてしまったね。」 「んーん…しのぶくんに会いたかったからいい」 「そうか。」 「おかえりなさい」 眠そうにぽつりぽつりと言葉を紡ぐ少年に吉田は優しく微笑む。風呂上がりにドライヤーをかけなかったのか寝癖でぐしゃぐしゃになった少年の頭をゆっくり撫でてやると少年は気持ち良さそうに目を閉じた。 「ただいま」 吉田の低く優しい声に少年も満足そうに微笑んだ。 「また、家で仕事するの?」 「ああ。」 「ぼくも傍にいてもいい?」 「寝てなさい。」 「いやだ。しのぶくんの近くがいい。」 「譲…」 眠そうな顔をしながらごねる少年に吉田は困ったように眉を下げた。少年は困った顔をしている吉田に更に追い打ちをかけるようにすがり付く。そんな少年に吉田は小さく溜め息を吐き、渋々白旗を挙げた。 「1時間だけだぞ。」 「しのぶくんだいすき」 「馬鹿」 少年はにっこり笑うと寝室を後にする吉田の後をお気に入りの毛布片手に付いて行く。吉田は皺のよったYシャツを脱ぎ捨て部屋着に着替えた。そして使い古した会社用の鞄からノートパソコンとたくさんの書類を引っ張り出す。本当は会社でやるべき仕事だが少年が家で待っているため余った仕事はこうして持ち帰ってきてやっている。所定の場所に腰を降ろすとコーヒーとホットミルクを持って少年も隣にちょこんと座った。 「ありがとう」 「どーいたしまして」 「譲。毛布なんか持ってきて。やっぱり眠いんじゃないか?」 「眠くないってば。」 「眠らないと背が伸びないぞ。」 「だからホットミルクを飲んでるんじゃない。」 「成る程。」 吉田と少年しかいない部屋にカタカタとキーボードを打つ音が響き渡る。少年は滑るように動く吉田の指を見ながらうつらうつらとしていた。重くなってきた少年の体は徐々に徐々に吉田の方へと傾いていく。 そんな少年に気付いた吉田は呆れたように微笑んだ。 「ベッドまで連れていってやろうか。」 「そしたらしのぶくんも一緒に寝る?」 「いや。まだ風呂に入ってない。」 「じゃあやだ。」 少年は頑なに吉田から離れるのを嫌がった。こうなったらこっちが何を言おうと言うことを聞かなくなる。吉田は諦めたように少年を自分の膝の上に寝かせた。 「…邪魔?」 「なにが」 「ぼく」 「いや。そんなことはないよ。」 「…ん」 吉田は片手でパソコンをいじりながらもう片方で膝で眠る少年の背を撫でてやる。 「どうしていつも寝ないんだ。」 「しのぶくん待ってる。」 「俺は待っていなくとも帰ってくるぞ。」 「だから」 「ん?」 「しのぶくん、いつもちゃんと帰ってきてくれるから。ちゃんとおかえりって言いたいの。」 少年はそういうと恥ずかしそうにへへっと笑った。 吉田もまさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったため照れ臭くなり少年から顔を背ける。 「だったらもう少し早く帰ってきた方がいいな。会社をクビになるかもしれんが。」 「えっ」 「…だったら、9時を過ぎたら寝なさい。」 「…それじゃあおかえりがあ…」 悲しそうな表情の少年に吉田はははっと笑った。 「気持ちだけで充分だ。ありがとう、譲。」 いつも俺がこの家に帰ってくるのは君がこの家で待っていてくれるからだよ。 ただいま |