▽彼女

 眠い目を擦って辺りを見回すとそこは一面の闇だった。彼女は今度ははっきりと目を覚まし、覚束無い足取りでふわりと軽い体を持ち上げた。かつん、かつんと高いハイヒールで器用に見えない道を歩いていく。かつん、かつんと聞こえない筈の足音が彼女の耳に煩わしく響いた。
 しばらく暗い道を歩いていくと真っ暗な闇の中にぽつんと一つ小さな光が四角く彼女を待ち構えている。彼女は一片の迷いも見せずにその四角い光に向かって歩みを進めた。彼女が近づく度に大きくなっていく四角は彼女が目の前に来る頃には彼女の頭の天辺から腰辺りまでの大きさになっていた。それは先程彼女が目指していた光ではなくまるで一つの窓枠のようであった。
 窓枠の外には彼女がいる闇ではなく明るい世界が広がっている。彼女はそれを一瞥すると慣れたようにニコリと笑顔を自らの顔に張り付けた。


「おはようございます。今日は○月△日木曜日。只今、6時30分でございます。」


 彼女がそう告げると、窓枠の向こうからにゅっと無精髭を生やした眠そうな顔をした男が現れた。


「…おはよう、ナツ。今日の予定はなんだっけ…。」
「今日の阿部 義人さまのご予定は7時20分出社、8時20分に着き、8時30分から朝会、9時30分から会議、11時00分から外回り、そのあと…」
「分かった、分かった。じゃあ、あと10分寝ていられるな。」


 窓枠の向こう側にいる男は欠伸をするとまた布団の中に入っていった。彼女は男がベッドに入っていくのを見届けながら最後に男が言った言葉を受け取った。ウィーンと彼女の頭の後ろの方から機械音が聞こえてくる。これは彼女の中にあるパソコンの計算機能が起動した音である。彼女は男に言われた通りにあと10分寝ていられるかの計算を始めた。


「ダメです。起きてください。今から10分寝られますと会社に到着しますのが、8時40分となり朝会に間に合わなくなります。」
「…煩いな…分かったよ、起きればいいんだろ。朝御飯頼んだよ。」
「かしこまりました。本日の朝食はトースト2枚、バター少々、コーヒー一杯でございます。」


 男は面倒臭そうに布団から体を持ち上げ、彼女が男の朝食のメニューを言い終わらない内に彼女は乱雑に男に掴まれ、男が寝ていた部屋から台所へと連れて行かれた。
 運ばれている間に彼女はまた新たなパソコンを開き、台所にところせましと繋がれている小さな機械たちに男の朝食を作るように指示を出す。その命令を受け取った機械たちは彼女の指示通りにトーストを焼き、バターを塗り、お湯を沸かしコーヒーを男がスーツに身を包みあげると同時に作り上げた。


「義人さま、朝食の準備が出来ました。」
「はいはいっと。なあ、ナツ、この髪型どう思う?」


 ことりと小物が散らばった小汚ない洗面台の上へと彼女は置かれ、いつもと変わらない髪型をした男の姿を見せられた。すると、彼女は今度はカメラモードに切り替える。そして、パシャリと目の前で髪の毛を整える男を撮影し、直ぐ様男の髪型の全国平均を取った。彼女は結果を確認するとまたニコリと微笑んだ。


「とても素敵だと思います。」
「大丈夫かな。」
「はい。田中 奈津さまも気に入る髪型でございます。」
「そうか。」


 男は再度ちらりと己を鏡に写し、満足げに頷いた。そのまま、ダイニングへと着くと彼女は机の上に置かれる。彼女の隣には美味しそうな朝食が並べられていた。男はまず機械が精密に煎れたコーヒーを一口飲んだ。そして、彼女に向かって「ナツ、新聞。」と告げる。彼女はそれを聞くと直ぐに朝刊へと姿を変えた。
 出社まで10分なったところで彼女は朝刊から今までの彼女の姿へと戻った。


「義人さま、出社10分前でございます。」
「もうそんな時間か。」


 男は彼女の顔を確認し、食べ終えた食器を後にして立ち上がり、同時に彼女は機械たちに今度は片付けるように信号を送る。男も準備が整ったらしく彼女をYシャツの胸ポケットへとしまい込んだ。


「じゃあ、行こうか。ナツ。」


 7時20分、今日も時刻ぴったりだ。彼女は満足そうに男の胸の中で微笑んだ。









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