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 ポツリポツリと溢れ落ちる悠馬くんの不安な色をした言葉がじんわりと僕の肌に染みていく。
 初めて悠馬くんの本当の気持ちを聞いた気がする。悠馬くんはいつでも自分の感情を隠してしまう。ふんわりとゆっくり空気に馴染ませてしまう悠馬くんの気持ちを見ることは中々できない。負の感情は特にそうだと思う。けれど、彼はそういった自分の感情を自ずから隠している訳じゃない。知らず知らずの内に見せないようにしているんだろう。だから余計に彼の心の変化は誰にも分からないのだ。
 けれど、今は違う。
 拙いけれど彼は今誰にも見せたくない筈の心の内を話してくれている。誰かに話す機会なんて作らなかったために拙くなってしまった言葉を。そして、僕はそれを聞いている。彼の奥底に隠れていた感情を見ている。彼が隠してしまいたい感情に触れている。無意識に隠してしまうくらいの感情を吐き出させてしまったことに僕はどうしようもなく情けなくなった。僕の所為で悠馬くんは辛い顔をしているんだ。僕の所為で無理矢理悠馬くんの心を抉じ開けてしまった。
「学校始まってすぐの頃さ、お前、泣いてただろ?」
 悠馬くんがゆっくりと話し始めた。
 学校が始まってすぐの頃。忘れかけていた記憶が巻き戻される。
 入学式が終わって、2、3日した頃だ。沢山の不安を抱いたまま知らない所に放り出された僕は何とも言えない恐怖に包まれていた。右も左も分からなくて、孤独でどうしようって思っていた。そんなタイミングでお昼ご飯を忘れてしまった。仕方なしに訪れたのは今はもうお馴染みの購買だった。案の定パンの争奪戦が激しくいち早く戦線離脱した僕に残されていたのは無惨に焼きそばがはみ出している焼きそばパンとぐちゃぐちゃになったたまごサンドだけだった。僕はその二つのパンを見て、その無惨な姿が当時の僕と同じ様に見えてしまった。周りに揉みくちゃにされてぐちゃぐちゃになって、結局は残り物になっている姿が滑稽で、物凄く惨めで知らず内に涙が溢れていた。そしてそんな場面に悠馬くんは居合わせてしまった。
「購買の前…で?」
「そうそう。購買の前。立ち尽くしてたからなんだろうって思って行ってみたら泣いてて。」
「…」
「そんときにお前の泣いてる顔見て、クラスが同じだけで話したこともなかったのにさ、あのときもすげぇ不安になった。」
 悠馬くんはそこまで話すと、はあ、と溜め息を一つ吐き、僕の方に困ったような表情を浮かべながら笑った。眉を八の字にして弱々しく笑う悠馬くん。ハハッと笑う声でさえどこか頼りない。いつものようなお日様のような眩しくて明るい彼の笑顔の面影はどこにもなかった。
「なんでだろうな。お前のそういう顔見ると放っておけないんだ。」
 購買で残された二つのパンを見ながらポロポロ涙を溢す僕を見ておばちゃんは訳が分からなそうにオロオロとしていた。おばちゃんの困りように遂に関係のない人に迷惑をかけてしまったと僕の涙は余計に溢れだし止まらなかった。そんなカオスな状況を助けてくれたのが言わずもがな悠馬くんだった。悠馬くんも購買にパンを買いに来たらしく、購買の前で立ち尽くしながら1人泣いている僕とどうすればいいのか分からず慌てているおばちゃんをみて驚いただろう。しかし、悠馬くんはそんなひどい有り様の中僕の手を引っ張ってくれた。泣き止まない僕にぐちゃぐちゃになった焼きそばパンをくれた。その時はまだ分からなかったが、自分の大好物をくれたということは僕を必死に慰めようとしてくれていたのだろう。そんな彼の優しさに僕が惹かれないことはなかった。
「悠馬くん…」
 僕は小さく悠馬くんの名前を呼んだ。すると、悠馬くんは僕の頭を撫でるのを止め、「ん?」と俯く僕の顔を覗きこんできた。まだ記憶に新しい彼との思い出を思い返して僕はああ、と納得する。ああ、分かった。彼は無意識に自分の気持ちを隠していたんじゃないんだ。彼は、悠馬くんはただ本当に純粋に優しい人なんだ。
 撫でられた部分がまだほんのり暖かい。
「ごめんね…心配ばかりかけて…」
 涙が込み上げてくるのをぐっと堪えて悠馬くんを見た。悠馬くんは僕の言葉が思いもよらなかったのか、切れ長の眠そうな瞳を目一杯開けて同じ様に僕を見ている。そして、すぐにさっきよりも明るい顔で笑った。いつもならその笑顔を向けられたら飛び上がるほど嬉しいのに。今は切ないよ。
「謝んなよ。別にお前が悪い訳じゃねーんだからさ。」
「…でも、」
「大丈夫だから。いいんだよ。」
 そうは言われても、簡単に納得できるくらい僕も単純じゃない。段々頭は下を向いてしまって、視界は薄茶色の砂浜で一杯になってきた。あーあ、また、泣いちゃいそう。うじうじ、うじうじした気持ちが顔を出し始めかけたとき。今まで下を向いていた僕の顔がグイッと上を向かされた。
「ああ、もう。ニィーってやってみろ。」
「へ、へぇ?」
「ほら、ニィー!」
 悠馬くんに半ば無理やり頭を掴まれ、いきなりニィ―っとやれ、と言われて訳が分からないが、悠馬くんに言われたことには一応従うのが僕。憂鬱な気持ちに押し付けられて上手く上がらない頬の筋肉をなんとか上げてみる。素直じゃない僕の頬っぺた。自分の顔がどうなっているか見ることは出来ないがひきつった両頬がぎこちない。けれど、悠馬くんはそんなぎこちのない笑顔でも満足したのか、自然な、いつものニカッとした笑みを見せた。
「ほら、やっぱり、笑ってた方が良いよ。」
 ドキン、と胸が鳴る。
 せっかく、無理矢理持ち上げた頬がゆるりと下がった。
「……ありがと」
 ああ、やっぱり君は優しい人。
「どういたしまして。元気出たか?」
「うん」
「よしっ!じゃあ泳ぎに行こうぜ!翔平も待ってるし」
 先に立ち上がった君を追いかけるように僕も立ち上がる。カッと射すような太陽が少し痛いけど、今はもう気にならない。だって、目の前に太陽よりもっと、もっと眩しい君がいるんだもの。
「うんっ」
 もう気分の悪さもどこかへ行ってしまったみたいだ。
 僕は裸足のまま暑い砂浜を駆け出した。



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