〜 28 〜
そしてやってきた、翌日。本当の本当に、今日が最後だ。昨晩からバタバタと動き回っていた、アイリスとホームズ。事情を聞くと、どうやら今度は“こっち側”の準備を進めていたらしい。成歩堂と寿沙都とは完全に別行動になり、ホームズは単独、アイリスとユリアは、昨日ぶりの《バッキンガム宮殿》の庭園に来ていた。
女王陛下と共に、法廷の様子を見守る3人。開廷早々、検事席に立つ亜双義が「どのような重い処分も受けると誓った」と言い放ち、ユリアが眉をひそめた。今回の判決がどう動こうとも、人に刃を向けた事実で亜双義は裁かれる。ユリアは胸の奥に鉛のような重みのある圧力を感じて、小さく息を吐いた。
審理が続くにつれて、“真相”は明らかになっていく。亜双義がグレグソンに切りかかったのは事実だが、殺しまではしなかったこと。そして真犯人は、“国際科学捜査大討論会”のために10年ぶりに倫敦へ渡ってきた東洋人“慈獄政士郎”、その人であると。それと同時に、バンジークスの疑いも晴れて、《無罪》となった。だが、それに安堵したのも束の間、亜双義は尚も、《死神》の正体が“バロック・バンジークス”であると豪語し続け、審理を続行させた。まだまだ、長くなりそうだった。
「ミスター・アソーギの執念……、《死神》に通ずるものがありますね」
女王陛下が、香茶を口に流し込んで言った。しかし、《死神》の正体については、ユリアもずっと気になっていたことだ。《死神》はバンジークスではない。確実に《無罪》だろう。亜双義がバンジークスとの正面衝突を望んでいる様子を見て、ユリアは身を乗り出すくらいの思いで、その審理を見守った。
そうして、“真相”に近付いていく。《交換殺人》の取引が出来た人物。それから、グレグソンの言っていた、《プロフェッサー》事件に関する“捏造”。後者に至っては、クリムトの死で、あんなにも心を痛めていたバンジークスが指示を下すはずがない。それに、その事件の“担当検事”は、当日に“交代”したのだ。若き日のバンジークスが、捏造品を証拠品として受理していた可能性があまりにも大きい。ユリアの頭の中にも、《死神》という“組織”の首謀者、その人物が浮かんだ。成歩堂がその名前を叫んで、その人差し指を突きつけた瞬間、女王陛下の顔つきが、激変した。
「ハート・ヴォルテックス……」
静かな憤りを見せた女王陛下が、持っている扇子を握りしめた。事実を認めないヴォルテックスが強制的に審理を中断させようとして、亜双義が苦悶の表情を浮かべている。全ての黒幕の可能性がある人間によって、力技でその幕を閉じられようとしたとき、亜双義は悲痛な叫びを上げて、検事席の台に拳を叩きつけた。
(終わってしまうの……?)
この審理、終わらせてはならない。今終わらせてしまえば、ヴォルテックスはその間に逃亡し、行方を暗ませてしまうだろう。絶対によくない、そう思ったときだった。
『待った!』
よく通る大声が大法廷中に響き渡り、全員の注目を集めた人物がいた。法廷の扉の前にいる人物……シャーロック・ホームズだ。
「ホームズくん、かっこいー!!」
身を乗り出してアイリスははしゃぎ、女王陛下はホームズを見て、面白そうにしている。ユリアはただ驚きに目を見開いて、法廷を見つめていた。ホームズの言葉により、審理は続行。亜双義の味方をしている傍聴人の声に、ユリアはなんだか胸が熱くなる思いだった。ホームズはヴォルテックスを1秒たりとも逃さないように、証人として必要になるであろう、御琴羽悠仁を呼んでいたようだ。用を済ませたホームズは、設置されている中継機に向かってウィンクを投げかけ、退廷した。それに気付いた3人が、顔を見合わせて笑った。
証言台に立った御琴羽と、なぜか着いてきたマリア・グーロイネ。そのふたりの証言によって、ワトソンが《クリムトの解剖記録》に“捏造”していたことが発覚。それでも、亜双義は、バンジークスを《死神》として告発し続けている。本当に、何かに取り憑かれているかのような勢いで、ユリアは眉をひそめながら亜双義を見つめた。
『……亜双義。目を覚ますんだ。…《真実》は、その目に一点の“曇り”があっても、捉えることはできない。おまえの目は……今。憎しみで曇っている』
成歩堂のその言葉を聞いて、亜双義は初めて目を覚ましたような、そんな表情をしていた。あらゆる立証を行って、“捏造はなかった”と言い逃れをするヴォルテックス。亜双義は、その間に意を決していた。“異議あり!”という亜双義の声が、初めて、《真実》を“追求”するものに変わったのだ。そうしてようやく、バンジークスと亜双義の立つ場所が、同じになった気がした。
亜双義玄真が《プロフェッサー》だと疑われても、“沈黙”を貫いていた理由。それこそが、今回の事件の“真相”に繋がる。証言台に立ったハリー・バリーケードとエブリデイ・ミテルモンの証言によると、亜双義玄真はあの夜。“殺人鬼”として《有罪》を認めるかわりに、《脱獄》を約束する、という《取引》が英国司法と行われていたそうだという。亜双義玄真が死ぬ前夜に持っていた《亜双義文書》。それについて尋問を行っている際に、ふと、ユリアは思い当たることがあって訝しげに眉をひそめた。
「《緋色》の……洋墨……」
記憶違いでなければ、クリムトの《解剖記録》に記載されていたものだ。玄真が言っていた《武器》、そして、“遺書”。ユリアはなんだか“嫌な予感”がしたが、口には出さず、審理の行く末を黙って聞いていた。しかし、そこで成歩堂が《緋色》の洋墨はクリムトが使っていたものだと立証したことにより、ユリアの“嫌な予感”が少しずつ、形成されていった。
その夜、玄真が言っていた“遺書”が本当に《武器》なのであれば、また違った見え方が出来る。成歩堂によってその“遺書”はクリムトのものだと立証されたとき、ユリアの“嫌な予感”は見事、的中した。クリムトは“殺害”されたのではなく、“自害”を選んだ可能性が生まれた。だが、その“遺書”は、一体どこへ行ったのか。そして、その“遺書”には、何が書かれていたのか。その遺書に眠った《巨大な秘密》。成歩堂が声を上げて目を見開いたとき、ユリアもひとつの答えに辿り着いて、思わず声を上げた。
(…まさか……)
『……何を言うつもりだ…』
バンジークスが肩で息をしながら、成歩堂を弱々しく睨みつけた。バンジークスもきっと、気付いたのだろう。
『クリムト・バンジークス卿の“遺書”。そこには、おそらく……《告白》が書かれていたはずです。殺人鬼、《プロフェッサー》……その、“正体”が!』
ユリアは震えながら自身の手を握った。心臓が早鐘をうち、指先はどんどん冷たくなっていく。
『《プロフェッサー》の……正体を“告白”ということは、つまり……!』
過呼吸により、顔面蒼白になったバンジークスが、わなわなと震えている。
『……10年前、倫敦を震撼させた《プロフェッサー》と呼ばれた男。5人の貴族や王族の命を奪った、その“殺人鬼”の正体は……亜双義玄真ではなかった。……その、5人目の被害者と考えられていた人物……
クリムト・バンジークス卿だったのです!』
ユリアは、目を固くつむって、顔を逸らした。大法廷の様子が映し出された映像からは、バンジークスの悲痛な雄叫びが響き渡る。知っていなければ、まだ幸せだったかもしれない。でも、身内に近いところにいる人間が、目を背けてはならない。もしそれが《真実》なのであれば、当然、彼の行いは、肯定してはならないものなのも事実。しかし、あれだけクリムトのことを尊敬していたバンジークスのことを思うと、いたたまれない気持ちになった。ユリアの震えた肩に、あたたかい手が添えられた。
「ミス・ミルトン。顔を上げてください」
ユリアが取り乱しているうちに入室していたのだろう、ホームズが真横に立っていて、ユリアはそれを見上げた。
「バンジークス卿にとっても、貴方にとっても、つらい話でしょう。しかし、悲しみに閉ざされてはいけない。まだここからなのです。」
「……はい…」
映像に映されたバンジークスの顔は、悲しみに暮れて、くしゃくしゃになっていた。右手で、自身の胸についている“検事章”を握っている。それから、バンジークスは、少なからず兄・クリムトを疑っていたことを語り始めた。《プロフェッサー》が犯行を重ねていた時期、クリムトの様子がおかしかったということ。でもそれは、ほんの一瞬だけだった。クリムトの恩師が殺された瞬間、クリムトの犯行ではないと気付いて、バンジークスは兄を疑うことをやめたのだそうだ。その発言は、法廷中を更に、“深い悲しみ”の渦中へ沈めた。
自身がやってきた行いを指摘されて居心地を悪くしながら、なんとかして審理を終わらせようとしているヴォルテックス。御琴羽の助力により、決定的な証拠を見つけた成歩堂たちは、逃げようとするヴォルテックスに、それをつきつけた。クリムト・バンジークスの“遺書”が、亜双義の持っていた名刀《狩魔》から見つかったのだという。法廷内、そして、女王陛下のおわすこのロビーが激震に揺れた。
『全ては、この“遺書”につながっている。これこそは……最後の“真実”に至る、ただひとつの《鍵》なのです!』
『その“遺書”の公表を…全面的に禁ずるッ!その“遺書”の情報は、この国の司法を崩壊させる恐れがある!こちらに提出するのだ……今、すぐにッ!』
ヴォルテックスは目に見えて動揺し始めた。女王陛下が盛大なため息をついて、首を振る。成歩堂が有無を言わさず遺書の内容を公表し、そして、この事件の全ての“首謀者”が明らかになった。
「……決まりだな」
ホームズは不敵な笑みを浮かべて、指を鳴らした。女王陛下がひとつ頷いて、扇子をパチン、と閉じた。
「この国の司法に、“闇”は、必要ないわ」
女王陛下は扉の向こうにいる使用人へ声をかけて、紙とペンを用意させている。ホームズはそんな女王陛下の様子を見てから、ユリアに向き合った。
「ミス・ミルトン。この男、ハート・ヴォルテックスは、女王陛下の逆鱗に触れてしまった。もうなにを言っても終わりだ。そして、この審理も、バンジークス卿の《無実》を持って、終わる。……馬車を手配しましたので、中央刑事裁判所へ向かってください」
「え?」
ここからは、我々に任せてほしい。そう言って、ホームズはユリアの手を取り、起立させた。成歩堂と亜双義が必死になってヴォルテックスに罪を認めさせようとしているが、女王陛下の目には、もはや茶番のようにしか見えていないのだろう。
「大仕事、しちゃうよ!」
アイリスはユリアにとびっきりの笑顔を見せた。大画面では相変わらず、“真実”を“追求”する成歩堂と亜双義が、ヴォルテックスを追い詰めているが、そこには確かに、亜双義がバンジークスを“庇護”する言葉があった。“バンジークス卿にすべて背負わせ、逃げていた”と。ユリアの中にあった不安は、全て消え去った。強くうなずいたユリアが、女王陛下を向き、深々と頭を下げる。
「……女王陛下、とても有意義な時間を過ごせました。本当に、協力してくださって、ありがとうございました」
「…これからも、この国の司法を、あの検事さんと共に支えてください」
女王陛下は柔らかな微笑みで、ユリアを見つめた。
「…もったいなきお言葉です」
ホームズとアイリスを振り返って、ユリアは力強い笑みを浮かべた。
「ホームズさん、アイリスさん。月並みなことしか言えなくて心苦しいのですが…頑張って下さい!そして、この席に招待してくださったこと、感謝してもしきれません。本当にありがとうございました」
ユリアはまた深々と頭を下げて、それから走り出した。判決は傾いたのに、こんなにも上手く歯車が回るなんてまったく予想していなかった。思っていたよりも、ずっとずっと、足取りが軽い。早く、みんなに会いたい。道案内をしてくれる使用人も、ユリアと同じように走って、出入り口を目指していた。
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