〜 25 〜
食事や風呂を済ませて、寿沙都の部屋に集まったユリアとアイリス。寝間着は寿沙都のものを借りることになり、そこで“着流し”という和服を初めて見たユリアが、寿沙都に着付けをされていた。
「まあ〜!ユリアさま、とてもよくお似合いです!」
着付けが終わって振り向いたユリアを、寛いで待っていたアイリスがキラキラとした瞳で見つめた。
「ユリアちゃん、和服も似合うんだね!かわいいー!」
「そ、そうですか?ありがとうございます」
ユリアは恥ずかしそうに照れながら、生まれて初めて着る“着物”の裾をぱたぱたと動かしていた。寿沙都から、座る時の注意点や、階段の上り下りの際に気をつけなければいけないことなどを聞いて、ユリアは日本人女性の苦労を知る。普段のメイド服がどれだけ機動性の高いものかを知って、なんだか衣服に感謝したい気持ちになっていた。
「ねーねー、ユリアちゃん。ユリアちゃんは、《死神》くんのこと、好きなの?」
「そ、それは!わたしも気になります!」
アイリスの発言にユリアは目を剥いていると、寿沙都が身を乗り出してその表情を輝かせた。アイリスが完全に聞く態勢に入って、寿沙都はユリアを座らせようと、自身が座っているベッドの横をポンポンと叩いている。ユリアは誘導されたその場所に移動して座りながら、うーん、と唸った。
「……そうですね、好きですよ、とても」
口元に手をかざして驚きの表情を見せたふたり。
「どんなところが!?」
ふたりは更に前のめりになっている。その様子に押されながらも、ユリアは瞼を伏せて、6年間見てきたバンジークスの働いている姿を思い出した。どんなに苦しい難問に対面しても、眉一つ動かさないで取り組む姿勢。担当した事件の真相を暴くまで、決して諦めない心の強さ。そのどれもこれもが、ユリアがバンジークスに抱く“好き”という感情なのだろう。ユリアは顔を上げて、じっと見つめてくるふたりを向いた。
「お仕事に対して、とても真面目で一生懸命なところが……いちばん尊敬するところですね」
聞いていたふたりの、輝かんばかりの表情がみるみるうちに真顔に戻っていくのを感じて、ユリアは首をかしげた。“好きなところ”と聞かれて答えたのだが、違ったのだろうか。苦し紛れに更に候補をあげていくユリアを見て、アイリスは眉をひそめながら首を横に振った。
「ううううん……それって、上司としての好き、って意味じゃないかなー」
「え?そ、そうですね…?」
困惑して瞬きを繰り返すユリアを見て、寿沙都が息を吹き替えしたように、また身を乗り出した。
「ズバリ!ひとりの“殿方”として、バンジークスさまについては…どうお考えなのでしょう!」
「え……」
ユリアは額に汗を浮かべながら、顎に指を当てて、必死に自分とバンジークスが“いい関係”になっているところを、想像してみる。考えたこともなかっただけに、その先は未知の領域だ。
「う、うーん……」
想像しようとすればするほどモヤのような霧のようなものが濃くなっていって、なにも浮かんでこない。好きだ、と伝えて返ってきそうな言葉も想像が出来ない。そもそも、ひとりの“女性”として扱ってくれそうな瞬間がまったく頭に浮かんでこなかった。上司と部下の関係から脱線出来なくて、恋人同士になっても壁を感じてしまうかもしれない。そんな想像をして、ユリアは首を振った。
「違う……のかもしれません。部下として傍にいたい気持ちはあれど、ひとりの女性として傍にいたいという気持ちは……ない、ですね」
呆れていたアイリスが、ほうほう、とうなずいた。
「じゃあ、ほかに好きな人はいるの?」
「ほかに……」
ユリアはまた考え込んで、頭の横を人差し指で軽く叩いて、目を伏せた。
「…………」
不意に、何故か“エスポワール”の背中が思い浮かんで、探しものをして歩きまわっていた頭の中の自分が壁に阻まれてしまったかのように立ち止まった。不意に浮かび上がった人物に向かって、ユリアはその背中に声をかけた。声に反応した目の前のエスポワールは振り返り、しかし、そこに覆面はなく、亜双義の顔が見えている。ユリアの姿を認めた亜双義が完全に振り返ると、漆黒のローブはどこかに消え去って、白い衣服に身を包んでいる“亜双義一真”の姿に変わった。優しげな笑顔を向けられていて、ユリアは心臓が跳ねるのを感じた。その瞬間に、ユリアの思考も止まって目を見開いた。
「…………」
何も言わずに黙りこんで固まってしまったユリアの顔を、ふたりが不思議そうに覗き込む。
「あー……えっと……」
口をもごもごとさせながら目を泳がせるユリアに、寿沙都は締まりのない顔で息を呑み、のけぞった。
「……い、いらっしゃるのですか…!」
「え!?い、いい、いいい、いません!!」
「うそだー!ユリアちゃん、顔が真っ赤なの!」
思わず顔を両手で隠すユリアを見て、ふたりがきゃあきゃあとはしゃぐ。違う違う、と頭を振って否定するも、ふたりの興奮は冷めやらぬどころか、ますます盛り上がりを見せていた。
「す、スサトさんはどうなんですか!?ナルホドーさんのこと!!」
顔を真っ赤にしたままのユリアが、顔を覆っていた手を離して殴りつけるような勢いで言った。寿沙都は余裕の笑みを見せて、しとやかな動作で首を傾けた。
「わたしは……、成歩堂さまの《法務助士》ですから」
「ず……ずるい!ずるいわ!」
「で!?で!?誰なの!?あたしも知ってるひと!?」
アイリスが年相応の笑みでユリアの顔を覗き込んでいる。ユリアはブンブンと首を振って、なおも“いない”と否定し続けた。異性を異性として意識するのは、これが初めてなのだ。もしかしたら“恋”じゃない可能性もある。「違う」「わからない」でなんとか逃げ切ろうとするユリアに、アイリスは唇を尖らせた。
「……ユリアさま、も、……もしかして……!お相手は……!!」
全て察した、とでも言いたげな顔で寿沙都が何かを言おうとしている。ユリアは顔を茹でダコのように真っ赤に染めながら、固唾を呑んで寿沙都を振り向いた。
「……一真さ」
「わあああ!!ね、寝ましょう!ほら、アイリスさん!戻るわよ!」
目の前にあったアイリスの頬を、ぷにゅ、という具合に両手で挟んで、ユリアは勢いよく立ち上がった。アイリスを体全体で扉に連れていきながら、その扉のノブをひねろうとする。アイリスは地団駄を踏んで、ノブを逆側に捻った。
「ええええ!!もっとユリアちゃんの話聞きたい!」
「夜ふかしはお肌の天敵だから!」
「是非また、お聞かせくださいませ!」
おやすみなさい!と勢いよく挨拶をして、部屋を出た。扉を閉める際に見えた寿沙都の顔は、嬉しそうにニコニコとしていた。
「もー。照れ屋さんなんだからー」
アイリスは10歳とは思えぬ大人な余裕をユリアに見せて、それからひとりで私室に戻っていった。紅潮した頬と、心臓の音がやかましい。ひとつ深呼吸をして、屋根裏から2階に続く階段を降りようとしたとき、横からガサガサと紙が擦れる音がして、ユリアは振り返った。
「…も、盛り上がってたみたいですね…」
見ると、成歩堂が自分の仕事机で書き物をしている姿が目に入って、ユリアはまた慌てた。大変失礼しました、と、おやすみなさい、と一息で言って、ぎこちない笑顔で階段を降りていく。違うんだ、違うんだ、と自分に言い聞かせながら。
(私が、カズマさんを……す……好きなわけ…)
その瞬間、“着物”を着ていたことがすっかり頭から抜けていたユリアが、足をもつれさせて何段か滑り落ち、声もなくそのまま転けた。
「大丈夫ですか!?」
とんでもない音を立てて転けたユリアを、階段の上から成歩堂が焦った様子で見下ろす。
「ご心配なく!!」
打ち付けてしまった肘をさすりながら、ユリアはそそくさと立ち上がって、与えられた部屋に向かって早歩きで駆けていった。部屋に辿り着いたユリアが、滑り込むようにベッドへ潜り込んで、枕に顔を埋めた。
(ど、動揺なんてしてないわ……だって違うもの……違う、違う、違う…)
違う、と考えれば考えるほど、脳裏に亜双義の顔が浮かび上がって、ユリアはその度に頭を振った。早く落ち着かないと、明日に響く。日の香りを十分に吸い込んだ枕から空気を吸って、ゆっくりと吐き出した。冷静になってきた今、さきほど打ち付けた場所があちこち痛い。ジンジンと主張の激しい肘が、頭を冷やしてくれる気がした。
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