〜 23 〜
ホームズの部屋へ降り、その扉を開けた時、なにやら男性の歌声が聞こえた。力強い歌声に圧倒されながら、一同は一体誰が歌っているのだろう、と室内に目を凝らし、その光景にぎょっとした。大きなソファにもたれかかるようにして横になっている男性が、繊細なレースで出来たスカーフをかけている。その少し手前で、アイリスが4人を一瞥したあと、居心地が悪そうにうつむいた。成歩堂がそれを“悪夢のような光景”と形容し、言い得て妙だと思ったユリアは、男性の顔を見ながら顎に手を当てた。
(……なんだかすごく見覚えのある、最近までどこかで見ていた“仮面”を付けているような…)
状況を冷静に判断したホームズの推理が始まり、この状況の解剖が行われた。成歩堂も協力して推理を進めていくうちに、ソファの上で倒れている男性は寿沙都の父、“御琴羽悠仁”だと判明し、歌声は蓄音機の針が落とされた“音盤”のものだと解明され、スカーフに思われたその美しい布は、“テーブルクロス”であることがわかった。いくつもの偶然が重なって、《奇跡》が生まれて出来上がったこの状況。最終的に、アイリスは2年前にドクター・シスの元を訪ねた際、黙って持ち出した“クリムト・バンジークス”の《解剖記録》を隠していたことが明らかになって、成歩堂とホームズの《共同推理》は、終わりを告げた。
アイリスが言うには、その解剖記録に書かれた手書きの文字が、探し求める父親の“筆跡”と似ているということを直感的に感じ取り、見比べるためにこっそりと持ってきてしまったのだという。すまなかったね、と、席を外していたホームズが戻ってきて、アイリスに謝罪し、またアイリスも、ホームズに謝罪したことによって、その“事件”は解決した。瞳に涙を溜めたアイリスが、精一杯の笑顔を一同に見せて、部屋を出ていく。“真実”が知りたいだけの10歳の女の子。気丈に振る舞う姿は、ユリアたちも心を打たれるものがあった。
クリムトの解剖記録を預かった寿沙都は、迷うことなくユリアに手渡した。バンジークスの秘書であるユリアには絶対に必要な情報だ、と、語気を強めて言う。受け取ったユリアは、解剖記録を隅から隅まで、頭の中に叩き込むように黙読した。
(…死因が、“決闘”によるもの…?“殺人鬼”に不意を突かれたわけではないの…?)
備考の欄に書かれた、“右手の小指と薬指に、緋色の洋墨の新しい染みを発見するも、机上に書類はなし”という字を見て、ユリアは更に眉をひそめる。
(《プロフェッサー》に殺害されたわけではないという証拠が、まだ発見されずに残っているとでも…?)
解剖記録相手に、睨み殺すような勢いで険しい顔をするユリア。それを気にした寿沙都が、ユリアの横から解剖記録を覗き込んだ。見やすいように傾けてやると、寿沙都は解剖記録に書かれた文字を見て、固まった。
「あああ…っ!こ、これは……いったい……」
何か気になることでもあったのだろうか。血相を変えて解剖記録を凝視する寿沙都に、ユリアは驚いて、それを返した。受け取った寿沙都はホームズの目の前まで詰め寄って、どういうことでございますか!と息巻いた。
10年前に書かれたこの《解剖記録》。寿沙都の話では、この“筆跡”は、父である御琴羽悠仁のものだということ。先程のアイリスの話では、アイリスの父親である“ジョン.H.ワトソン”のものであると言う話だったが、どうやらその隠された“真実”は、思っていた以上に“闇”の深いもののようだ。成歩堂の推理によって、それは明らかにされる。結論が出た瞬間、先程まで気絶していた御琴羽が扉を開けて客間へと入室した。ホームズの“相棒”が御琴羽だという“真実”。そして、それと同時に、アイリスの“父親”に対する疑問が生まれて、寿沙都が静かに目を伏せた。
「お父さま。お尋ねしなければならない《謎》がございます。……アイリスさまの“父上”のことでございます!」
「やはり、そう来ますか…」
寿沙都は、見られている者の背筋が凍りつくような目で言い放ち、御琴羽はうろたえて、顔を手で覆った。
「わたしが生まれたとき、母が亡くなったと聞いています。お父さまは、わたしを祖母に預けて、大英帝国へ“留学”されました。そこまではよいと思います。しかし……アイリスさま、というのは……」
ユリアはそこまで聞いて、口元に手をかざした。御琴羽が背をのけぞらせて、全力で否定する姿勢に入る。寿沙都の気迫に押されているのは、どうやら御琴羽だけではないのか、成歩堂も恐怖のどん底にいるような顔をしていた。こうなった寿沙都は誰にも止められないのだろう。“大和撫子”の強さを垣間見た気がして、むしろユリアは、寿沙都のその姿に関心すら抱いていた。
「……いや!違うのですよ!これには、深い事情があってですね」
「深い事情……つまり、説明しづらい“真実”がそこに…?」
横から入ったユリアの声に御琴羽は振り向いて、青い顔を更に青くさせた。
「いやいや!全く、その。まるっきり違うのですよ!」
「それでは!この寿沙都に、尋常にご説明くださいまし!」
「だからッ!誤解なのですよ!ホームズ、なにか言ってください!」
助けを求めた御琴羽の視線の先には、上着を着込んでハットを被ったホームズがいた。どうやらホームズは、御琴羽を連れて出かけなくてはいけない場所があるという。御琴羽自身も予想外だったのか、のけぞらせていた背筋を元に戻し、呆れほうけた。寿沙都も一度諦めて、ふたりを見送ることにしたのか、笑顔に戻っていた。
「それにどうやら、とても大切なお客さんもいるみたいだしね。明日……キミたちの幸運を、せいぜい祈っておくとしよう」
そう言ってホームズは部屋を出ていった。呆れていた御琴羽も扉に向かって歩き出し、その際に、成歩堂になにやら耳打ちをしていた。内容までは分からなかったが、成歩堂の表情が明らかに“迷っている”ものに変わる。寿沙都は父親を見送って、それから、クリムトの《解剖記録》に視線を落としていた。
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