先んじた春




「あ、歌仙さん!次の出陣についてなんですけ、ど……あれ」


少し相談したいことがあって歌仙さんのところまで出向いたところ、当の本人は縁側で柱に身体を預け、すやすやと寝息を立てて居眠りをしていた。珍しい。その寝顔は女の私が見ても惚れ惚れするほど綺麗で、しばらくその寝顔を見つめたまま動けなかった。
いやしかし私は話があって歌仙さんに会いに来たのであって。そう本来の目的を思い出して彼を起こそうかと思案するが、あまりにも気持ちよさそうに寝ているので起こしてしまうのも気が引ける。ううん、この話は起きてからでも問題ないだろうか。


「それにしても本当、綺麗な寝顔……」


あまりじっくり見てしまっては失礼かもしれないと分かっていても、歌仙さんが居眠りなんて珍しくてつい眺めてしまう。長いまつげに落ちる長い影。触れてみたい、そう思った瞬間、ぴくりと震えた瞼に起こしてしまったかと狼狽したけれど、すこし息を漏らしてまた一定のリズムで寝息が聞こえてくる。
……こうして見ていれば、彼らは本当に生きている人間のようなのに。いつだったか偶然触れた手のひらの体温が、ぞっとするほど冷たかったのを思い出して無意識に身震いする。彼らは冷たい刀なのだと、思い知らされるようで。無造作に投げ出された手のひらにそっと触れてみる。やはりその肌は冷たく冷え切っていたけれど、私の体温が移ったのか、少し、ほんの少しだけ暖かい気がした。
しかし、春先とはいえまだ寒い。何か掛けるものを探してこようと腰を浮かせたところで、寝ていたはずの歌仙さんがくすくすと笑い声をもらすので驚いてしまった。


「えっ」

「……ふ、ふふ、」

「か、歌仙さん、起きてたんですか、」

「いやあ、主殿が随分可愛いことをなさるのでね。僕の手に触れるのはそんなに楽しいかい?」

「いえ、そんな……あっ、勝手に触っちゃってごめんなさい」


驚いてぱっと手を引っ込めると、今度は喉を鳴らして楽しそうに笑う歌仙さん。綺麗な弧を描く目に見られるとなんだか気恥ずかしくて、つい視線をそらしてしまう。でももう少しだけ、触っていたかったな。そんな私の考えを読んだのか、私より一回りも二回りも大きな歌仙さんの手が、私の手のひらを捕まえて引き寄せる。引っ張られた私は当然前のめりに傾いて、歌仙さんの胸に身体を預ける形になってしまう。ごめんなさい、そう言って離れようと腕を突っ張ってみるけど、背中に回った彼の腕がそれを許さなかった。近すぎる距離に、心臓が忙しなく動いているのが分かる。


「か、歌仙さん、これはいったい…」

「うーん、やっぱり主は温かくていいね」

「…歌仙さんが冷たいんです」

「そうだね」

「ああ、もう……」


観念して縋るように彼の胸板に額を擦り寄せれば、満足そうに髪を梳かれる。歌仙さんはこうして髪に触れるのが好きなのだという。ぽんぽんと優しく背を叩かれたり、頭を撫でられたり。まるで子供に戻ったような、心地好い感覚にだんだん瞼が重くなってくる。微かに香る甘い香りは、春めいた庭先からくるものだろうか。ふわふわとした微睡に身を任せてしまいそうになったそのとき、何処からか主、と自分を呼ぶ声が聞こえてすぐさま身を起こした。気付けばもう遠征に行っていた部隊が戻ってくる時間だ。いつもなら門の前で出迎えているはずの私がいなくて探しているのだろう。


「あ、あの、もう行かないと」

「はあ…あんなに急いで帰って来なくてもいいのに。忙しないなあ」


邪魔が入ったとでもいうように独りごちた歌仙さんは不満そうではあったが、ぐっと一際強く抱き寄せられたかと思えば意外とすんなり解放してくれた。寄り添っていたことで乱れた前髪をまた撫でられ、名残惜しそうに行っておいでと送り出される。主ー?とまた何処からか私を探す声に答えるように返事をして、慌ただしく遠征部隊の元へと向かった。きょろきょろと辺りを見回していた秋田くんが私を見つけて嬉しそうに駆け寄ってくる。


「あっ主君!」

「ごめんなさい、すぐに出迎えられなくて」

「ううん、それはいいんだけど……」


遠征部隊の隊長を務めた乱ちゃんが何か言いにくそうに口籠もる。何処かおかしいだろうかと首を傾げるが、乱ちゃんの後ろからひょっこりと顔を覗かせた五虎退くんの言葉にぎくりと身体が強張った。


「……? 主様、なんだか歌仙さんの香りがします」

「えっ!」

「あ、なんだか花の香りがするなあってボクも思ったんだけど。歌仙さんかあ」


乱ちゃんはなるほど、といった雰囲気でくんくんと鼻を鳴らしていたけれど、自分ではその歌仙さんの香りというのがいまいちよく分からなかった。袖口あたりに鼻先を押しつけてみても自分のにおいしかしない。ますます首を傾げる私に、乱ちゃんはにっこり笑って仲良しだね、なんて言ってくるものだから、香りは分からずともさっき触れ合ったときに移ったであろうことは分かった。それが乱ちゃんにも見透かされてしまっていることも。


「あ、あの、誰にも言わないでね?ね?乱ちゃん?」

「んふふ、どうしようかなあ〜」

「? 何の話ですか?」


誰かに言いふらされてはたまらない、と迫る私の言葉をのらりくらりとかわす乱ちゃんはどこか楽しそうだ。そんな様子を見て今度は五虎退くんと秋田くんが不思議そうに首を傾げている。なんでもないからとどうにか誤魔化したけど、乱ちゃんはにこにこと笑うばかりで居心地が悪かった。
しどろもどろになりながら遠征の報告を聞いて、その後廊下で偶然すれ違った歌仙さんに軽く一発背中を叩いてやった。訳が分からないといった顔で抗議されたので香りが移ったのは彼の思惑ではなかったようだけど、これからこのネタで乱ちゃんに茶化され続けるであろう私の身にもなってほしい。

結局その日歌仙さんに相談することが出来なかった、と気づいたのは布団に入ってからだった。


title moss



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