紫苑は揺らめく




ぷつり、と皮膚が裂ける嫌な感覚が口の端から伝わってきて、反射的にそこを舐めると微かに血の味がした。舌先で触れた部分がぴりりと痛む。いて、と小さく声を漏らせば一緒に書類の処理をしていた薬研がふと顔を上げた。どうした、と視線で訴えかけてくる。


「唇が切れた」

「うわ、痛そうだな」


大分痛々しいことになっているのか、私の唇あたりを見た薬研は眉をしかめた。最近乾燥してるからなあ。そんなことを考えながらまた唇を舐めようとする私をこら、と薬研が諌める。


「そうやって舐めるから余計悪化するんだろう?」

「うーんでもこれ癖だし、無意識にやってるのかも」

「そりゃ難儀だなあ…」


見せてみろ、と言われたので大人しくしていれば、なぜか薬研の顔との距離がやけに近い。ちょっと、と声をかけようとしたその一瞬。紫苑色の瞳がきゅっと細くなったかと思うと、生ぬるい感触が唇を掠める。それが薬研の舌先だと理解するころには彼は立ち上がっていて、薬を取ってくると一言残して部屋を出て行ってしまった。一人残された私は驚き過ぎて崩れた態勢を正すことも出来ず、彼が戻ってくるまで放心するしかなかった。いつもの白衣姿で薬箱を抱え戻ってきた薬研が何やってんだ大将、と不思議そうにしていたが原因はお前だ。


「………………なんで舐めたの」

「うん?いやなに、血が垂れちまいそうだったんでな」

「いやいやいや」


着物に染みがついたら困るだろう?とさも当然そうに言ってのける。それにしたってもっと他に方法があったでしょう…!そんな私の必死な主張もはいはいと適当に流されてしまう。薬箱を漁りながらの返事なのでまずこっちを見てもいない。お願いだから主の話くらい聞いて。お目当ての薬を探し当てたらしい薬研はやっとこっちを見て、笑いながらおいでと手招きをする。


「ほら、薬塗ってやるから」

「…さっきみたいなことしないでよ」

「はいはい」


愉快そうに弧を描く紫苑色と目を合わせないようにしながら、息も止まりそうな時間をやり過ごす。牽制したお蔭か今度は何もしてこなかったけど、珍しく手袋を外した指先の感触をやけに感じ入ってしまった。はい終わり、声をかけられやっと体の力が抜ける。そんな私を見て、そこまで警戒しなくてもいいだろ?なんて言って眉を下げる薬研。何度でも言うが原因はお前だ。


「まあ乾燥すりゃまた切れるかもしれんからな、軟膏でも塗っときな。持ってたろ?あの小さい筒の…」

「ああ、リップクリーム?」

「あーそれだ。……それも俺が塗ってやろうか?」

「じっ、自分で塗ります」


なあんだ、と残念そうな口振りの割に楽しそうにけらけら笑ってみせる。少年らしい見た目にそぐわないその笑い方につい唸ってしまう。…薬研にはこの先一生敵わない気がする。彼がこの本丸に来た時から分かっていたことではあるが。薬研の視線から逃げるように書類に目を通しながらそんなことばかり考えた。



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