今日はとびきり運がついていない日だ
電車では痴漢に合うし、書類ミスをして嫌な糞上司にネチネチといびりを受けた…残業も終わり帰ろうとしたら、会社の飲み会の誘いを断れず糞上司と同僚に挟まれて今に至る

「ほんっとに名字はよお…」

『課長、お酒こぼれてます』

「わーっとるわいっ!一々指示するな」


あなたが零したお酒で自分の服を汚したくなかったからです
なんて思った事を言えず、私は下手くそな笑いを浮かべ生返事をした。
それから課長は私の文句をぐちぐちと言い出す。
私は助けを求める様に同僚を見たが、彼は他の人との会話に夢中になっている。

「おいっ!名字、俺の話を聞いとるかあ!」


『はい、聞いてます。ですがここはお店なのでもう少し声の大きさを…』


「それがなあ、お前の悪い所だ!すぐ人の目を気にする!」


『…わかってますよ』


この課長の頭には、マナーやモラルといった辞書はないのでしょうか…
流石の同僚もこっちに気づいて課長に注意をするがこの人はまったく聞く耳を持たない。
私の気力ゲージは限界で、酔ってる課長を同僚に押しつけ、逃げる様にトイレに駆け込んだ


『ふっ…ぐすっ…』

何が悲しくて朝から晩まで、嫌な上司のいびりを受けなくてはならないのか

ポロポロと流れる涙を手で拭うと、マスカラのインクがついている事に気づき慌てて鏡を見るが目の周りにインクが滲んでいた。
顔は青白いのに、目の周りが黒々としていていてみずほらしい

『あーあ、マスカラ取れちゃったよ』

折角、化粧したのに…
私は自嘲気味に笑うと、一時止まった涙がまた溢れだした。
こんな顔でどうやって戻ればいいのかわからなかった。生憎、今日に限って自宅に化粧ポーチを忘れて来ている。
個室のトイレを閉め、ひとりでしくしくとすすり泣く私を思うと惨めに感じて仕方が無かった。


ひとしきり泣いて落ち着いた私は、顔を洗い鞄からハンカチを取り出して水分をとった。
化粧が落ちてすっぴんになってしまったが、さっきまではマシだと楽観的に考えトイレを出る

トイレの扉を開け、気合を入れて戻ろうとした時後ろから声が聞こえた。
私はそれに反応して振り返ると、虎柄のシャツをきた男性がこっちを見ている


「嬢ちゃん」


『あ、えー、嬢ちゃんって私の事ですか?』


「あんた以外に誰がいるんだ」


喉を鳴らして陽気に笑う男性と裏腹に、成人した私を嬢ちゃん呼ばわりされ子ども扱いされている事に苛立ちを覚えた。


『私、成人してますよ』


「んなの見りゃわかる、これ嬢ちゃんが落としたものだろう」


パサッと男性が私に差し出した物は、さっき私が顔を拭った時に使ったハンカチだった。


『そ、それ私のです!すみません』


さっきの苛立ちは吹っ飛び、私は狼狽えながらハンカチを受け取る。
それは水気を帯びており、冷たく感じた。


「俺は拾っただけだしな…」


『いえ、ありがとうございます』


「なあ嬢ちゃんよ…あんた泣いてたんだろう」


『えっ…』

私は当てられた事にどきりとする。

「ククッ…その顔じゃあ正解ってわけだ」


『…なんで分かったんですか』


「拾ったハンカチが濡れていたからと…嬢ちゃんの雰囲気が暗く感じたからかな」


『…』


「嘘ついてると思うか?」

白髪の男性はポケットからタバコを出すと火を点けて吸いだした。
その横で私はただ、この人の洞察力の鋭さに驚いていた。


『凄いですね…』


「そんな事ねえよ、ただどうして嬢ちゃんはどうして暗い雰囲気を漂わせてるのか気になっただけでね」


『…嫌な事があったら雰囲気くらい暗くなりますよ』


「ほう…」


『あっ、すみません…初対面の貴方にみっともない事言ってしまって』


「別に構わねえよ、嬢ちゃん大変なんだなあ」


『そんな、私の他にも大変な人はたくさんいます…』


じわりと目尻が熱くなった。
人前で泣くのは絶対嫌だったので、唇を噛み必死で抑えるが、私の思いとは裏腹に、嫌な記憶の欠片が脳裏に浮かんでくる。


「嬢ちゃん、無理するなよ」


ポンと私の頭に男性が手を乗せ、優しく撫でる。
私は彼の動作に我慢できなくなって、涙がボロボロと溢れだした


「おーおー、沢山涙が出る嬢ちゃんだなあ」


『じょ、嬢ちゃんじゃ…ないです。私は名字名無しって名前があるんです』


「そりゃあ悪かったな、名字名無しか、いい名前だな」


『お…お世話はいりません、うっ…ぐすっ…貴方の名前は?』


「お世話じゃねえよ、本心だ。俺は赤木しげる…宜しくな名無し」


『…宜しくお願いします』


「所でよお、名無し今から飲みに行かねえか?」


『えっ、今からですか!』


私は答えに困った。
初めて会った男性と飲みに行くのは引けるが、今は会社の飲み会で来ている
それをほっといて赤木さんと飲んでいたのがバレたらと思うと…


「別にお前さんをとって食うわけじゃなねえから安心しな」


『で、でも…私、会社の人と飲みに来ていて』


「クククッ…もし気まずくなった会社なんかやめて俺の所に来いや、よし行くぞ」


『えっ!ちょ!アカギさん!』


私は赤木さんに強引に腕を引っ張られる。床においていた鞄を急いで持ち、彼の後を必死でついていった。

嫌ならこの腕を振りほどいても抵抗する事が出来るが、私の身体は毛ほども動かずに赤木さんの動きに合わせて歩くだけ。もしかしたら私は赤木に時めいてしまったのだろうか


私は一呼吸おいて息を吐いた。
初対面の男にこんな感情を抱いてどうしたのか
私は自嘲の笑みを浮かべ、鞄を持った手に力を入れる。
けれど、赤木さんの暖かい手に触れていると流れに身を任せるのもいいのかとポジティブな考えが私の脳内を支配した。


   




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