「てめぇ・・・俺を騙したなっ!」
『はっ!騙される方が悪い。この業界じゃ、“やったやられた”はお互い様じゃないか』
「た・・頼む・・金を返してくれっ」
『やーだよ。んじゃ!さよなら』
名無しは鉄でできた階段をリズム良く降りる。片手には札束の入ったカバンを持ちながら
彼女はクラブで働いており、自分の持つ容姿を最大限に生かし、そこで捕まえた男を騙して金を巻き上げていた。いわゆる悪女と呼ばれる存在。
今回も運良く馬鹿男を捕まえて、大金を奪う事ができた。名無しは有頂天になり、歩きながら口笛を吹く。
・・・確かあのおっさん、妻子持ちだったかな?まあ、関係ない。家族がいるのにクラブに入り浸る奴が悪い。
名無しは乱暴にカバンを振り回す。
あの男には同情しないが、妻や子どもが哀れに感じ、罪悪感が胸をおそう。
彼女は耐えきれなくなり、携帯を取り出しある人物に電話をかけた。
※
『おそいじゃない十分遅刻。』
「お前って、随分身勝手だな」
『お互い様じゃない。』
彼女が呼んだのは、よくクラブに遊びにくる金持ちの御曹司、兵藤和也だった。
「カカカッ、まあいい。んで何の用だよ」
和也はウェイターを呼び、コーヒーを頼む。
『少し、話し相手が欲しかっただけ。』
名無しはストローをペン回しの様にくるくる回す。
「どーせ、男騙して金を巻き上げたんだろ?今更負い目を感じてんの?」
和也はニヤリと笑う。それに癪に触った名無しは和也をねめつける。
『正直、騙した事には罪悪感を感じてないね。ただ、そいつ等の家族に気のどくで・・・』
「はあ?何だよそれ」
和也は呆れた様に言う。
「お前にもそんな一面があったとはな」
『誰だって善悪の面は持ってるわよ。私も本当はこんな小癪な真似はしたくない。けど私には学歴も夢もない。あるのは、若さぐらい。』
名無しは、氷をバリバリ喰い和也を見つめる。いささか和也が引いてるのがわかった。私は話しを逸らすため話題を変える
『そういえば和也の本、読んだよ。』
「マジ?どうだった?」
興味心身で和也は私に尋ねる。
もしここが店なら、誉め殺しにしていただろう。相手の気分をよくし、高いボトルを催促させる・・・。
名無しは悩んだ。彼のご機嫌とりにするか、それとも正直に感想を述べるか。
『正直に言っていい?』
「別にいーよ、俺は本音を聞きたいし」
『文章はまだまだ未熟だったけど、圧巻だった。ストーリーに取り込まれた』
嬉しそうに和也は笑う。それにつられて私も微笑む。
『でもあれって、本当は和也の事なんでしょ?』
和也の動きが止まる。図星だったのだろう。
「まあな!でもあの女も悪いんだぜ。騙すって事は、それ相応の罰も受ける覚悟でいるわけだろ?」
和也は名無しの名前を呼ぶ。
私もそれに頷く
『わかってるわよ。私も殺される覚悟で、相手を騙してる。だけどね、あんたも馬鹿だよ』
名無しは目を見開いた。
お得意様の和也に向かって、口走ってしまった。だけど、彼女の口は止まらなかった。
『クラブの女と恋愛なんて出来る訳ないじゃない。あいつ等の頭の中は金やブランド品しか詰まってないから』
「・・・」
『本当に愛してくれる女が欲しかったら、わざわざクラブになんか来ない事だね。』
「カカカッ!お前も俺の事、ただの金づるにしか思ってないだろ?」
『そうよ。まあ和也だけでなく、他の客もね。』
私は和也をじっと見る。
とことん、この人はアホなんじゃないかと思った。家は金持ちだし、学校には困らない。家庭に恵まれなかった私にとって羨ましいのに。
「なら、なんで俺に金を騙しとらないんだよ?」
『あなたは嘘に敏感だからだよ。騙すにもリスクが高いし 』
時計を見ると、終電の時間が近い。
慌てて帰る用意をした。
『終電逃がしちゃうし、もう帰るね。ここ払っとく』
私はキャッシャーを取り出し、レジに向かおうとした。だが、和也に腕を掴まれ動けなかった。
「ここは俺が払うし、車で家まで送るからもう少し話そうぜ」
『遠慮する。電車乗るの好きだから』
帰る途中、私は歩道を歩いてると、帽子を被った男に腹部をさされた。
衝撃で地面に倒れ、うずくまる私。
顔をあげると、そこには昔、騙した男が私を見上げていたのだ。
『・・・はっ・・』
男は私の顔をみるなり、急いで逃げにいった。私は痛みをこらえながらカバンから携帯を取り出し、救急車を呼んだ。
薄れゆく意識の中で、和也の言葉を思いだした。
確かに、私は多くの男を騙して金を奪った。だけどそれは、私が幸せになりたかったから。お金さえあれば、こんな私でも自信もって生きれると思ったから。
その結果、刺された。考えてみればそうだよね。
『ねぇ・・・和也、私みたいに悪い事してると・・いつか報いがくるよ』
私は遠のいていく意識に身を任せ、目を閉じた。